『米国一極支配の終焉と日本の選択』(孫崎享著)
漂流する日本の羅針盤を求めて

岐路に立つ日本の政治情勢
現在、日本の政治は歴史的な転換点に立たされている。戦後一貫して維持されてきた「平和国家」としての歩みが、根本から変わる可能性を孕んでいる。先の衆院選では、与党である自民党・維新の会が350議席を超える圧倒的多数を確保し、第二次高市内閣が発足した。
中国の台頭を背景とした「フルスペックの集団的自衛権」の容認、憲法第9条2項の削除といった改憲案の推進は、現政権が対外強硬路線を鮮明にしている証左である。さらには、対GDP比2%という防衛費増額計画の前倒しや、官民合わせて総額80兆円規模にも上る巨額の対米投資の推進は、日米の主従関係をいっそう強化させている。
こうした状況下で、対米追従の単なる軍事力強化が唯一の選択肢なのか。日本は中堅国家としていかなる役割を果たすべきか。本書は、これらの問いに対する日本の外交政策の展望を提示する。
鋭い現状分析の先に描く展望
著者の孫崎享氏は、外務省情報調査局長や防衛大学校教授を歴任した、文字通り日本の外交安全保障の「表と裏」を知り尽くした人物である。2012年刊の『戦後史の正体』などの著作を通じて、戦後日本の対米従属構造を鋭く批判してきた。本書においても、その堅実なリアリズムに基づき、最新の世界情勢、特に混沌を極める日米中3カ国の関係について、体系的な見解が述べられている。
本書の大きな特徴は、単なる現状分析にとどまらない点にある。まず、多国間のパワーバランスを客観的に整理した上で、アメリカの一極支配が崩壊しつつある現実を突きつける。そして、その崩壊後、日本がいかにしてアメリカと対等なパートナーシップを築くべきかという展望にまで踏み込んでいる。こうした大局的な議論を裏付けるように、記述は具体的かつ今日的だ。例えば、高市首相の台湾有事における「存立危機事態」発言など、最前線の動向を踏まえた記述は、読者に今そこにある危機をリアルに実感させるものとなっている。
現状における日米中3カ国間のパワーバランス
①日米関係の虚像と実像
著者はまず、日本の戦後外交の根幹である「米国支配」の正体を暴く。日本人が信じ込んできた「対等な日米同盟」は幻想であり、その実態は「アメリカのルールで行動することを強要され、経済制裁から体制変革まで、多大な代価を支払わされる」主従関係にある。
特に衝撃的なのは、軍事面における「スポンジ戦略」の指摘である。
高市政権はGDP比2%への防衛費増額を国民負担で前倒ししたが、アメリカは日本を「捨て石」として利用できることに、著者は警鐘を鳴らす。アメリカ主導の対中封鎖戦略において、日本やフィリピン、台湾は、中国の軍事資源を削がせるための「ミサイル・スポンジ(標的)」の役割を負わされているというのだ。2025年においてすでに、離島防衛を想定した陸上自衛隊と米海兵隊による日米共同訓練「レゾリュート・ドラゴン」が、北海道、沖縄、九州地方の8道県で行われた。有事の際、アメリカは初期の攻撃を同盟国に代理吸収させ、米軍自身の直接介入は最小限に抑えることを想定している。
これを裏付けるのが、日米安全保障条約の法的解釈である。著者は、安保条約第5条が「米軍の自動介入」を約束していないことを指摘する。条約には「自国の憲法に従って対処する」とあり、米憲法下では戦争宣言の権限は連邦議会にある。つまり、米連邦議会が否決すれば、アメリカは動かない。実際、米国内の世論調査(シカゴ評議会調査)では、56%のアメリカ人が台湾海峡への米軍直接介入に反対している一方、賛成はたったの39%である。日本は、梯子を外される可能性が高い同盟に、国の命運を預けているのである。
②米中間のパワーバランス逆転
次に著者は、経済、軍事面での「米中逆転」を数値で示す。24年時点の購買力平価ベースGDPでは、中国がアメリカを10兆ドル近く引き離して世界1位となっている。
軍事においても、レーガン政権からオバマ政権まで歴代国防長官の顧問を務め、クリントン政権では国防次官補を務めたグレアム・アリソンらが指摘するように、台湾海峡を想定したウォーゲームではアメリカが18戦中18連敗を喫しているのが現実である。
技術面でも同様だ。核心技術64部門のうち、中国が57部門で首位を走り、米国はわずか7部門にとどまる(24年、韓国中央日報調査)。レーダー、衛星位置追跡、ドローン、合成生物学といった安全保障に直結する分野で、中国の優位は揺るぎない。科学論文の引用数でも中国がトップを占める現状は、もはや「米国の優位」が過去の遺物であることを示唆している。
③日中関係の悪化と経済的自死
このような米中間のパワーバランスの変化に対し、日本が取るべきは冷静な等距離外交のはずだが、現実は対中強硬路線による関係悪化が深刻化している。特に高市首相の「存立危機事態」発言は、1972年の日中共同声明や78年の日中平和友好条約に基づく日中関係の基盤を逸脱する危ういものだと著者は危惧する。
高市発言により、中国は対日制裁に舵を切ったが、経済的に見れば、中国との関係断絶は日本にとっての「自殺行為」に等しい。中国は2007年以降、日本最大の貿易相手国であり、輸出の22%、輸入(レアアースやリチウムなどを含め)の24%を占めている。トヨタやホンダ、パナソニックといった日本企業は、サプライチェーンを含め1400億ドル以上を中国に投資している。アメリカに従属して経済安保の名の下に中国を排除することは、自らの産業の首を絞めることに他ならない。かつて繊維、半導体をはじめとする日本の先端産業がアメリカの貿易圧力によって潰されてきた歴史を忘れてはならないと著者は説く。
日米関係の展望
米国の一極支配が崩壊し、米中が拮抗、あるいは勢力が逆転する世界において、日本はどう生き残るべきか。著者の主張は明確である。それは「対米従属」から脱却し、日米関係を「より対等なパートナーシップ」へと再定義することだ。
そのための足がかりとして、本書では軍隊を持たないコスタリカの事例や、ASEAN、EUを手本とした「東アジア平和共同体」の構想が提示されている。中堅国家としてアジア諸国との経済的・文化的連携を強化し、中国の台頭や気候変動といった日米共通の利益に基づく関係構築を模索すべきだと著者は強調する。
特筆すべきは、対等な関係を構築するための「外交の極意」だ。それは「小さな勝利で大きな利益を損なうな」という教訓に集約される。
外交では100点満点ではなく、51点を目指すべきであり、特定の懸案事項で100%の主張を通そうとすれば、合意に至らず決裂を招きかねない。例えば、普天間基地移設問題は、大局的な日米関係の安定に比べれば2次的な問題である。2009年の鳩山政権時の混乱を例に挙げ、細部にこだわりすぎて安全保障の根幹を危うくした失敗を繰り返すべきではないと説く。
しかしながら、課題も残る。特に「構想の実現可能性」と「沖縄の民意」という二点において本書では議論の余地がある。
第一に、対等な関係を築くための足がかりは示されているものの、その具体的な道筋には不透明さが残る。軍隊を持たないコスタリカの平和主義は崇高だが、同国の地政学的環境や経済規模、歴史的経緯は日本と大きく異なる。これをそのまま日本に適応させるには慎重な議論が必要だろう。
また、東アジア平和共同体構想も、領土問題や歴史認識問題が渦巻く現状において、いかに制度的な連携を構築するのかという展望が具体性に欠ける。
1957年に発表された外務省の初の外交青書『わが外交の近況』では、外交活動の三原則として、「国際連合中心」「自由主義諸国との協調」「アジアの一員としての立場の堅持」が記載されており、著者はこの三大原則に立ち返るべきだと主張している。それを現代に合わせてどう再定義するのか、より踏み込んだ処方箋を期待したい。著者が重視する国際連合についても、機能不全に陥っているという批判に対し、どのような回答が可能なのかは検討に値する。
第二の課題は、沖縄の民意である。大きな利益(日米同盟)のために、普天間という2次的な問題で妥協すべきという論理は、沖縄の視点から見れば、基地負担の犠牲を固定化するものである。住民にとって、住宅密集地に位置し「世界一危険」と称される普天間基地による騒音や事故、米軍による暴力被害は、沖縄県民の生命に関わる大きな問題であり、これを外交上の一要素として矮小化してはならない。沖縄での犠牲をこれ以上生まないためにも、この2点の課題を両輪に、現状分析だけで終わらせない議論が求められる。
混沌の時代にともす希望
課題を残しつつも、本書が提示した体系的な日中米3カ国間のパワーバランスの整理は、極めて価値が高い。第二次高市政権の発足や防衛費の大幅増額といった、戦後日本が守り抜いてきた「平和国家」の歩みが根底から揺らぐ今だからこそ、政治家はもちろん、市井の人々にこそ本書を手に取ってほしい。アメリカの一極支配が崩落しつつある現実は、裏を返せば、日本が長きにわたる対米従属構造から脱却し、対等なパートナーシップを築くための歴史的転換点でもあるからだ。
日米の主従関係を問い直し、東アジア平和共同体や国際連合の存在意義を伝える言論は、現在の日本において極めて少数派である。しかし、対米追従の果ての軍事力強化のみを現実解とする思考の硬直化こそが、真の危機を招くのではないか。
著者が貫く「堅実なリアリズムと未来への理想」のバランスを多くの人が共有し、議論の土台とすることには大きな意義がある。混沌とした時代において、本書は漂流する日本の羅針盤となり、私たちが進むべき航路を照らしてくれる。自らの国の行方を他国に委ねるのではなく、自らの意思で選び取る。その覚悟を持った時、暗雲の先に一筋の光が見えてくるはずだ。
(『日本の進路』編集部 TM)
著者 孫崎享
発行所 かもがわ出版
定価 本体価格2100円(+税)
もくじ
第一章 米国支配の構図は消滅する
第二章 米国を凌駕し始めた中国経済
第三章 米中戦争の危機はあるのか
第四章 トランプの米国は今、ナチに 類似していないか
第五章 日本の対米隷属の系譜は戦後 史の理解なしではわからない
第六章 対米隷属だけで、激動の世界 を乗り切れない
第七章 米国一極支配崩壊後の日本の 選択
第八章 過去の英知と中露の考えを学 び、日本の道を考える
第九章 戦争を避ける外交の出発点は 過去の合意の尊重から
著者は「あとがき」でこう記している。
この本を記述していて、今、「一点だけに絞って日本国民に伝える」としたら何か。
それは、後藤田正晴氏の言葉である。
「いま国民全体が保守化しつつあるが、それを背景に政治家がナショナリズムを煽り、強硬な態度をとれば間違いない、という空気がある。大変な間違いをしている。米国のそばにいれば安心だというのはひとつの選択だが、中国や韓国を敵に回していいはずがない。地政学的な配慮が足らん。アジア近隣各国との友好こそが大事なことだ。」
(2005年7月13日)









