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熊本

―地域再生の鍵は、川の再生に―

荒瀬ダム撤去

環境カウンセラーつる 詳子

 2002年12月県議会において当時の潮谷義子知事が下した結論は、「荒瀬ダムは7年後直ちに撤去に入る」であった。このニュースは全国の高い関心を集めた。当時、全国でダム問題が噴出し、田中康夫元長野県知事の「脱ダム宣言」など、ダム問題への関心は高まっていた。
 わが国の三大急流の一つ球磨川の下流八代市坂本町(旧坂本村平成の大合併で八代市に吸収合併された)に位置する荒瀬ダムはそれまであまり全国の注目を集めることは無かった。今や無駄な公共事業の代名詞となった川辺川ダム建設計画が全国的にはむしろ知られている。地域住民はじめ流域漁民はこの前知事の「2010年4月撤去開始」を本当に指折り数えるようにして待ち望んできた。
 ところが、2008年6月4日、潮谷元知事の後を受けて就任した蒲島郁夫新知事が、いきなり「撤去を凍結し、継続の方向で再検討する」と発表したのである。
 一転、奈落の底へというのはまさにこのことである。この衝撃が地域にもたらした様々な問題と撤去に向けた課題を整理してみたい。
 荒瀬ダムは、昭和28年に竣工され、その効果について、発電量を県内の大工場に供給した場合、「生産の純増加額は概算45億円(年間)に達するものと思われる」とあり、時の桜井三郎知事は「熊本県の100年の大計」「私たちの子孫のために、これより他に残すべき大いなる遺産はない」「永遠の繁栄の基を築こう」と県民に強く呼びかけている。ダム建設地の住民も、「観光客が全国から押し寄せる」「電気代はタダになる」「度々起こる洪水もなくなる」という夢の様な計画を信じ、家屋移転に全面的に協力をしたのである。竣工から2年足らずで、荒瀬ダムは完成する。
 また、ダムが環境に影響を与えるとは誰も思わなかった時代、八代海の漁業者は「影響がないなら」と異論を唱える者は誰もいなかった。内水面漁協である球磨川漁協も5千万円の補償金で同意をしている。
 しかし、ダムの被害は、河口のアサクサノリ養殖にまず出た。工事が始まると同時に流れてきたセメント屑が海苔ひびに付き、海苔が成長しなくなった。当時800軒ほどあったアサクサノリ業者は1年もたたずに半減し、その後は減少の一途をたどる。2000年の諫早湾締め切りによるノリ騒動が、50年前の球磨川河口でも起こっていたのである。
 ダムサイト傍の集落では、ゲート放水時の振動により家が揺れ眠れない日々が始まる。瓦が落ち、壁がひび割れたりする被害が発生した。一方、ダムによる恩恵はというと建設当時こそ物珍しさもあって、見物客はあったようであるが、観光産業には結びつかず、電気代がタダになるということもなかった。
 そして、10年後、荒瀬ダムは「夢のダム」どころか、「魔のダム」であることを思い知らされるのである。ダムに溜まる土砂は河床を上げ、水位の上昇を招いた。また、荒瀬ダムは発電専用ダムであり、発電量を下げないために出来るだけ満水位を保っておきたいという企業の本音がある。大雨により水位が上がっても、なかなかゲートを全開しようとしない。ダム建設前は、浸水することもなかった地区や浸水しても床下までだったダム上流が床上浸水するようになった。また、ダム下流においては、一気にゲートを開けるため、急激な水位上昇とともに、ダム湖に堆積した土砂に見舞われるようになった。ダムから放出された堆積した土砂は腐った臭いを放ち、時間がたつとコンクリートのように固まる。
 ダム建設前、旧坂本村は毎年のように大水に見舞われてきた地区であったが、流れてくるのはサラサラした砂で、箒で掃き出せば終わりだった。人々は苦にすることなく、また家を流されることもなく、球磨川の恩恵で暮らしをたててきた。殆どの産業がアユや舟運をはじめとした球磨川の恵みに依るものであった。ダム建設後、産業基盤を失った地域は疲弊し、2万人あった人口は、4分の1まで減った。
 住民の「球磨川を私たちに帰してくれ」という強い願いは至極当然のものであった。平成15年3月31日の水利権更新期限を前に平成14年、旧坂本村に荒瀬ダム撤去を求める運動が起きる。坂本村議会も同年9月「ダム継続停止を求める意見書」を賛成多数で可決。荒瀬ダム撤去は、下流の八代市民、球磨川や不知火海の漁業者の願いでもあった。流域住民からの要望を受けて、自民党県議団も撤去に向けての検討を行い、12月「坂本村議会からの意見書を重く受け止め、撤去を考える」等、10項目の提言を知事に対して行うのである。
 潮谷義子前知事は、水利権更新の期限を前に、国交省との協議、地元への説明会開催を重ねるとともに、撤去・更新の双方における課題を様々な角度から検証を重ねていた。「環境立県」を掲げる潮谷元知事は、川辺川ダム問題解決に向けて自らが提案した「住民討論集会」に欠かさず出席し、住民の声に耳を傾けてきた。その結論が「7年後のダム撤去を宣言」であった。撤去に向け「荒瀬ダム撤去工法専門委員会」等を設置した。数年にわたる審議の結果工法も決定し、2年後の撤去工事が始まるのを待つばかりであった。
 蒲谷新知事が撤去凍結を打ち出すとは誰も予想していなかった。
 凍結の理由は、撤去費用が当初の予算より高くなったこと、県財政の困窮する折、撤去するより、有効に活用するべきである―すなはち使えるものは有効利用しないともったいないというものである。
 熊本県出身とは言え、長年県内に居住していない、就任1カ月後の知事が、十分に検証した結果の決断とは到底思えない。そこには、荒瀬ダムの撤去により存続が危うくなる企業局内部や、全国で水力発電の推進を願う「未来エネルギー研究会」の思惑が大きく働いていたことは否定できない。
 県の試算では撤去費用約91億、存続費用87億円。撤去する場合は九州電力が電力に掛かる費用をみることなどから県の負担は、それぞれ約69億円、約16億円であるという。しかし、調べてみると、どちらの場合も一旦は県が費用負担しなければならないので、今後3年間に負担する費用は、存続する場合が改修費用もかかり高くなる。
 何より問題は、知事は費用の比較を企業局の帳簿上の計算だけでしていることだ。ダムがなくなることによる自然環境再生による経済効果、県民の総合的な利益については、計算できないという口実で試算しようともしないことは問題である。存続すれば、電力収益で、存続費用は回収できるとしているが、荒瀬ダムの売電による収益は1年間2千万円ほどである。一方、ダム建設後開始されたアユの放流事業費だけでも毎年5千万円。八代海の再生のために行っている覆砂事業など、ダムがなければ必要ない対策費は莫大である。また、建設前の球磨川のアユを漁獲し得る収益は100億円にもなったという報告もある。撤去することにより、アユを始め八代海の漁業資源が回復すれば、漁業者だけでなくその経済波及効果は計り知れない。
 ダム撤去の先進国であるアメリカでは、撤去した場合に環境がどれだけ回復するかというシミュレーションや計算手法も確立されてきている。ダムが撤去された川の事例を検証することもできる。それによると100%は戻らなくても50%は回復するという。
 地方は、自然資源を犠牲にして、その収益の多くを中央に献上してきたといっても過言ではない。地方の経済の基盤は第一次産業であり、第一次産業を支えるのは自然であることに、もう県民は気がついているが、肝心の行政は単年度の予算をやりくりすることだけで、長期的展望で地域の経済をみようとしない。球磨川の持つ自然資源という生態系サービスこそが、この流域の再生のキーワードである。
 「魚は沸くようにいた」「干潟は砂が見えないぐらい貝類で覆われていた」昔を知る八代海の漁業者の、「漁業者は絶滅危惧種。仮に撤去による影響で一時的に魚が捕れなくなったとしても、自分たちは我慢する。撤去しか生き残る道はないのだから」という言葉が、蒲島知事の耳に届く日が、流域再生のスタートになることは間違いない。


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