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神田川を舟で行く
―江戸・東京、水利の変遷―
片岡 健

 3月29日の日曜日、千代田区日中友好協会で「お花見とエコ・ツアーで中国留学生と交流する集い」というのをやりました。飯田橋の日中友好会館後楽寮から21名の留学生を迎えて、サクラは三分咲きでしたが好天に恵まれ、この企画は勉強になったと好評でした。急激な経済成長の中国で、帰国すれば国のリーダーになるだろう留学生に、日本が通ってきた公害体験の一端を知ってもらうというのが主催者の趣旨でした。
 「都心の水辺でエコツアー」と銘打って、川や運河の歴史や環境のレクチャーをしてくれるのはNPO「あそんで学ぶ環境と科学倶楽部」です。11人乗りの電動ボートを操りながら船長の中林裕貴さんが語る《江戸から東京への水利と物流の歴史》は、東京生まれで70余年東京で暮らしてきた私自身が夢中になるほどの感動を与えてくれました。

 荒川水系や利根川水系と都心を結ぶ日本橋川は、もとはといえば江戸城の石垣に用いる巨石を運ぶために山を切り開いて作った運河でした。広重の浮世絵では、神田川の御茶ノ水付近で、人が水に足をつけて釣りをしていた様子が描かれています。
 次第に人口が増加して、都会の地面が舗装され、大雨や東京湾の潮の干満への対策として両岸はコンクリートの堤防でガードされました。けれども生活廃水が雨水とともに流れ込んで川が汚れ、落合下水処理場で汚染処理がなされてはいますが、沿岸の人々の水に親しむ気持ちが無くなりました。街のモータリゼーションが進むとともに、輸送手段としての川は忘れ去られ、土地が無いために川の上に高速道路が作られました。
 今回私たちが参加したのは「神田川・日本橋川一時間のチャーター」で、千代田区役所裏の宝田橋防災船着場と、万世橋に近い和泉橋防災船着場の区間を三班編成で一往復半しました。
 先ずA班が宝田橋を上流に向かって出発し、靖国通りにかかる爼橋(まないたばし)をくぐって三崎橋へ、ここまでが日本橋川です。首都高速の下を終始通っており、沿岸には大塚商会などの高層ビルが覗いています。ちなみにこの電動ボートはその創業者が寄付したものです。
 後楽橋の近くでT字型に突き当たったところは神田川。この川は三鷹の井の頭公園を水源として、下流は柳橋から隅田川にそそぎます。水道橋、御茶ノ水橋、聖橋(ひじりばし)、昌平橋、万世橋と、地上では何度も通っているなじみの地名ですが、水路からの眺めはカメラアングルとしても魅力的です。
 JR水道橋駅の近くに家庭から出た燃えないゴミの中継所があります。ここでダルマ船に積み込んで羽田沖の最終処理場まで運ばれます。洪水防止のために作られた川のバイパスともいえる分水路の入口がありました。分水路は道路の下を水道橋から昌平橋までつながっているとのこと。  都営三田線の工事のときにできた、きれいな湧き水の排出口もありました。近頃では街の人々によって清流をよみがえらせようと、地元小学生の協力も得て、EM菌だんご (有用な微生物の複合体)を投入するなどの努力がなされています。御茶ノ水駅の近くでは、今回ボートの上から大きな緋鯉が泳いでいるのを見かけましたが、このあたりの水の透明度は2メートルといいます。ともあれ昔の記憶にあるような、腐った臭いは一度も感じませんでした。
 しかし課題が無いわけではありません。大雨が降ると、屎尿(しにょう)を含む未処理の下水が川に流入してきます。柳橋周辺などを始めとして、公衆衛生の改善が求められます。
和泉橋防災船着場に到着したA班はB班と交替し、岩本町から都営地下鉄新宿線で九段下に戻り、靖国神社の大鳥居の下でC班と合流。花見をしながら、三班全員が勢ぞろいする区役所十階食堂の昼食会にのぞみました。
 午後は花見の本番。清水門(しみずもん)から工芸館、戦没者慰霊墓地を通って千鳥ヶ淵を九段上まで一周し、花冷えに晴れ上がったお堀のサクラを()でながら、水ぬるむ春を満喫することができました。


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