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自主・平和・民主のための広範な国民連合
『日本の進路』地方議員版26号(2005年2月発行)

米軍再編問題 沖縄・下地島空港

郡民は軍事使用に断固反対する

沖縄県議会議員 奥平一夫


中国をにらんだ軍事基地化の動き

 米軍再編の動きが顕著である。下地島空港は台湾から約400キロメートルの位置にあり3000メートル級の滑走路を持ちジャンボ機が離着陸出来る。この空港に2000年ごろから、米海兵隊所属のCH46ヘリ、KC130給油機の強行飛来が相次いでいる。米側は対テロ戦争・米比合同演習「パリカタン」へ参加途中の給油目的の飛来であると説明したが、地元では既成事実化であるとの危機感を持った。2001年には米国シンクタンク・ランド研究所が報告書「米国とアジア」で新たなアジア戦略として台湾有事に備えて沖縄米空軍増強を主張、具体的に下地島空港の使用を提言している。
 昨年夏ごろ、日本政府、防衛庁の『防衛計画大綱』策定に向けた「防衛力あり方検討会議」の中で下地島への戦闘機の配備を計画している事が明らかになった。沖縄に配備している陸上自衛隊第一混成団(那覇市)に約850人の普通科連隊を新設し、2300人規模の旅団で南西諸島への部隊配備を強化すると一部マスコミが報道した。地元では「下地島空港が軍事拠点になるのでは」と危機感を持ち一斉に反発。(島では密かに「自衛官800名の宿舎探しが始まっている」との噂もある。)10月13日、米政府がSACO(日米特別行動委員会)合意に基づく普天間代替移設が完成するまでの期間、下地島空港の使用を日本政府に提案している事がまた、一部マスコミ報道で明らかになった。さらに下地島空港使用をめぐって町村外相が「よく検討したい」(10月20日参院予算委員会)、大野防衛庁長官も「可能性を排除せず」など政府高官の様子見的な発言が相次いでいる。11月29日、郡民総決起大会開催翌日、宮古空港に防衛庁幕僚監部の自衛官と民間の輸送業者ら29人を乗せた航空自衛隊のC−1輸送機が飛来した。災害時の運用のための視察が目的という。また今年1月12日、宮古島のレーダーサイト、尖閣諸島などの視察の為衆院安全保障委員会のメンバーが自衛隊機を使って宮古空港へ降り立った。市民はこれら一連の動きに危機感を募らせている。

起こるべくして起きた米軍ヘリ墜落事故

 1995年9月5日、米兵による少女暴行事件には県民8万5千人余が怒りの総決起大会を開催した。同日、宮古や石垣でも3千人規模の集会が持たれた。これらは思想の違い、世代を超えて基地差別と基地被害に対する怒りを共有した歴史的な決起集会であった。県民の怒りを受けて日米両政府は沖縄に関する特別行動委員会(SACO)を発足させ、沖縄における基地負担の軽減をする事を県民に約束せざるをえなくなりました(「SACO合意」)。その中に米国国防長官ラムズフェルドに「世界で一番危険な基地」と言わしめた普天間基地の閉鎖移設も含まれていた。あれから8年、今尚普天間は基地として存在し、市街地を縦横にヘリが飛び交い、更に危険な状態が続いている。日米両政府はこの基地の危険性と撤去を訴える市民の声を無視し、辺野古代替施設の新たな基地建設にこだわり続けた。そんな矢先、8月14日、基地に隣接する沖縄国際大学のキャンパスへ米軍ヘリが墜落した。米海兵隊所属CH53D大型輸送ヘリで現場近くの住宅街には大きな衝撃音とともにヘリの部品やブロック破片が降り注いだ。直前まで子どもを寝かしつけていたという部屋のテレビまでコンクリート片やヘリの部品が貫通した。家の真ん前でオートバイをなぎ倒し横たわるヘリのローター片、強烈な衝撃でえぐられたアルミドアの取っ手、鋭い刃物で切り取られたような門扉。事故直後の現場周辺は言い知れぬ恐怖と怒りの住民で溢れ、黒煙や、焦げ臭いにおいが充満していた。私は事故直後、現場に駆けつけた。周囲をロープで隔離し我が物顔で現場で振る舞う米兵、普天間市長や県の首脳をさえ入れなかった現場の異常な情景に占領下の沖縄を見たのは私だけではなかったはずだ。
 この事故をきっかけに今まで複雑な利害関係で意思表示しなかった人も含め「基地は要らない」という住民の総意としてまとめ市に意見書を提出している。9月には市民集会として3万人が参加し普天間の即時撤去、新たな基地建設は要らないと決議を行っている。いまなお、恐怖心から逃れられず医療機関で「墜落事故が原因の精神的疾病」と診断された住民も多数いる。
 事故の風化を防ぐため事故で真っ黒になった大学の壁を保存しモニュメント建立を求める若者の声も上がった。復帰後に生まれた若者たちには生活の一部として風景に溶け込んでいたであろう「基地」の存在。その「基地」の存在に若者が疑問を持ち、「危険性」について発言し行動が起こっている。昨年末には大学構内で「NO FLYZONコンサート」という自発的イベントがあり5000名の若者が音楽を通して基地の早期撤去を訴え発信した。

歴史的な郡民決起大会

 11月28日、下地島空港の軍事利用に反対する宮古郡民総決起大会が開催された。
 大会には2000人余の住民が結集し軍事化反対を訴えた。この大会には6市町村長をはじめとして宮古郡、平良市選出県議会議員、6議会、各通り会、宮古地区老人クラブ、宮古連合婦人会、宮古観光協会、宮古地区PTA連合会、建設業協会、青年会議所、各労働組合等、54の組織が賛同団体となり参加した。まさに保革の枠を超えて、郡民の「軍事基地NO」の意思が一つになる歴史的な日となった。いかに下地島空港を取り巻く一連の「不穏な動き」に危機感を持ち、軍事利用に危機感を持っているかの証左でもある。「私達の生活を脅かさないでください。爆音が鳴り響く空の下で飛行機が墜落する危険性を考えながら生活するのは耐えられないです」。伊良部高校の大城真美さんの必死の叫びを、「郡民の軍事基地化反対」の総意を日米政府、防衛庁は尊重すべきでだ。「過重な基地の負担を軽減する」とした小泉首相の発言が真意なら基地のたらい回しは止めるべきである。
 下地島空港建設の際1971年当時の日本政府と琉球政府の間でかわされた「屋良覚書」(注)、1979年の沖縄県議会における付帯決議「下地島空港は、民間航空機のパイロット訓練、及び民間航空機に使用させるとし、自衛隊等軍事目的には使用させないこと」としたことは今でも生きている。沖縄県稲嶺知事もそのような認識で「新たな形での沖縄の基地負担の増大につながるものには反対していく」ことを議会でも答弁している。
 このところ、町村外相、大野防衛庁長官の発言、あるいは参議院照屋寛徳氏の質問趣意書に対しての政府答弁として「下地島空港は公共の用に供する飛行場として適切に使用する必要があり、お尋ねのようにパイロット訓練及び民間航空機以外の利用が当然に許されないという事ではない」に見られるこれらの覚書や県議会決議書を無視、歪曲しようとする政府の企みには断固として郡民上げて反対しなければなりません。
 私達の宮古島は10月1日に5市町村が合併をします。それを機に豊かな自然環境をしっかり護り安全安心で平和な宮古島、いつの時代にも子どもたちの輝く未来が担保できるような島づくりをしたい。下地島空港は平和的な利用だけにしてほしい。

(注)「屋良覚書」1971年、下地島飛行場(空港)について琉球政府の当時の屋良朝苗行政主席と丹羽喬四郎運輸相との間で交わされた文書で、(1)下地島飛行場は琉球政府が所有・管理し、使用方法は管理者である琉球政府(復帰後は県)が決定する、(2)運輸省として、航空訓練と民間航空以外に使用する目的はなく、これ以外の目的に使用させることを琉球政府に命令する法令上の根拠を持たない―と確認している。