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自主・平和・民主のための広範な国民連合
『日本の進路』地方議員版19号(2003年5月発行)

構造改革特区と新自由主義

元専修大学講師 須見正昭



 規制緩和

 行政改革の流れは、第二臨調(1981年〜83年)を境に大きく変化した。それは「小さな政府」という言葉が象徴するように、民間活力の推進により、公的部門を圧縮することにあった。例えば、臨調(第一次62年〜64年)の公社・公団等の改革に関する意見では、国鉄等の改革について、@公社総裁の責任と権限を強化し、経営自主権を確立する。A外部資金の調達(市中金融機関からの資金の調達)をはかる。B労働者に争議権を与え、労使関係について、労使の当事者能力を確立する。という答申が出されている。ところが第二臨調では、単なる現行制度の手直しではなく、公社制度に抜本的な改革を行い、民営ないしそれに近い経営形態に改める必要がある。その際、有効な競争原理が機能し得る仕組みを同時に設定する必要がある。と述べ、「〜このようにして企業性、効率性を発揮させてこそ『公共性』は確立され、達成されると考える」と極めて非論理的な結論を導きだしている(それだけにホンネがよく表れているのだが)。
 ともあれ、規制緩和の流れは次第に勢を増してきたが、第三次行革審(93年)の提言では、公的規制の多くは、戦後の復興期あるいは高度経済成長期において、「社会経済秩序の維持」「国民への生命・財産の安全確保」「環境保全や財・サービスの適正な供給」「望ましい価格水準の確保」などを図るために設けられ、公共の福祉の確保・増進に一定の役割を果たしてきた。しかし現在は民間の技術力をはじめとする社会経済情勢が大きく変化してきており、公的規制の中には、国民や企業の自由な行動や選択を制約するなど、市場メカニズムの発揮を妨げるものもでてきている。そこで国民負担の軽減、民間活力の助長等々の観点から、規制の緩和を積極的にすすめていかなければならない。と述べている。
 ところで、この段階では、規制緩和については、「生活者の立場に立って、大企業の特権を守る規制は廃止、緩和縮小を、安全や環境保護、中小商工業者の保護育成、弱者救済のための規制は強化する(広範な国民連合)」という提言も出来た。しかし90年代以降は規制を緩和することは善であり改革である。それに反対する者は、すべて抵抗勢力で、時代おくれである。という雰囲気が強まり流れは大きく変わってきたといえよう。

 新自由主義

 それに大きな力を発揮したのは、新自由主義的な考えと、それに基づく一連の政府の政策であった。新自由主義とは、市場原理に基づく競争秩序を強化し、自由競争の圧力と優勝劣敗の自然淘汰によって経済の活性化、効率化を図ろうとする思想であるが、これが学説としてとなえられているという域を越え、非議員の閣僚として、政治の場で大きな力を発揮しているところに、より一層大きな問題を生じている。市場から退場を命じられた企業は、どんどん退場していくべきだ。というのだが、他方巨大企業については、つぶれるといろいろ社会的な問題も生じるからと、何千億円もの銀行からの借金も棒引きにする。その銀行の経営が揺らぐと困るから公的資金の投入も辞さないというのである。
 中小・零細業者は、何故俺たちが経営困難に追い込まれなければならんのかと、憤まんやる方ない思いになっている。何千億円もの債権を放棄しろと言っている訳ではない。もともとそんな金を借りているというのではなくて、何千億円の金があれば、どれだけ沢山の中小商工業者が助かるかわからないというのである。だから市場が退場を命じたら、大企業もつぶれてしまうのだ、というのであれば、まだしも納得がいく。しかし俺たちは特別で、お前たちだけ市場原理に従うべきだ、なんて、いくら何でも虫が良すぎる。身勝手じゃないかと憤っているのである。
 信用組合の相次ぐ破綻や、銀行の「貸し渋り」「貸しはがし」によって資金繰りに苦しんでいる東京・日本橋の老舗の中小商工業者が、昨年9月に銀座を1500人でデモ行進して金融政策の見直しを訴えた。神奈川県川崎市でも、中小・零細企業を見殺しにするな!と地域経済危機突破をめざして、デモ行進を行った。いま地域で地方自治体などが、緊急に経済対策を打ち出しつつあるのは、すべて政府の政策の失敗を緩和するためのものなのである。
 景気が浮揚しないのは、小泉内閣の規制緩和政策が進まないからではない。進めば現在よりもっと景気が悪化することは明らかである。それにもかかわらず規制緩和にこだわり、「構造改革特区」をもちだし、構造改革特別区域推進本部を設置し、内閣総理大臣が本部長となって、進軍ラッパを吹き鳴らして、ハッパをかけている。

 構造改革特区

 この構造改革特区は、首相の諮問機関・経済財政諮問会議で、奥田碩日本経団連会長、牛尾治朗元経済同友会代表幹事、学者などが02年4月に提起したもので、経済の活性化のためには民間活力をひきだし、民業を拡大するために、規制緩和を加速する必要がある。特定の地域で大幅に規制を緩和することは、規制改革を加速するうえで有効だ。としている。政府はこれをうけ、従来の全国一律に規制を緩和するという考え方から、まずは、その地域での構造改革を進め、それを全国への規制改革につなげるというように転換した。
 ところで、構造改革特区推進室は、地方公共団体、民間事業者等に対して提案募集をしたが、集まった案は、構造改革特区が、規制緩和の流れの中から生まれたものであり、経済の活性化をねらったものであるという点を、ほとんど無視して、地方分権の推進に役立つ――特区の提案を通じ、自治体が自己決定をし、自己責任をもつようになる。と考えたり、理想にはほど遠くとも、ともかく参加し、その実績に立って、さらに注文をつけていく対応が必要だ。と考えている。
 私たちの身のまわりの人々は、円満な人が多い。政府や財界人が言う改革と、各人の心に画く改革とが、どんなに相違していても、少しも意に介することもなく、改革だ、改革だと言っている。
 新自由主義者たちは、どんなに失敗を積み重ねても、戦後日本の福祉国家をつぶしたいという一線は墨守している。しかし、どうにもならないところまできて、数少ない手段の一つとして、特区制度を打ち出しているのである。これに対応するのに微視的な視点ではなく、巨視的な立場に立って、ものごとの本質から問いただし、現状を位置づけていく必要があろう。「一体誰のための、何のための政治や行政なのか」とか「税でまかなうべき公の事務とは何か」といった根源から問いただすとき、市場主義万能の政策は、とっくに破綻していることを指摘しないわけにはいかない。

 むすび

 いつまでも前々世紀的政治に、根気よくつきあうのはやめて、紆余曲折はあるにしても、EU(欧州連合)の努力のあとや、「21世紀・日本の進路」研究会の『従属国からの脱却』に示されているようなビジョンをもとに、個々の問題を位置づけていくというように、切替えても良いのではなかろうか。財界の画くビジョンは、一握りの巨大企業にとって都合のいいことを展開している。政府は大企業優先、米国追随で、社会の混乱を拡大させる一方である。政界も財界もフーテンの寅さんのセリフじゃないが、「それを言っちゃあおしまいよ」ということを臆面もなくやってのける。一つだけ例を挙げておこう。政治献金再開の取組みである。「経済界の考えに共鳴し行動する政治家を支援する」と経団連会長は言うのだが、財界として、クリーンマネーを政界に寄付した国民政治協会やリクルート事件など、一連の過去をかえりみれば、口がさけてもと言う類の言葉を吐いているのである。