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自主・平和・民主のための広範な国民連合
『日本の進路』地方議員版12号(2001年8月発行)

憲法は日本の宝、沖縄の命

沖縄県議会議員 新川秀清


 言葉に言い表せない怒り

 6月29日に若者たちで賑う北谷町美浜地区で、20代の女性が米兵によって暴行される事件が発生しました。あの1995年の少女暴行事件以来、米兵による事件・事故は続発し、最近では沖縄市内の閑静な住宅街で駐車中の民間車両に放火する事件も起き、地域住民を恐怖に陥れました。
 復帰前の沖縄は、県民の人権はおろか思想・表現の自由をはじめ労働権等の基本的人権が無きに等しい時代でした。私たち100万県民は米軍直接支配下から平和憲法の下に帰るんだという思いで復帰運動を進め、実現させました。しかし、現状は全国米軍基地の72%が居座り、米兵による事件・事故、演習事故など基地あるが故の被害は頻発しています。私は、かつて基地の街といわれたコザで生まれ育ちました。今は合併により沖縄市となっていますが、そこの市長を2期務めました。任期中の大半は米軍への抗議に追われる状況で、残念なことに2名の市民が命を失う事件も発生しました。日・米政府が、米兵の犯罪・事故の度に繰り返す「兵員教育を徹底し再び起こしません」と言う言葉は一体なんだろう思います。今回の女性暴行事件でアメリカ大統領が詫び、米軍司令官が県知事に詫びましたが、県民は「言葉だけでの謝罪は通用しない」と憤慨しています。

 不平等きわまる地位協定

 今度の事件では、いち早く容疑者が特定され逮捕状が出されていたにもかかわらず、逮捕されたのは逮捕状が出されて5日目でした。1995年の少女暴行事件をきっかけにして、米兵の犯罪に警察権が及ばない治外法権の基地と、それを支える日米地位協定を抜本的に見直せという声が高まりました。しかし、日本政府は今回の事件でも地位協定の抜本的見直しでなく運用の改善、つまりアメリカの「好意的配慮」によって凶悪犯の身柄引き渡しは可能という見解を出しています。事件発生直後は、政府も地位協定の見直しを米国に要求すると思われたのですが、時間がたつに従って犯人逮捕をそっちのけに、議論は運用改善で行けるのではないかという態度に変わって行きました。
 今回もまた沖縄県民の「痛み」が国策によって押し潰されてしまいました。この繰り返しです。
 日米地位協定はボン協定と比べても不平等協定で、対等・平等の原則から明らかに逸脱した地位協定です。それを政府が容認していることが、米兵に思い上がった行為を起こさせていることにつながっていると思われます。そういう意味では、今の政府の外交姿勢は決して主権国家としての外交ではありません。したがって、今回の日米首脳会談にも期待はしませんでしたが、実に奇妙なことがありました。大統領と小泉さんが会った際、大統領がいち早く謝罪しました。また、事件直後地元マスコミは集団暴行事件として報道したが、ワシントン発の小さい記事では集団暴行ではないとのコメントを報じました。私は、この点に非常に疑問を抱いています。なぜ、容疑者取り調べの初期の段階であるにもかかわらず大統領がいち早く謝罪したのか。一方、集団暴行の疑いがある段階で、何を根拠に打ち消せるのか。私は県議会でこのことを問題にし当局を正しましたが、いまだにその疑問は晴れることはありません。
 9名の死者と行方不明者を出した「えひめ丸」事件は、高校実習船に潜水艦を衝突させておいて、艦長は名誉退職処分ですみ収監されることもありませんでした。アメリカ軍隊の論理での処置です。ここにもアメリカに対する日本外交の姿勢が現れています。
 もうひとつ、女性暴行事件で影が薄くなってしまいましたが、普天間基地のヘリコプターから訓練用物資が住宅地域に落下した事故があります。私は県議会の米軍基地関係特別委員会の委員としてその落下物を直に見ました。所有者は普天間基地所属の海兵隊と特定されてますが、沖縄県警は事情聴取すらできません。もし日本の航空法が適用されるのであれば、航空機から物を落とすこと自体が厳禁されているわけで、落下させた場合は当然警察が取り調べを行うであろうし、その原因が究明されるでしょう。しかし、沖縄の現実ではできません。それは日本の航空法が適用されないからです。

 とんでもない「基地を誇るべき」発言

 米海兵隊のジェームス・ジョーンズ総司令官が事件後に在沖海兵隊の駐留意義を強調し、「県民は基地の存在を誇るべき」という発言をしました。沖縄がアメリカの統治下にあった復帰前、「沖縄の繁栄は米軍によってもたらされている」と公言してはばからない高等弁務官がいましたが、彼らの沖縄の認識はその頃とまったく変わりません。また、彼らは事件・事故を起こす度に「良き隣人」として努力していることを言います。女性や子どもを傷つけ、軍用機から軍事物資を落とす彼らが、良き隣人であろうはずがありません。さらには、沖縄の文化を知らせるための兵員教育を行い交流を盛んにするといっているが、沖縄には武器を保持しない「非武の文化」の歴史があり、東南アジアの国々と平和的に交易・交流をしてきたという体験があります。そのような歴史を引き継ぐ県民には基地は要らないし、軍隊との隣人関係も受け入られないのです。米政府に言いたいのは、「沖縄の人たちがあなたがたの足を踏みつけたことがあるか、足を踏みつけ水をぶっかけるのは、いつもあなたがたである」ということです。
 私たちの真の願いは基地のない平和な沖縄です。それは沖縄地上戦の中から学び取った教訓なのです。

 事件後の新たな動き

 今回の米兵事件に伴って新たな動きがあります。
 現在、沖縄県議会は県政与党が圧倒的な数を握っています。その中で党派を超えて兵力削減を盛り込んだ抗議決議が提案され、全会一致で決議されました。犯人逮捕がなかなか進まない状況下で、本来要求項目に無かった兵力削減と基地の整理縮小を入れるということで全会一致を見ました。これは歴史的なことです。
 また、今回非常に特徴的なのは、基地の集中する中部の市町村会や議会が海水浴場や公共施設に米軍人の立入禁止と午前零時以降の外出禁止を米軍に言い渡したことです。米兵が依然として消費顧客になっている中部地域の首長たちがここまでの決議をすることは、大変な思いが込められています。公共の施設を使用禁止にするということは本来は言えることではないのですが、敢えて米軍人に対して出入りを禁止するということに至ったのです。首長として地域の住民を守っていくための止むに止まれぬ自衛手段です。
 さらに、女性たちの反応が早かったことに特徴がありました。それも、地域の女性たちがいち早く立ち上がった。政治的に革新とか保守とかということではなく、北谷町の婦人連合会が母親の立場で行動を起こしたことは大きな意味があります。それだけに、今回の事件への怒りが深く広いということです。

 今一度、立ち止まって考えよう

 「改革」を標榜する小泉政権が誕生して、得体の知れない小泉フィーバーが巻き起こっています。小泉総理は「痛みを伴う改革」といっているが、その「痛み」というのが、当面は小指程度の痛みなのかもしれませんが、しかし本当に取り返しのつかない致命的な痛み、例えば憲法改正、集団的自衛権の問題等を含めて、全身の痛みになってからでは取り返しがつきません。沖縄県の立場からいえば、真に改革してもらうべきは米軍基地の整理縮小であり、米軍への思いやりであり、対米交渉の政府姿勢です。
 いま、多くの国民は「日本は平和だ」と思っているかもしれませんが、全国土面積のわずか0.6%の小さな島に在日米軍基地の72%があり、駐留する米軍人が国民の人権・命をないがしろにすることを容認する以上、独立主権国家として世界に胸を張れる国ではないのです。
 教科書問題にしてもしかり、過去にアジアの人たちに犠牲を強いたのは明白な歴史的事実です。沖縄は沖縄地上戦・日米安保条約という国策の犠牲になっていますから、よく分かります。日本は過去に犯した間違ったことを率直に謝れる国でないといけません。そのことがうやむやにされているから、アジア諸国から非難の声が高まっているのです。大変恥ずべきことだと思います。今こそ、日本国民が大切にすべき平和憲法の意義を、じっくり考えることが必要だと思います。