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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2007年3月号

強まる教育の国家管理

教育ジャーナリスト  矢倉 久泰


 戦後教育のバックボーンだった教育基本法が二〇〇六年一二月一五日、とうとう改悪されてしまった。国民を戦争にかりたてた戦前の軍国主義教育に対する痛切な反省の上に立って「平和で民主的な市民」の育成をめざして制定された教育基本法だったが、安倍政権は「公=国家に忠誠を尽くす愛国心を持った国民」を育てる教育に変えてしまったのだ。
 この日は、同時に防衛庁を防衛省に格上げし、海外派兵を自衛隊の「本来任務」に位置付ける自衛隊法改定案も可決成立した。これによって集団的自衛権の行使に道を開き、やがて「自衛軍」創設へとつながっていくのだろう。安倍政権は「戦争のできる美しい国づくり」を着々とすすめている――。

 「国家教育基本法」ではないか

 改定基本法を「新教育基本法」と呼ぶのもシャクだ。「新」には、いかにも「良い」というイメージがあるからだ。公布の年を頭に付けて「〇六教育基本法」、それまでのを「四七教育基本法」と呼ぶ県教組もある。私は国家主義的な改定法の内実を示すために「国家教育基本法」(略して「国基法」)と呼びたい。それに対比して、これまでのそれを「民主教育基本法」(「民基法」)とする。こうすれば違いがはっきりするのではないか。
 その国基法は「愛国心」など約二十の徳目を並べて、それを教育目標に掲げている。国家が国民に身に付けさせたい徳目を法律で定めるのはファシズムであり、憲法で保障された「内心(思想・良心)の自由」に反するものであり、国基法の違憲性は明らかである。
 国基法はまた「伝統尊重」の教育をうたっている。能、歌舞伎、華道、茶道など日本の伝統文化・芸能を尊重するのはいいことだが、「伝統尊重」を主張してきた政治家や学者・文化人の意図は「ジェンダー・フリーの教育つぶし」である。彼らは男女混合名簿や家庭科の男女共修をやめろといい、夫婦別姓に反対し、あげく世界の潮流である男女共同参画型社会にもブレーキをかけてきた。「男は男らしく、女は女らしく」と、戦前の男女観、家族観の「再生」をめざしているのだ。
 また国基法は「個」よりも「公」を重視し、「公共の精神」の涵養をうたっている。これは九〇年代から右翼知識人が主張してきた「日本人は公=国家への忠誠心が欠けている」という意見を反映したものであり、「一旦緩急あれば、お国のために尽くす」という教育勅語を想起させる。
 さらに問題なのは、民基法一〇条(教育行政)にうたわれた「教育は、国民全体に対して直接に責任を負って行われるべきものである」を廃棄処分にして「教育は、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものである」と「教育の国家権」をはっきり定めたことである。これにより、法案の生殺権を握る政権政党の思うがままの教育が行われることになる。

 安倍教育観による「再生」

 今年一月二四日に安倍首相の私的諮問機関「教育再生会議」が出した第一次報告書は、国基法の具体化である。審議の段階ではかなり迷走したようだが、出来上がってみると、安倍晋三著『美しい国へ』の教育再生論がそっくり取り込まれていた。
安倍首相の教育論は、古い価値観と英国の教育政策に依拠している。後者でいえば、報告書は「国は、学校に対する独立した第三者機関(教育水準保障機関)による厳格な外部評価・監査システムの導入を検討する」とうたっているが、これは自著で紹介している英国の「学校査察機関」のパクリである。
 英国では五〇〇〇人以上の査察官を全国の学校に派遣して、国定カリキュラムどおり教育が行われているかチェックし、その学校の学力が全国水準に達していないと、閉校させるという。安倍は著書で、日本でも「教育水準保障機構」をつくって監査官を徹底的に訓練し、全国の学校を査察して、問題校には文科大臣が教員を入れ替えたり、民間に移管を命じることができるようにする、と述べている。その「機構」が報告書に書き込まれたのだ。
 報告書には、ほかにも安倍教育論が顔を出しているが、誌面の都合でカットする。


 教員に「愛国心」の研修か

 では、国基法の実施で教育現場はどうなるのか。すでに「愛国心」や「伝統尊重」の教育が現行学習指導要領や「心のノート」に記載されるなど、国基法は先取り実施されているが、これがさらに強化されるだろう。改訂される学習指導要領に基づいて教科書が編集され、検定で内容がチェックされる。こうした教育を推進するために教員研修が強化されるだろう。「愛国心はこのように教えよ」と指導を受けるわけだ。
 また「伝統尊重」のために、ジェンダー・フリーの教育が規制されるとともに、男女混合名簿が禁止されるかもしれない。
 一方、「再生会議」報告書が実施されれば、高校で奉仕活動が必修化される。大学を九月入学にし、入学前の半年間、奉仕活動をさせることになる。これも安倍案である。
 さらに問題なのは、国の教育委員会に対する管理強化である。報告書によると、国が教育委員会のあるべき姿についての基準や指針を示すとともに、新任の教育委員に対して国の研修を義務付ける。さらに各県に教育委員会を外部評価する評価委員会を設け、それを国が評価して勧告できるようにするという。
 学校への監査といい、教育委員会への評価といい、これまでにない教育の国家管理。規制緩和・地方分権どこ吹く風といった様相である。

 国基法を「骨抜き」にする

 では、こうした動きにどう立ち向かうか。一つは、これらの制度化に向けて教育関係法(三三本あるという)が改定される段階で、悪法化させない取り組みである。改定法案の作成段階から文科省に深くコミットし、ブレーキをかける。国会審議では修正要求をし、最後は附帯決議で歯止めをかける。
 その一方で、国基法の「改正」を求める運動に取り組む。教育学者の大田堯先生は、元の教育基本法の前文と第一〇条(教育行政)の二条だけ残して「教育条件整備基本法」にすべきだと提案されている。私の案は、元の教育基本法の前文の「日本国憲法の精神に則り」の部分に「子どもの権利条約の精神」を追加、さらに「教育の機会均等」条項に「障害による差別禁止」を挿入し、「義務教育」の年限を「九年」から「一二年」に延長し、高校教育を義務化するというものだ。これを国会に要求していく。
 学校現場では、国基法を「骨抜き」にする取り組みを行う。たとえば「愛国心」。私は平和憲法を掲げる日本国を愛している。その憲法を改悪しようとする動きを阻止するのも愛国心の発露だと思う。「伝統尊重」しかり、「公共の精神」しかり。これらについて私たち市民の側の考えを示して、教育を構築していくことが必要だろう。そうしないと自民党が意図する「愛国心」等がグイグイと教育現場に押し込まれてしまうことになる。
 強化される国家主義教育を粉砕する力がない現状では、市民の側が同じ土俵に上って智恵と戦略を駆使して教育の主導権を握ることが必要ではないか。