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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2006年1月号

代表世話人からの新年メッセージ

米国従属を脱却し、アジアの共生を

片岡 健


 戌年の二〇〇六年々頭に、初夢ならぬ自分の《悔恨の幼少年期》の実像をあらためて想起した。小学校は国民学校に改称されていた。校門が近付くと、御真影が置かれているという校長室の方向に頭を向けて歩調をとる。御真影すなわち天皇の写真のことである。
 天皇が治める国、万世一系の天皇に統帥された日本の歴史=「君が代」は、さざれ石が流れのなかで巌になるまで、千代に八千代に継続すると教えられた。海にいけば屍が水に浸かり、山にいけば屍が草むらに打ち伏すとも、大君の辺にこそ天皇陛下万歳と叫んで命を捧げよと歌わされた。もっとも万葉集の大伴家持を典拠とする後段の歌詞の文字も意味も、十歳ころの私にはまったく理解できていなかった。ただ歌詞を諳じて声をはりあげて歌った。けれども、神の国日本の必勝不敗の寓話は、鎌倉時代の元寇を例に教えられたことにより、まっこと信じ込まされた。
 敗戦前年の夏休みに始まる、長野県松本郊外の温泉地での学童集団疎開の体験は、蚕のサナギを食べシラミを取るなど、あの時代としてはむしろ楽しさの思い出がまさり、翌年二月の中学受験でピリオドになった。
 一九四五年敗戦とともに、連合軍がGHQを皇居前に構えた。天皇の戦争責任を問わなかった占領政策にコロッと騙されてマッカーサーに感謝し、いつのまにか敗戦を終戦といい、アメリカの豊かさに、あこがれすら感じたのが、私の《悔恨の幼少年期》である。
 さて、今日の自分形成に契機となったのは、一九四九年に十六歳で父の病没と岩波書店入社=労働組合に加入したこと、五〇年代後半に松川事件救援活動に携わったこと、六〇年秋に中国を訪問し、六六年に始まったプロレタリア文化大革命の概念から受けた決定的な影響が挙げられるが、仔細は省略する。
 いま、ふたたび古事記の神話と史実が不分明な「つくる会」の教科書を読んで《悔恨の幼少年期》の再来に慄然たる想いである。天皇の軍隊=皇軍の名のもとに、朝鮮半島を植民地支配し、中国東北地方に傀儡「満州国」をつくって君臨し、全面的な中国侵略戦争へと展開してきた近代史を、どの面さげて「日本の自衛のための戦争」というのだろうか。昭和の国民精神統合の中心に靖国神社があった。修身の国定教科書で、《忠君愛国》の少国民を育てるために靖国神社が使われた。名誉の戦死をとげた兵士を、「英霊」として天皇の名で靖国神社に祀ったのである。
 小泉は韓国や中国にいつか自分の真意が判ってもらえるなどと言っているが、この二枚舌の小泉が、腹の底でなにを考えているかは、彼がブッシュと何を語り、日米安全保障協議会(2プラス2)で何を話しているかでよく分かる。二〇〇五年二月には共通戦略目標に「台湾海峡を巡る問題の平和的解決」を初めて文章化した。今年の2プラス2では米軍再編に自衛隊が組み込まれて、日本は再び戦争の道へ入り込む。
 小泉の計算式は、中国や韓国の人びとの反日感情・反日行動を煽ることで日本の世論を挑発し、これによって憲法九条二項の改悪に好条件を作り出すという老獪な手口である。