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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2005年10月号

「民営郵政・経済活性化」の幻想と切迫する財政破綻

中京大学経済学部  河宮 信郎



 選挙結果と郵政民営化

 九・一一の総選挙で、小選挙区における自民・公明の得票は三千三百五十万票、それ以外の得票は三千四百五十万票である。つまり、自公連立政権は得票で過半数に達していない。しかし、当選議員の比率は二百二十七対七十三であった。小選挙区制度の死票化作用がいかに烈しいかがわかる。
 ところが、野党第一党の民主党には、郵政民営化にも改憲にも賛成の議員が多い。まさしく、自民党と基本政策が同じであるから自民党に敗れたともいえる。ここまで考えると、「民意」は「郵政民営化」を是としたといえるであろう。そして、小泉首相は「郵政民営化」に突き進むほかない。その結果、なにが起こるか。
 まず「郵政民営化」法案の内容が混乱し、「なにが民営でなにが国営か」ということ自体がわからなくなるにちがいない。おそらく「民営企業」という名の国策会社をつくることになるであろう。じつはそれさえ難しい。郵政民営化法案の成立・施行を待つ間にも、財政破綻が顕在化すると考えられる。

 小泉政権による
 民間資金の吸い上げ


 「民の資金を官に流す」のがわるい(経済効率を阻害する)と小泉・竹中コンビは主張する。郵政民営化はむしろ手段であり、真の目的は資金の流れを官から民に移すことにあるという。しかし、小泉財政は民間資金の吸い上げで成り立っている。じっさい、小泉政権は在任四年間に、百四十六兆円の国債を発行し、〇六年度の予定も合わせると百八十兆円になる(このほかにドル買い用の短期国債を大量に発行)。
 要するに小泉首相は、「借金大魔王」と自称した小渕首相以上に「民資」を吸い上げてきた。その当事者が「官(政府)に資金を回すな」と主張している。もし「官」が「民」の資金を吸い上げるのがわるいとすると、「官の長」である政府が民の資金を吸い上げることもわるいはずである。政府は「民資」の大量吸収を止める気があるのか、それならなぜ四年間も「民間資金の吸い上げ」に専心してきたのか。
 現に「実行中の政策」と正反対の方針を、「政策目標」として掲げることが許されるのか。またその「目標」を選挙民が、変だと気づかずに支持してしまったら、政治はどうなるのか。これまで「国が郵政を支えてきた」のではなく、「郵政、つまり郵貯・簡保」が国家財政を支えてきた。「国営郵政」ではなく、「郵政」依存国家、「郵営国家」というのが日本国家の実態であった。その郵政を小泉首相が「ぶっこわす」とすれば、当然政府財政がぶっこわれる。
 したがって、この「郵政民営化」はとてつもない自己矛盾を抱えている。現実の施政は「民資の大量吸収」、改革の目標は「民への資金還流」、そのための手段が「郵政民営化」である。この「三つ巴」が互いに矛盾していることを以下で説明したい。この三項の相互矛盾から、日本の財政・金融にどのような問題が起こるであろうか。

 郵貯簡保の自然収縮―
 虚構と化した「民営化」


 郵政民営化を掲げて小泉政権が登場する前に、郵政という「官に回る資金経路」に異変が生じていた。郵貯簡保は資金縮小に転じ、かつてのように赤字財政を補填できなくなったのである。一九九〇年代を通して郵貯資金は通算百二十四兆円増えた(この増え方にも問題があったが)。それが一九九九年に二百六十兆円の頂点に達し、以後毎年六〜十兆円の割で減り始めた。後十年余で百兆円減り、一九九〇年の水準に戻る勘定である。資金を得る政府側からいうと、郵政は九〇年代に通算百二十四兆円の収入をもたらし、反対に二〇〇〇年代の十数年間に百兆円の支出になるだろう。「官」側の収支でみると、通算して二百二十兆円以上のマイナスになる。
 戦後伸び続けた郵貯簡保の資金がなぜ縮小し始めたか。不況長期化による所得減少などのため引き出しが増え、∧預け入れ+利子∨を超えてしまった。また団塊世代が「貯蓄する階層」から「貯蓄を取り崩す階層」に移行しつつある。このため、年十兆円規模の「払戻し原資」つまり現金準備が必要となった。簡保もまた、新契約による入金よりも契約者の死亡による支払いが増える時代になった。いまや郵政公社は資金の需要者である。
 この変動は社会構造上に生じた傾向で、政策で動かせるものではない。そして、この変動が国家財政を根底から揺るがす。過去百三十年間、敗戦後の異常期を除いて、郵貯簡保は「税外国庫収入」であった。しかし、「収入」扱いにできたのは増え続けたからである。逆に収縮に転じれば、「支出」になる。すなわち、預金高の純減分は「予算外の国庫支出」でまかなう必要が生じる。それはなぜか。
 郵政公社は、預金者の預金払い戻しに現金を用意しておく必要がある。このとき、他の預金者から「預かる」現金を「引き出し」に回してすむならば問題はない。しかし、新預金をすべて払い戻し原資に充ててもなお足りないときはどうするか。資産(主に国債)を売って現金にするか、借り手の財務省から預託金を返してもらうしかない。しかし、どちらも財政的には許されない。なぜか。

 郵貯簡保の資金枯渇と
 財務省の預託金操作


 郵貯簡保が、払い戻しの現金確保のために国債の売り手に回ったら、国債暴落は必至である。郵政が年十兆円もの売りを出したら、日銀の買いオペ額年十四兆円の七割に達し、市場攪乱は必至である。だから、総務省と財務省はたとえ郵政を民営化しても、国債の管理を続けることに合意した。これは、民営・郵政会社の資産を政府の管理下に置くことを意味する。「民への資金還流」はあり得ず、「民営化」を名目だけに止めざるをえない。
 他方、財務省は「預託金を現金で返す」義務を負っている。しかし、財務省には現金も資産もない。郵政からの預かり金は、国債購入や特殊法人への貸し出し、手元には借金の証文(債権)しかない。財務省はこの窮地にどう対処しているか。財務省は、特異な借り換え方式を案出して当座を凌いできた。それは預託金をいったん郵政に返済し、その金で国債を買わせるというやり方である。これによって、郵政の資金は官(財投特別会計)から官(国債基金特別会計)に回るだけになり、一円も民間には回らなくなっている。
 内閣府が「民に回る」と試算した資金はこの預託金返済(の一部)である。財務省の預託金操作で、この「内閣府の試算」は白昼夢と化している。財務省はこの資金を巧みに官に還流させている。
 他方、預託金の逓減は郵貯にとって致命的である。なぜなら、預託制が国債より高い金利を自動的に保証していた。それがなくなれば、郵貯簡保の唯一の収益源がなくなる。だから、「民間でより高利の運用先を探すはずだ」というのが内閣府の思惑だった。その道を財務省が塞いでしまった。財務省は財源確保に必至で、「郵政民営化」は迷惑千万、これを骨抜きにする以外にない。
 郵貯は、国債の売り食いも許されず、預託金利子の稼ぎも次第に失い、収入源は低利国債の利子だけになる。政府は、国債の利子も国債で調達した資金で払う。その国債を買う力が郵貯簡保になくなった。
 要するに、郵政は「官」に金を流す力さえなくした。ということは、「民営化による資金フローの改善」という政策目標がすでに虚妄であることを示す。この核心的な問題が、来るべき民営化法案の国会審議できちんと議論されるであろうか。
 しかし、財務省の預託金操作もあと二年余しか続かない。預託金の「返済」が完了し、預託という制度が消滅するからである。これは二〇〇一年の「財投改革」の結果である。
 これは待ったなしのタイムリミットである。ここで郵貯簡保は預託金利子という収益源を失う。相手の財務省は預託金操作による資金調達ができなくなる。そしてこれに代わる赤字財政の補填策が見出せない。これでは「郵政民営化」に必要な準備金がどこからも出ない。

 虚構と化した郵政民営化

 郵貯簡保の「資産」は九割がた国公債と財務省預託金である。そして預託金部分は財務省の操作で国債に代わりつつあるが、両者の和が九割という構造は続く。低利の固定金利債権を主たる資産とする金融機関は本質的に「不健全」である。なぜなら、わずかな金利上昇でも巨額の資産減価が起こるからである。
 国際決済銀行(BIS)は近年この危険性を銀行評価に取り入れることにした。BISは従来国債保有に甘かったが、それを修正しようとしている。〇六年末にBISが導入する新国際ルールでは、「債権を大量に抱える銀行」を規格外とみなし、「当局の監視・指導下」に置くよう要請する。この新ルールのもとでは、郵政は「民営化・会社設立」と同時に「当局の監視・指導下」に置かれるであろう。しかし、歴代政府は、郵貯簡保の資金を食い荒らし、国債だらけにした元凶である。この政府に監視・指導を任せられるものか。 
 さらに、郵貯簡保が民営会社になるためには、「自己資本」を積まなければならない。郵政公社の総資産は三兆ドル(郵貯二百十四兆円、簡保百十九兆円)、世界最大の金融機関である。これに見合う自己資本は国内行でやるにしても十五兆円程度必要である。その前に、郵貯簡保には、財政赤字、採算なき公共事業、金融損失、旧国鉄その他の特殊法人の累積赤字など官・民のあらゆる損失が溜まっている。銀行業界が自己負担すべき預金保険機構の資金不足までカバーしてきた。これら数十兆円に及ぶ不良債権を民営化の前に清算しなければならない。一体だれが郵貯簡保に溜まった損失を補填しかつ新規の自己資本を注入できるのか。まさか不良債権処理費と自己資本注入を国債でまかなうわけには行かない。
 本当は国債自体も償還を期しがたい不良債権である。ちなみに、CitigroupとみずほFGの総資産が各一兆三千億ドル、郵貯簡保を救済したり、吸収したりする金融機関は存在しない。やったとたんに自分が危なくなる。

 まとめ

 現実の小泉財政は「民資の大量吸収」で成り立つ。その政権が「民への資金還流」という「改革目標」を掲げる。現実の施政と政策目標が正反対である。この「改革目標」に、自・公・民三党から、マスコミ編集者、経済評論家、さらには金融業界を含む財界までが期待を寄せているようにみえる。この広範な「共同幻想」が「郵政民営化」への動機である。しかし、現実の郵政は「民に資金を回す」どころか「官に資金を供給する」こともできなくなった。郵政が資金縮小に転じたからである。かつて官への資金供給(赤字財政補填)を一手に担ってきた郵政の機能麻痺は、財政破綻を不可避とした。財政破綻は国債の消化困難・価格崩落を通して金融危機につながる。「郵政民営化」というパンドラの箱から出てくるものは財政・金融の連鎖危機であり、それが小泉政権の置き土産になるであろう。九・一一は民主党まで巻き込んだ翼賛選挙になったが、真の政治的争点はここにある。