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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2005年9月号

障害者自立支援法案の廃案を歓迎する

障害当事者の望む自立支援法を実現しよう

自主・平和・民主のための広範な国民連合・神奈川世話人  岩佐 晴夫


 はじめに

 私は一九六〇年から三十八年間、神奈川県立高校の畑で勤務し、九八年に定年退職した。現役最後の六年間は校長を務めたのだが、校長二年目の春にいわゆる知的障害を持つ生徒の入学に関わるということがあり、このことが縁となってその後「障害児を普通学校へ・全国連絡会」という団体との付き合いが始まった。
 障害を持つ生徒で高校へ進学したいと強く希望する者は多いが、能力主義・適格者主義の「選抜制度」が彼らの前に大きく立ちはだかってなかなか入学できないのが実状だ。この状況は私が校長として関わった一九九三年から現在まで十年余の間、ほとんど改善されないままといっていい。 
 能力主義が障害当事者の願いや希望を阻むのは高校入学に関するときばかりではなく、義務制の小中学校でも同様で、地域の普通学校へ行きたいという意に反して、就学時健康診断の結果、養護学校や特殊学級への振り向けを迫られたり、学年進行の中で転校を強要されるケースも後を絶たない。
 障害を持つ子どもも持たない子どもも、共に同じ場を共有して教育を受けさせる「統合教育」が世界の趨勢となっているのに対して、わが国は障害を持つ子どもと持たない子どもの場を分けて教育を受けさせる「分離教育」を基本に据えた教育制度にしがみついている。
 盲ろう以外の障害を持つ子どもの教育権を基本的に認めてこなかったわが国の教育制度の中に養護学校義務化が導入されたのは一九七九年のことだったが、その義務化と同時に、義務化に反して地域の普通学校で学びたいという障害当事者の素朴で純な願いが生まれ、今も続いている。
 この願いを共通のキーワードにして一九八一年に結成されたのが「障害児を普通学校へ・全国連絡会」であるが、ここに結集する皆さんの地道な努力の積み重ねによって少しずつ『共に』が実現し実践されている現状にある。
 私が東京・世田谷にあるこの全国連絡会の事務局に週一回ボランティアで出向くようになったのは二〇〇四年一月のことで、まだ一年半余に過ぎないが、この間全国の会員や関係団体から寄せられる二百五十種ほどの会報や資料に目を通すことによって門前の小僧的学習の機会を与えられてきたように思っている。

 障害者施策の流れと障害者自立支援法

 二〇〇〇年の社会福祉基礎構造改革の一環として身体障害者福祉法等が改正され、障害者福祉サービスについては「利用者の立場に立った制度を構築する」という謳い文句で「措置制度」から「支援費制度」に切り替えが図られ、二〇〇三年四月から始まった。措置制度は介護保険の導入によりその対象とならない六十五歳未満の障害者に対するサービスで、主体的に行政がサービス内容を決める仕組みとなっていた。
 これに対して「支援費制度」は、障害者自らがサービスを選択し、事業者である地方自治体との対等な関係に基づいて契約によりサービスを利用する趣旨だと当局はいうのだが、制度運用上の制約から「措置制度」の元では受けることのできたサービスが「支援費制度」になって利用できなくなるケースも出て、大いに物議を醸した面もあった。
 しかしこの支援費制度が知られるようになると、それまでサービスを受けることのできなかった障害児者がホームヘルプサービスやグループホーム等の居宅サービスを利用することができるようになって利用者が増加し、そのままでは支援費制度を維持することが難しくなるほど、費用が増大した。
 また、支援費制度には@支給決定の際の基準に欠ける、A利用状況の地域差が大きい、B精神障害者が対象から外されている、など解決すべき課題も多く、支援費制度に代わる制度の確立が急がれる事情が生じた。

 障害者自立支援法は障害者自立阻害法か

 障害者自立支援法は「今後の障害者保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)」という大それた名前を冠せられて二〇〇四年十月に登場した。
 それまで縦割りだった身体・知的・精神障害のサービスを一元化し、市町村を主体として国と都道府県が重層的に支える仕組みを整えるものという触れ込みがついて世に現れたが、その内容が明らかになるにつれて当事者や当事者団体から「これは障害者自立阻害法ではないか」という声が上がるほどの悪評だった。
 まず、法の目的を規定している中で出てくる「障害者および障害児がその有する能力および適性に応じ、自立した日常生活または社会生活を営むことができる」という言い方は障害児の分離教育を進める際に使われた表現そのもので、法が障害児者の地域からの隔離を目指しているのではないかと勘ぐられても仕方がない。また、二〇〇四年の障害基本法改正において「自立への努力」という表現が削除されたのだが、この自立支援法ではその改正点が踏まえられているとは言い難い。
 続いて、支給決定の仕組みが大きく変えられようとしていて、審査委員の任命にも障害程度区分にもヘビーユーザーに対する個別審査にも問題があるのだが、とりわけ大きな問題は「サービスを利用する当事者の意見表明の機会」がほとんど保障されていないことだ。
 法律では「市町村審査会が必要と認めた場合は当該の障害者から意見を聞くことができる」として、審査会による意見聴取について規定がなされるばかりなのだ。
 何故かこの国では肝心なところへ来ると当事者の意向が蔑ろにされて、専門家とか学識経験者とか行政側とかの意向が重きを持つ悪習が跋扈(ばっこ)する仕掛けになっている。
 例えば、二〇〇三年三月に出された「今後の特別支援教育の在り方について」という最終報告の中で、「子どもの個別のニーズに応じた支援計画を重要視する」と謳っているのだが、当事者である子どもや親のニーズそのものが尊重されるのではなく、教育をする教師の側が捉えた「子どものニーズ」が尊重されるのだという。教育者の把握したニーズは教育者の教育ニーズであって、子どものニーズでないことはいうまでもない。
 自立支援法案の悪評の極めつけは、「負担の見直しを行い、これまでの応能負担から応益負担の原則を導入して、福祉サービス・医療とも一割負担とすること」に集中する。
 この九割給付一割負担の仕組みの中で低所得対策として減額措置を規定しているのだが、「同一生計の収入の元での低所得対策」という位置づけで、実質的に障害者基礎年金一級月額八万三千円の場合サービスの一割負担の上限は月額二万四千六百円、同年金二級月額六万六千円の場合同じく月額一万五千円の負担となり、その上、食費や光熱水費が原則自己負担となるのだ。これは福祉サービスを利用する場合のことであって、医療を受ければ同じような一割負担が当事者にのしかかってくる仕組みなのだ。
 このほか、この法案には@介護給付・訓練給付・地域生活支援事業の三つに分かれる中で前二者が個別給付であるのに、地域生活支援事業だけが市町村事業で裁量的経費のままである。移動介護のほとんどが個別給付から外されて地域生活支援事業の中の移動支援事業として市町村に押しつけられようとしていること、Aグループホームについて、重度向けをケアホーム、中軽度向けをグループホームに再編しているが、このうちケアホームについては「地域での生活」の概念がすっかり欠落していること、という二つの大きな問題点も指摘されている。

 障害者のニーズに正対する支援法を

 当事者抜きで法案の上程がなされたことに対する二〇〇五年二月の抗議行動に続き、五月には九千名の障害当事者日比谷公園に結集して二千名の国会請願が行われた。七月には歴史に残る一万千名規模の国会請願デモが取り組まれ、「このままの自立支援法では自立できない」という悲痛な声が国会を包み込んだ。全国至るところでシンポジウムが開かれ、地元議員への要請行動が組織された。
 何故こうした動きが生まれたか。これまで「どんなに重度の障害があっても地域で当たり前に暮らせる」ことを目指して、障害当事者やその支援者による取り組みが進められてきた。しかし自立支援法案は、こうした取り組みの中で築き上げられてきた障害者の地域生活を根幹から揺るがすものだからである。
 そして自立支援法案が持つ問題点は一部を取り出しただけでも上記のとおりで、自立支援法の名に値しないことは論を待たない。
二〇〇五年八月八日、突然の衆議院解散によって法案が廃案となったことを手がかりに、障害当事者が心から期待する「自立支援法」を実現するために全力を傾けようではないか。
 上に見てきたように、障害児者の課題は決して障害当事者だけの問題ではなく、優れて全市民全国民の問題だといっていいだろう。社会的弱者の人権が軽視され、権利が剥奪されるのを傍観しているならば、いつそれがすべての市民国民の身に降りかかってくることになるか分かったものではない。
総選挙の結果を受けて開かれる国会に厚生労働省当局が、再度この障害者自立支援法を上程してくることは明かであり、私たちはこの法案にかえて障害当事者の心から望む支援法を成立させるために知恵と努力と力を結集しようではないか。