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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2005年7月号

−朝鮮人遺骨問題シンポジウム−

遺族の思いを共有しよう、日本政府は情報公開を

東京朝鮮人強制連行真相調査団代表  西澤 清



遺族の苦しみ

 「父を探してください」・・・韓国からこの集会のためにはるばると来られた崔洛(チェ・ナックン)さんの話が始まった。会場は静まり返った。
 六月十一日、日本教育会館で朝鮮人強制連行真相調査団主催でシンポジウム「今、強制連行犠牲者の遺骨はー北海道から九州まで」が開かれた。会場は、全国から参集した人々(とりわけ若者が多かった)で埋まった。
 崔洛さんの話を要約する。
 「植民地時代の生活は貧しく、ソウルでは生活できないため、私の家族は農村へ行った。しかし、貧しさは変わらず父は家族を置いてソウルに出稼ぎに行った。そして、一九四二年、二十七歳のときに徴用され日本に渡った。一九四五年九月に帰るという連絡がきてそのまま帰ってこない。母一人が一生懸命子どもを育てたが私たち家族の生活はますます苦しく、私は学校にも行けず、負担をかけないために家を出て駅前などで野宿した。教会で靴磨きの仕事を紹介され飢えをしのいだ。日本を恨んでも事態は変わらないと仕事に没頭し、頑張って会社を経営するようになり家族全員をソウルに呼んだ。しかし、母の心は埋まらない。これは物には替えられない。
 母は、八十八歳になったが、今でも『父は帰ってくるのかね』と聞く。しかし、私には探す手段がない。私は一九九一年に韓国の遺族団体に死亡を確認してくれるように書類を提出したが、韓日の協調がなく調査は進んでいない。
 父は死亡していると私は思うが母は信じない。母のショックを考えると死亡申告を提出できない。戸籍上の整理ができない。母が没したとき一緒に出したいと思う。父については日本から送ってきた写真一枚しかない。これが父の思い出である。写真の裏には第一協和訓練隊員、昭和十七年九月十三日記念撮影と書かれている。手がかりはこれしかない。父の消息を知りたい。日本の方に探してくれるようお願いしたい」
 ついで、共和国からは、旧日本軍に徴用されレイテ島で戦死した金正表(キム・チョン・ピョ)さんのご遺族金勇虎(キム・ヨン・ホ)さんの証言がビデオで放映された。この方は、昨年九月に私たちの運動の中でご遺族であることが判明、東京で行われた祐天寺での追悼会に参加をお願いしたが、日本政府の事実上の入国拒否にあった。彼の証言も、亡くなった母は父の戦死を知らず待ち続けた。郵便配達がくるたびに父の消息を期待し、扉が開く音がすると父が帰ってきたといっていた。こうした状況だから父の祭祀も行えないできた。そうした中で母は亡くなってしまった。と不明のままで放置された遺族の苦しみを証言した。

真相調査団の取り組み

 ついで、基調報告を洪祥進(ホン・サンジン)(朝鮮人強制連行真相調査団)が行った。遺骨問題を解決するために必要なことは真実を公表し遺族の心痛を共有することから始まる。そして、遺族の心痛を作り出しだしたものの責任を明らかにすることが必要で、真相を究明する際に忘れてならないのはこうした一連のことが国策としてなされたことである。昨年、十二月に祐天寺の追悼会・シンポジウムから遺骨問題が重要な課題であることが改めて認識され、十二月には韓国ノムヒョン大統領から小泉首相に調査を申し込まれ、日本政府はそれ受けた。今年の三月一日には韓国大統領の独立記念日演説があり、四月には国連人権委員会に提訴、五月五日には韓国から調査団が日本にきた。こうして動きが広がってきたが、日本政府の調査は、外務省がわずか百社の調査を行うのみである。そこで強制連行真相調査団は全国にホットラインを設け、寺院調査を行い、さらに真相を明らかにすることにしている。
 ついで北海道(室蘭光昭寺の遺骨返還問題)、埼玉(金乗寺の遺骨問題)、岐阜(埋葬許可書の発見)、岡山(埋葬許可証から本籍確認)、山口(海中炭鉱に放置されている遺骨)、福岡(日本と朝鮮を結ぶムクゲ堂=納骨式追悼堂)の報告があった。日本政府が放置した中で、各県・地域の良心的な人々が知恵を出し合って真相を明らかにし友好を深めようと努力している取り組みが浮き彫りにされた。
 一体、現在、日本に残されている朝鮮人犠牲者の遺骨は何体あるのか。集会では新たに発見された厚生省(一九六二年度当時)の「大東亜戦争下における勤労状況」からの資料が発表された。そこでは、死亡等の数として四万六千三百六+α(一九四五年四月十八月)という数が示されている。しかし、当時の「警保局統計」によれば朝鮮人戦災者は二十三万六千三百二十人とあり、一九四四年だけで強制連行者は十六万人であるので、このαの数ははるかに大きなものになるといえる。これらは、日本政府がいまだに当時の資料を公開していないのでわからないのが実態である。

日本政府の責任

 最後に、次のように西澤がまとめを行った。遺骨問題の基本は「遺骨は本人と家族のもの」という基本にたって、遺族の苦しみを共有することから始まる。日本政府が真に遺骨問題を解決するためには、まず、遺族の意向に沿って手立て(礼)を尽くすべきである。それを前提にして、1日本政府は資料を全面公開すること、2朝鮮半島全体(韓国・共和国)を視野に入れた遺族探しをすること、3遺骨の本人確認(DNA鑑定を含めて)をきちんとすること、4敗戦後凍結し日本政府に供託させた賃金、葬祭費、軍人恩給・年金などの遺族への支払い、5遺族確認なしに靖国神社に合祀した(金正表さんの遺骨は何故か一九五九年、昭和三十四年に合祀されている)責任をどうするのか、などの問題を指摘した。
 集会は、「遺族と思いを一つにし、朝鮮人強制連行犠牲者の遺骨問題の真相を明らかにしよう」というアピールを採択して終わった。