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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2005年6月号

各地の集会・取り組み

三重/沖縄/神奈川/長崎


三重

参加者に感動与えた
ピースネット5・3市民のつどい


 「自民党をぶっつぶす」と豪語していた小泉首相は、郵政民営化でつまづき、国民生活やアジア諸国との友好関係をもぶっつぶしています。私たちが世界に誇る平和憲法までつぶすつもりのようです。こうした危険な流れを許していては、日本の将来に取り返しのつかない大きな禍根を残してしまいます。県民各層の人々が手を携え協力して運動を盛り上げることが、今こそ必要だとの決意で三ヶ月前から実行委員会を組織して準備してきました。
 今年で四回目になる「ピースネット5・3市民のつどい」は、実行委員会の幅も広がり、二十四の市民団体と四日市市をはじめフォーラム平和・三重や三重県教組北勢高支部の後援も受けました。二月の川崎市での取り組みに学び駅頭でのビラ配りや、近隣の大学へのPRにも力を入れました。第二部の朗読劇では、女性と戦争をテーマに「関西芸術座」のみなさんに出演していただきました。沖縄や広島での惨状を演じる「語り芝居」は参加者に感動を呼び起こしました。ロビーでは、沖縄米軍ヘリ墜落事故の写真展や辺野古でのボーリング阻止闘争のビデオ上映。そして六十年前の空襲の惨状を若い人たちにも知ってもらおうと「四日市空襲展」も同時に開催しました。
 二百五十人のほぼ満席になった会場では、マスコミ各社も駆けつけ、憲法記念日のイベントとして関心の高さが見受けられました(写真上)。安田純平さんの講演は、イラク現地の実情や真実を伝えない報道のあり方を現地での写真を映しながら説明して、各国のジャーナリストが身の危険を賭して、かろうじて真実を伝えている現状を語ってくれました。また、スマトラ沖地震のアチェをめぐる国際支援のあり方にも触れた新鮮なものでした。最後に会場から若い人たちの質問もあり、時間を大幅にオーバーする熱気あふれる講演会でした。


沖縄

二万四千人が普天間基地包囲

 沖縄本土復帰三十三周年の五月十五日、宜野湾市で四度目の「普天間基地包囲行動」が行われ、沖縄県内外から参加した約二万四千人が普天間飛行場の周囲約十一・五キロを「人間の鎖」で包囲しました。沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した昨年八月から九カ月。米軍再編協議がヤマ場を迎えるなか、参加者は日米両政府に対し、普天間飛行場の即時閉鎖・撤去と米軍基地の県内移設反対をアピールしました。
 その後、「普天間基地撤去・基地の県内移設に反対する県民大行動県民大会」=普天間基地包囲行動成功宣言県民大会が、宜野湾市の海浜公園野外劇場で開かれ、約七千五百人が参加しました。1.普天間基地の即時閉鎖・撤去、2.名護市辺野古沖移設の断念・県内移設の反対など大会決議を採択し、今後の闘いの決意を固めた。


神奈川

歴史を鑑として、日本・中国・
アジアの平和に向かう

 五月二十二日、日中友好神奈川県婦人連絡会結成三十周年を記念して、シンポジウム・戦後六十年「日本・中国・アジアの平和を考える」が県民ホールで開かれ、約百四十人が参加した。
 シンポジウムは、日中友好・平和・女性をテーマに、中華全国婦女連合会国際連絡部アジア処の盧亜民さんと張広雲さん、「戦争と女性への暴力」日本ネットワークの西野瑠美子さん、宋慶齢基金会日中共同プロジェクト委員会の久保田博子さんをパネラーとして、戦後六十年の原点に立ちかえり、日中関係の過去・現在を振り返り、日本・中国・アジアの平和を語り合った。
 日清戦争から五十年、日本は中国を侵略し、アジアに戦火を拡大して敗北した。アメリカの占領下、中国を除外した講和条約と日米安保条約の下で独立し、新中国との道を断たれた。両国国民とりわけ女性たちは憎しみを友情に変え、断ち切られた友好の絆を取り戻す必死の努力を重ね、二十七年の歳月を経て、国交正常化を実現させた。日本は戦争を通じて中国国民に与えた重大な損害に対して、責任を痛感し深く反省した。その認識のもとに、日中友好関係は史上まれにみる発展を遂げてきた。
 戦後六十年をへた今、日本の首相は靖国神社に参拝し、すべての中学歴史教科書から「慰安婦」の言葉が消し去られ、中国・アジアの国民の心を深く傷つけている。侵略国日本が平和国家として再生してこなかった事実がある。過去に向き合わないまま、日本は日米軍事同盟に組み込まれ、再び中国・アジアにほこ先を向けようとしている。
 近代日本は脱亜入欧の道を進み、アジアと敵対してきた。西洋の覇道の番犬となるか、東洋の王道の牙城となるか、日本の進路を決めるのは国民である。
 日中両国女性は平和を熱愛する(日中女性友好宣言)。平和を守る権利と責任を持つ両国の女性は「嬉しいときも苦しいときも友好」の伝統に立って、日本・中国・アジアの平和をめざして連帯を強めていきたい。(日中友好神奈川県婦人  連絡会会長 高良真木)

キャンプ座間と厚木基地反対で
四百人がデモ行進


 五月二十八日、「キャンプ座間と厚木基地を結ぶ市民行動」(主催、基地撤去をめざす県央共闘会議)が行われ、労働組合や市民団体など約四百人が参加した。
 参加者はキャンプ座間と厚木基地をつなぐ五・五キロデモ行進して、「米陸軍第一軍団司令部の移設反対」と「厚木爆音訴訟勝利」を訴えた


長崎

ながさき九条フェスタ
千五百人が参加


 五月三日の憲法記念日に「ながさき九条フェスタ」が、公会堂と公会堂前広場において、約千五百人の市民の参加により開催された。この取り組みは、長崎の市民団体や労組など三十近い団体及び個人によって、「被爆地長崎から、被爆六十年、戦後六十年の今年、憲法記念日に憲法九条を変えようとする流れを止める新たな風を起こし、憲法九条を世界に広めるために長崎が一つになろう」と実行委員会が結成され、企画主催されたものです。
 公会堂内では、作詞家で音楽評論家の湯川れい子さんの「私の憲法九条ー音楽から見えてくる平和についてー」と題して講演があった。湯川さんは、「いま、私たちが、このように音楽活動ができるのは、平和があるからです。そのためにも平和憲法を守って行かなければならない」と体験をふまえて訴えた。その後会場内では、第二部の「憲法九条を世界の宝に」と題して、シンポジウムが行われた。パネリストとして、韓国からの留学生、画家、カトリック大司教、被爆者、憲法学者が発言し、それぞれの立場、経験から平和憲法の重要性を訴えた。
 また、会場内と同時に開催された会場外のステージでは、コーラス、ダンス、楽器演奏、寸劇など平和へのメッセージが披露された。さらに、会場外のテント(ブース)での二十近くの団体から、平和への思いを訴える展示等が企画された。その中で、広範な国民連合長崎は、昨年の沖縄米軍基地ヘリ墜落事故抗議の写真展を展示し、沖縄の現状を市民に訴えた。     
第六回長崎沖縄連帯集会
沖縄戦と被爆六十年の原点に戻り


 被爆地長崎と基地のまちで国内唯一地上戦があった沖縄との反戦・平和の輪を広げていこうと「第六回長崎沖縄連帯集会」が五月二十八日、県教育文化会館で百五十名の市民の参加で開催された。
 過去、五回の集会(講演会)では、現在の在日米軍基地問題から日米安保体制の問題まで、主に今日の日米関係のあり方に焦点をあてて、問題を提起してきた。今年は、被爆六十年、沖縄戦から六十年といことで、もう一度原点にもどって、過去の戦争をしっかり見つめようと証言を中心の講演会を企画した。
 先に演壇にたった、元ひめゆり学徒の宮城喜久子(ひめゆり平和祈念資料館証言員)さんが自らの沖縄戦の悲惨な戦場の様子を語った。宮城さんは多くの学友の死が脳裏から離れず、体験について、「戦後四十年間話すことすらできなかった。しかし、その後も世界各地で続く戦争のことを考え、戦争の実態を伝えようと証言をつづけてきた。沖縄復帰前には、米軍基地は全国の四〇%程度だったが、現在は、七五%になっている。復帰後は、日本は平和憲法に守られ、もう戦争はしないだろうと思いました。しかし、いまの動きを見ていると残念でならない。戦争になったら、有事体制がしかれ、民有地が強制的に使用され、国際法違反(沖縄戦でのガス弾の使用等)もなにも関係なくなる。安全な場所がないことがわかった。私たちは何の疑念も抱かずむしろ積極的に、学徒動員していった当時の思想、教育の恐ろしさを忘れていない」と語った。
 次に被爆者として、被爆戦争体験を語りついでいる、元教師の山川剛(核実験に抗議する市民団体交流会事務局長)さんは、県内自治体への反核運動への働きかけでの実態と今後の運動について語った。また、高校生、大学生への核戦争等での意識調査のなかで、大人が、経験を語ることと、さらに事実に基づいた「希望の証」を語っていかなければならないと強調した。