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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2005年3月号

普天間返還と沖縄からの海兵隊撤退を

宜野湾市長  伊波 洋一

 米軍再編が進む中、昨年八月、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した。普天間基地を抱える宜野湾市の伊波洋一市長に、三万人の市民大会など普天間基地返還の取り組みや米軍再編の問題などについてお話を伺った。文責編集部。

伊波洋一・宜野湾市長 危険度が増す普天間基地

 沖縄県本島中部には米軍基地が集中しており、嘉手納町の八二・八%を筆頭に、米軍基地が三割以上を占めている市町村が九つもあります。本市は普天間飛行場とキャンプ瑞慶覧などで三二・七%を占めています。
 沖縄の米軍基地面積は二万四千ヘクタール、これは在韓米軍基地に匹敵します。また陸軍(読谷)、海軍(ホワイトビーチ)、空軍(嘉手納)、海兵隊(普天間など)と四軍が揃っており、米軍にとって沖縄は極めて重要な拠点とされてきました。
 「五〜七年で普天間全面返還」を決めた九六年のSACO合意からすでに八年が過ぎました。しかし、九九年の軍民共用の辺野古移設の閣議決定に縛られ、稲嶺県政もその一点張り。辺野古の住民の反対もあり、移設は早くてもさらに十数年かかり、普天間返還は暗礁に乗り上げた状況です。にも関わらず、政府はまだ辺野古移設に固執しています。
 一昨年四月に市長に就任した私は、選挙公約である「普天間の五年以内の閉鎖・全面返還」のため、市として「普天間基地返還アクションプログラム」を作りました。これは基地の実態や爆音被害を日米両政府に訴える取り組み、シンポジウムの開催など市民との運動の進め方を含めて提起したものです。それに沿って、様々な取り組みをやってきました。
 普天間の爆音被害は大変深刻な状態です。宜野湾市は、九五年頃から普天間飛行場の周辺の八カ所で、一日二十四時間、一年三百六十五日、自動的な騒音測定計測を続けています。市長就任後、そのデータを分析しました。するとすさまじい爆音被害の実態が明らかになりました。九六年当時、「もっとも危険な基地」として返還合意された普天間飛行場。その九六年と比較して二〇〇三年は、飛行回数が一・五倍、一万回以上も増えています。〇三年には一日二百回を超えるような日が五十日以上になりました。
 嘉手納基地で爆音被害の一番ひどいのは砂辺地区(北谷町)、屋良地区(嘉手納町)ですが、そこより宜野湾の上大謝名地区の爆音がひどかった時期がありました。普天間基地は世界の情勢と連動しおり、世界のどこかでアメリカが戦争を仕掛けると、普天間の飛行回数や訓練が増加します。九・一一テロ以降、アフガン・イラク戦争前後に急増しています。
 二〇〇三年九月のブッシュ大統領訪日や十一月のラムズフェルド国防長官の訪沖のときにも、こうした普天間基地の被害実態を伝え、早期の解決を申し入れてきました。さらに、こういう危険な状況を放置できないと、昨年七月に訪米して米国政府や関係当局者に訴えてきました。

 ヘリ墜落と普天間問題

 帰国直後に、墜落事故が起こりました。奇跡的に住民への人身被害はありませんでしたが、これまでずっと言い続けてきた危険が現実となったので、市民も大きなショックを受けました。そして、市としては市内の七十二団体を網羅して、九月に市民大会を行いました。一万人の予定が三万人の市民が結集しました。
 ヘリ墜落事故後は、普天間問題や沖縄問題をしっかり位置づけて、解決するようにということを日本政府に強く申し上げました。九月二十一日の日米首脳会談の中では、ヘリ事故・普天間問題が取り上げられて、沖縄の基地負担軽減を取り組む姿勢が明確になりました。それ以降、普天間問題の解決を日米再編協議の中でも解決しなければという気運が高まったと思います。
 市としては、普天間基地のより早い解決のために、九六年のSACO合意や九九年の閣議決定に縛られないで、国外移設も含めた解決になるよう取り組んでいます。県民世論も糸数慶子氏が参議院選に当選をした昨年七月の時点で七割が辺野古移設に反対でした。ヘリ墜落事故後は、辺野古移設反対が八割をこえました。
 ただ、閣議決定があるため多くの市町村長や議会関係者は、なかなか辺野古移設反対の意思表明はできない状況でした。宜野湾市議会は三十名の議員のうち、与党は五名でスタートしましたので、「五年以内返還」も現実性がないという認識が広がっていました。その方々は、普天間の危険は、目の前の危険ではないという風な認識が少しあったんだと思います。しかし八月十三日にヘリ墜落し、被害を目の当たりにして、いかに危険な状態であるか実感しました。それまでの態度が一変し、政府に対して、「こんな危険な状態を放置しているのはけしからん」となりました。そして普天間閉鎖、辺野古移設の見直し、SACO合意の見直しを内容とする決議を市議会で採択しました。
 そういう流れが県内に広がり、五十一の市町村議会が抗議決議を採択しました。県議会はSACO見直しには至りませんでしたが抗議決議を行いました。さらに辺野古移設を推進してきた稲嶺知事も、「普天間問題を放置できない、危険の除去」を発言しました。辺野古移設一辺倒からの変化だと感じました。
 そして米軍再編の本格的な協議がスタートする直前の二月十六日、稲嶺知事は「米軍再編に対する県の対応」を発表し、その中で「海兵隊の県外移設」を明確に打ち出しました。県民世論としては当然ですが、SACO合意や辺野古移設の閣議決定に縛られ、これまで言い切れていなかったのです。米軍再編協議は、沖縄の負担軽減のチャンスという判断があるのではないか。

 米軍再編と沖縄の米軍基地

 米軍基地再編には三つの流れがあると思います。一つは、米ソ冷戦終結に伴う米国内の基地整理再編の流れです。すでに四回にわたり百近い基地が閉鎖され、今後も基地閉鎖が予定されています。この動きに対して、国内に反対の声がかなりある。国内の基地閉鎖の前に海外基地を見直せという声があがり、一昨年、「海外基地見直し委員会」が発足しました。これが二つ目です。三つ目が米国防総省の新しい戦略に基づく世界的な米軍再編協議の動きです。
 この三つの流れのうち、海外基地見直し委員会と世界的な米軍再編の二つに対して、われわれのメッセージをきちんと送りながら、基地問題を解決させていく、そういう思いで取り組んできました。今回の米軍再編を、沖縄が基地負担から解放されるチャンスだと感じています。
 今回の米軍再編の考え方は、従来の冷戦的な発想や大国同士の二国間の戦争を想定した戦略ではなく、「国家的ではない脅威」に対する新しい戦略の方向性。兵力の数ではなく、能力という観点で再編しようという議論だと思います。そうだとすれば、東アジア十万人体制という数が前提のSACO合意や辺野古移設は見直される可能性があると思います。
 ドイツを中心にヨーロッパから約四万人削減、アジアから三万人削減が打ち出されています。アジアの三万人のうち、在韓米軍が一万二千五百人削減です。残り一万七千五百人を沖縄の海兵隊に適応すれば海兵隊撤退が実現します。だから、沖縄の基地負担削減として海兵隊撤退に絞って取り組むことが重要です。
 全国の米軍基地の七五%が集中する沖縄県ですが、実は沖縄の基地の七五%が海兵隊基地です。キャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブ、普天間、キャンプ・キンザー、キャンプ瑞慶覧など十六施設、一万八千ヘクタール、一万六千名の兵力です。海兵隊の撤退は沖縄にとって、極めて大きな基地負担の軽減につながっていくわけです。
 「目に見える抑止力」のために海兵隊を沖縄に置くことを主張する人たちがいます。本当に沖縄に海兵隊が必要なのか。例えば今、沖縄の海兵隊は五千の実動部隊がイラクに行っている。普天間基地の五十六機のヘリのうち四十六機はイラクやアフガンに、数機はスマトラ地震でインドネシアに行きましたので、二、三機しか残っていません。「朝鮮半島の安定に必要」と言われてきた海兵隊がいなくても問題がない。これが当たり前なら、沖縄県民に基地負担を与えるような駐留はやめるべきです。「沖縄の負担軽減」を打ち出している日米両政府に、沖縄からの海兵隊撤退を求めていきたい。
 海兵隊の移転先は、日本国内には余地はないと思います。米国内か、海外に分散をさせるべきです。
 ただ米軍再編に大きな懸念もあります。新しい米軍の戦略は、極めてわずかなパートナーです。イギリス、日本、ディエゴ・ガルシア軍事基地(インド洋のモーリシャス共和国)、グアムなどを最も重要な基地として位置づけています。日本はイギリスに次ぐ主要パートナーとして、米国は日本に対して強い期待を持っています。それは、日本に憲法を超えて、国外でも軍事行動をさせたいという期待です。こういう危険に対して、日本国民がしっかりと判断していかなければならない思います。

 自治体一体の取り組み

 選挙で選ばれた代表としての市長や議会が、基地問題で発言することが大きな影響を与えると思います。日本の場合は、住民が首長に裏切られることが多い。新しい基地を受け入れていく背景には地元の首長や議会、知事を含めて、ある時期受け入れたという経過がありました。ラムズフェルド国務長官は「歓迎されないところに基地は置かない」と発言しています。ですから、市長が選挙公約をきちんとやっていくことの効果は大きいと思います。
 一昨年の市長選で基地問題が争点になりました。私は五年以内の返還、辺野古移設では解決せず普天間問題は放置されるので県内移設に反対、と訴えました。相手候補は、辺野古移設が一番の解決であり粛々とやるべき、と訴えた。当選した私は選挙公約の普天間返還を正式テーブルに載せ、政府に対してねばり強く要求し続けています。
 でも本当に大きな力をもっているのは市民です。その市民との共働をどう作り出すかが重要です。昨年五月十六日の普天間基地包囲では、行政として参加者の思いを電子メールで米大統領に発信しました。市主催の二千名規模の集会もやりました。
 ヘリ墜落事故に対しては、市内七十二団体が参加して三万人の市民大会を取り組みました。選挙公約に沿って取り組んできたことで、ヘリ事故を通してより広範な市民の結集を得ることができました。小学生、中学生、高校の代表も発言した市民大会は、われわれが意図的に作ったわけではありません。爆音被害や墜落の危険を抱える普天間問題が、深刻な全市民的な課題だから、全市民的な取り組みとして結集できたと思います。今後も市民と結束して、選挙公約である普天間返還の実現のため全力で取り組みたいと思います。          (文責編集部)