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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2005年1月号

普天間基地問題シンポジウム

危険極まりない
普天間飛行場の閉鎖・返還に向けて

宜野湾市基地対策協議会委員  石川 元平


二〇〇四年十二月二日、宜野湾市「普天間基地問題シンポジウム」 日米特別行動委員会(SACO)合意から満八年を迎えた二〇〇四年十二月二日、宜野湾市民会館において「普天間基地問題シンポジウム」が開かれた。ご存知のように、日米両政府は「五年ないし七年以内に普天間飛行場を全面返還する」ことを約束したのであるが、その約束の最終年限の七年が過ぎても返還が実現しないため、昨年に引き続いて開催されたものである。
 宜野湾市では昨年(二〇〇三年)四月の伊波市長誕生以来、「普天間基地の五年以内の全面返還」と「辺野古への県内移設反対」という公約実施のために、普天間基地の早期返還への道筋について明らかにし、精力的に取り組んできた。具体的には市民の安全な生活環境を一刻も早く取り戻すため「普天間飛行場返還アクションプログラム」を策定し、普天間基地の騒音実態調査と異常事態宣言、普天間基地包囲行動、日本政府への度重なる要請行動と米国政府・議会・海外基地見直し委員会等への訪米直訴等の取り組みである。
 八月十二日には、市長の「訪米報告会」の最中に沖縄国際大学への「米軍ヘリ墜落事故」が発生したのであった。
 ところで「シンポジウム」は、第一部が伊波市長による基調報告「普天間飛行場の返還に向けて」のあと、第二部は吉元政矩(沖縄二十一世紀フォーラム代表)氏をコーディネーターに、我部政明(琉球大学教授)、仲村清(宜野湾区自治会長)、安達葉子(沖国大学生)、伊波洋一(市長)の各氏によるパネルディスカッションが行われた。
 まず「ヘリ墜落事故」については、市民への人身事故に至らなかったことは、まさに奇跡だったことが異口同音に語られた。一九七二年復帰後、十四回も墜落事故を起こしている米軍ヘリが、初めて基地外の住民地域に墜落したことで、爆音も「うるさい音」から「怖い音」に変わったこと。また行政としては心的ストレスへのケアに取り組んでいることや、そのような相談さえ受けられないでいる市民の苦しみについても報告された。改めて、現在イラクへ派遣されている四十六機のヘリが二度と舞い戻ってこないようにヘリ基地としての運用を止めさせること。沖国大生からは、「記憶の壁」として墜落現場の建物の保存の取り組みも報告された。
 「米軍再編」と「普天間閉鎖」については、キャンプ座間への米ワシントン州在、米陸軍第一軍団司令部の移設の問題と在沖米軍基地の負担軽減問題で、日米両政府はかなりツメの段階にきているのではないか。米軍のイラクでの対応を見ると、まず軍隊は米本国から派遣して、足りない分を在沖米軍を投入していること。現在、在沖関連の海兵隊五千人余りが長期にイラクへ派遣されているが、このことからも沖縄の米軍基地、とりわけ海兵隊を置く必然性はなく、東アジアの状況もそれで成り立っている。沖縄から普天間基地がなくなれば、在沖海兵隊の撤退にもつながる。このように、在沖米軍の存在に変化が出ている状況からも、普天間基地は閉鎖できる状況にあるという方向性が確認された。
 一方、米軍再編と普天間閉鎖で一番問題なのが、日本政府の対応であることが指摘された。政権党内の若手を中心に在沖海兵隊を失いたくないという主張が台頭していること。在韓米軍基地の動きについても、間違うと沖縄に一極集中される危険性も強調された。
 最後に伊波市長から、三万人が結集した市民大会の思いを持続させ、日常的に日米両政府への働きかけを展開し、米軍再編の流れの中で、普天間の閉鎖と全面返還を実現させ、沖縄の基地負担をなくすよう取り組んでいきたい旨の決意が述べられた。
 結論として、シンポジウムでは過去のいくつかの運動が起爆剤となったが、持続しきれなかった基地撤去運動の反省をふまえて、(1)県民運動への発展の展望を切り開くこと。(2)市と市民が一体となった運動を展開し全国へアピールしたことの意義。(3)市民の日常的な運動の取り組みの重要性が確認され、「普天間基地問題シンポジウム宣言」を採択して閉会した。