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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2004年7月号

熱気に包まれた安田純平氏の「イラク現地報告会」

佐賀と福岡県大牟田


学生ら五百人    佐賀

 イラクで一時拘束されたフリージャーナリストの安田純平さんを招き「イラク現地報告会」が五月三十一日、佐賀大学で行われた。主催は「安田純平さんを佐賀に招く会」(代表、豊島耕一・佐賀大学理工学部教授)。広範な国民連合・佐賀も賛同団体となり、企画・運営も積極的に担った。
 会場の佐賀大学大講義室は約五百人の学生、教官、市民であふれ、安田氏のありのままの報告と体験談を最後まで熱心に聞き入った。
 安田氏は、現地で殺害され親交のあった橋田信介氏ら、二人の邦人ジャーナリストの事件に触れ「経験も技術も度胸もある戦場取材のプロでも回避できなかった。現在のイラクの複雑で深刻な状況の反映である」と述べた。三日間拘束された際に、満天の星空の下で「客人」のようにもてなされた経験を話し、「マスコミではテロリストなどと書かれているが、彼らの多くは素朴な農民。彼らが武器を手に守りたいものはこんな日常だ」と述べ、普通の人びとが米軍の暴政に武器を持って立ち向かうことを強いられていること、また、彼らから「アメリカに原爆を投下された日本が、なぜアメリカの国土破壊と暴力的占領に追随して、自衛隊派遣を行ったのか」と問いつめられ、日本の米国への追随ぶりが、親日的であったイラク人に警戒心を持たせる結果になっていることを指摘し、両国市民の相互理解と交流の大切さを訴えた。
 熱気に包まれた会場からは様々な発言が相次いだ。
・日本国内のメディアでは分からないイラク民衆の考えや現状を知ることができ、正しい情報が提供されることで日本国民一人ひとりがもっと身近に今回の戦争のことを考え意見しあうことができる。
・人種の差なくすべての人間の命の重みが大切にされることを望む。
・拘束中の様子やイラク人の生活を知れて今までの疑問が晴れた。米軍も反米武装のイラク人もほとんどの人が個人で会えば、きっといい人ばかりだし、治安の悪い中でくらす人々、米軍兵士を心配する家族の人たちのことを思うとたまらなくなる。
・なぜ、わざわざあぶないことをして皆に迷惑かけるんだと思っていたが、テレビ情報より、やはり現地に行ってきた方の話の方がはるかに説得力もあるし勉強にもなった。
・イラクの人がすこしでも楽になるようにと思って日本は支援しているのだと思っていた。アメリカがイラクでやっているにショックを受けた。そのアメリカに日本が従っていると思うと嫌な気分だ。
・政府はテロとの戦争を強調するが、国民に事実を知らせないでボランティアの人たちに自己責任というのは本当におかしな話だ、など。
 予定の終了時間も、意見や質疑で大幅に超過し、終了後も学生や市民が安田氏を取り囲んでいた。ある学生は「なぜイラク戦争が起きたのかを知らなかった。小川さんたちの事件もあり今後どう動いていくのかに関心を寄せて寄せていかねばならないと思う」と述べた。


超満員の五百人   大牟田

 佐賀の実行委員会と連携しながら、六月一日イラクのアブグレイブで拘束されたフリージャーナリストの安田純平さんの「イラク現地報告会」を大牟田市労働会館大ホールで実施しました。「安田純平さんを招く会・大牟田」実行委員会を、医療関係者、国際ボランティア活動家、現市議、元市議、退職教師、被爆者、寺院関係者など十一名で、五月二十日に急きょ立ち上げました。最初、会場は会館の中ホールを予定していたが、反響の大きさに大ホールに切り替えました。
 ポスター約百枚以上を実行委員会で手分けして街頭に張り、大牟田駅周辺ではとくに目立ちました。また四千枚をこえるチラシを駅前や各種の集会で配布した。
 当日は、六時開場予定であったが、五時には参加者が集まりはじめました。遠くは八代郡や太宰府から電車を乗り継いで来られた方もあった。事務局には四十本以上の電話があり、会館にも問い合わせの電話が続いた。大ホールは今までになかった立ち見が出るほどの超満員の約五百人の聴衆で埋め尽くされ、用意した資料も足りなくなった。
 中高生も数多く参加し、メモを取り、スライドを使った約二時間の話を静かに聞き入った。講演後も安田さんを取り囲み質問を続けていた。参加者のアンケートも約百五十枚寄せられ、関心の高さに驚かされた。
 多彩な実行委員のメンバーは手作りのポスターを作ったりして知り合いに話しかけ、手応えを感じながら自信を深めていったと思う。その夜、安田さんは実行委員宅に宿泊し、交流会は夜遅くまで続いた。
 フリージャーナリストの橋田さんら二人が殺され、地元の新聞やラジオでも紹介され、時期に合っていたのかも知れませんが、はるか砂漠の地であっても、戦いで毎日人が死んでいるという重い事実が多くの人を動かし足を運ばせたと思います。実行委員会は、元気が倍加し、引き続き活動を続けていくことを確認しています。