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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2004年6月号

第20回「21世紀・日本の進路」研究会報告(その2)

イラク侵攻と軍産複合体

―戦争まで民営化されるアメリカ―

京都大学教授 本山美彦


――イラクで軍事サービスの受注が目立つケロッグ社は、ハリバートンの子会社で、ハリバートンはチェイニー副大統領が五年間にわたって会長を務めていた大手石油企業である。ラムズフェルド国防長官は世界最大の軍事産業ロッキードの社外重役で、軍事ハイテク機器メーカーであるゼネラル・インスツルメントの元会長だ。そして、イラク復興人道支援室の責任者に任命されたのが、ロッキードの子会社L‐3コミュニケーションズのガーナー会長だった――

 アメリカで『コーポレイト・ワリアーズ』という本が、ベストセラーになっています。コーポレイト・ワリアーズは、企業が社員を戦地に派遣し、軍事サービスを提供して、正規軍人の肩代わりをするという異常な事態を表しており、「戦争に参加する企業」と訳すのが適切だと思います。このような企業はしばしば、PMCS(民間軍事会社)と呼ばれています。
 アメリカの巨大企業の支配者たちは政府の中枢に入り、政治的な人脈をつくった後、また元の企業に戻っていく。そういう回転ドアーによって、軍産複合体が形成され、民間軍事会社と政府要人との人的コネクションは、ますます緊密になっています。このような現状を思うと、今後のアメリカには、参加しなくてもよいはずの戦争に駆り立てられる可能性が大きくなりました。

 民間軍事会社の台頭

 昨年九月の『ビジネスウイーク』誌は、「戦争の外注」という特集を組みました。そこに、イラク北部のティクリートで八月五日、アメリカのケロッグ社(KBR)の社員が、乗っていたトラックを爆破されて死亡したという記事が載っています。この日、ケロッグ社はアメリカからの郵便物を米軍部隊に届ける業務についていました。この事故で、民間人が軍事活動にたずさわっていることが、明らかになりました。
 イラク侵攻の場合、軍事サービスの二〇〜三〇%が、民間企業に依存していると言われています。その中でも、ケロッグ社が目立っています。ケロッグ社はハリバートンの子会社で、ハリバートンは現在副大統領のチェイニーが五年間にわたって会長を務めていた大手石油企業です。
 アメリカは冷戦終結後、軍事費を節約するため、正規軍人の数を減らしてきました。一九九一年以降、正規軍人は二〇〇万人から一四〇万人にまで圧縮されました。それを補ってきたのが民間企業の社員です。現在、一四〇万人の米軍のうち半分以上がイラク以外の外国地域に配備されており、アメリカはこれ以上の兵士をイラクに持ってくるのは容易でありません。特にMP(軍事警察)は九〇%以上がイラク以外で任務についているため、民間企業に警察機能をゆだねなくてはならない状態になっています。
 人数だけではありません。現在の米軍の兵器はハイテク兵器です。ステルス爆撃機、パトリオット・ミサイル、無人偵察機などを操作するには、高度の技術をもった専門家が必要で、前線の兵士だけでは扱い切れなくなっています。だから、今の米軍は、高度の技術をもった民間の専門家が随行しないと、戦争ができないのです。
 米軍がバルカン半島で軍事行動をするようになったのは、一九九五年からです。当初から正規軍の業務を民間軍事会社に肩代わりさせる方針がとられていました。ボスニアの紛争はまだ終わっていませんが、現在、アメリカの正規軍はほとんどおらず、ケロッグ社の社員があとをまかされています。『フォーチュン』誌によれば、バルカン半島における兵站業務は、ケロッグ社の親会社であるハリバートンに独占的にゆだねられています。
 このような民間軍事会社は、二〇年前には一〇社にも満たなかったのですが、現在では三〇社を超えています。そのほとんどが、ペンタゴンのあるバージニア州のアーリントン周辺に本拠をかまえています。今日、ペンタゴンから民間軍事会社に流れるお金は二五〇億ドルに達する見込みです。
 MPRIという民間軍事会社のスポークスマンは、ペンタゴンの国防情報局の局長だった人物です。彼は「われわれは、軍事サービス業務につきたい一万人を超す元軍人のデータ・ベースを持っている。われわれはペンタゴンよりも多い将軍を有している」と豪語しました。つまり、軍人の天下り先として、民間軍事会社が彼らを一手に引き受けているわけです。
 先輩後輩の関係はどこでも同じですから、民間軍事会社の先輩にきつく言われたら、ペンタゴンに勤めている後輩も言うことを聞かざるを得ません。民間軍事会社の社員は上から下までほとんどが元軍人で、ペンタゴンと民間軍事会社の間には強固な人脈、つまり回転ドアーが形成されています。
 例えば、ケロッグ社のある社員は、二〇年間軍役につき、軍人恩給が退職時の給与の五〇%支給されている上に、ケロッグ社から現役軍人のころよりもはるかに多い給与を受けています。彼がケロッグ社から入社を誘われたとき、軍隊用語で「ラジャー・ザット」、つまり「了解」と応じたそうです。
 しかし、戦地に派遣された民間軍事会社の社員による不祥事もあいついでいます。たとえば、ボスニアで男性社員が少年に性的暴力事件を起こしました。戦地ではモラルが崩れていくわけで、かつての荒くれ者の傭兵を彷彿とさせる事件が頻発しています。
 イギリスでも、ブレア政権になってからアメリカの民間軍事会社、とくにケロッグ社と取引をするようになりました。英誌『エコノミスト』は、「傭兵のマッド・マイクが再来した」という記事を掲載して、ブレア政権を告発しています。マッド・マイクとはコンゴやセーシェルの政府転覆などで活躍した傭兵隊長、マイク・ホアー元中佐のことです。

 不祥事にもかかわらず
 民間軍事会社依存は強まる


 戦場で民間軍事会社の社員が殺害されたり、誘拐されたりする事件も増加しています。イラク駐在が長引くにつれて、民間軍事会社の社員は危険地帯に行く業務には逃げ腰になっています。そのために、米兵は何ヶ月も新鮮な食糧、シャワー、トイレに不自由し、郵便も遅れていると、米軍輸送部隊のチャールズ中将がケロッグ社を批判しました。ケロッグ社のCEOがこれに激怒して声明を出した直後に、この中将は首になりました。
 多くの軍事専門家も、軍事サービスを民間に委託することは非常に危険なことだと指摘しています。軍務違反をおかしたからといって、民間企業の従業員を営倉(軍の拘置所)にぶち込むわけにはいきません。戦闘が起こると民間軍事会社の社員が逃げてしまい、正規の軍人が立ち往生して殺される事態も起こっています。民間企業が忠誠を誓う相手は軍ではなく株主ですから、かつての傭兵と同じように、高い金を出す方に寝返る可能性もゼロではないのです。
 それにもかかわらず、米軍はますます軍事の外注を行い、民間会社への依存度を増やしています。トーマス・ホワイト米陸軍長官は、エンロンの社員だった人ですが、民間軍事会社の多用を強く支持しました。彼は、議会の承認も得ずに、さらに二一万人を正規軍から民間会社に振り替えるつもりだと言明しました。
 ホワイトハウスは、イラク復興を国際機関にゆだねるのではなく、民間軍事会社にゆだねる比重を高めると公言し、その責任者にガーナーを指名しました。ガーナーは、世界最大の軍事産業ロッキードの子会社であるL‐3コミュニケーションズという民間軍事会社の会長でした。ちなみに、ラムズフェルド国防長官はロッキードの社外重役で、軍事ハイテク機器メーカーであるゼネラル・インスツルメントの元会長です。
 アメリカは、イラク侵攻の二カ月も前に、ORHA(復興人道支援室)を国防総省内に設置しました。このORHAの室長に任命されたのがガーナーです。そして、ティクリート制圧後の二〇〇三年四月二一日、旧フセイン宮殿内にORHA事務所が設置されました。
 これに関連して、アメリカは四月上旬に、日本人をORHAに派遣してほしいと日本政府に要請しました。外務省の奥克彦参事官と井ノ上正盛三等書記官が、その任に当たることになりました。奥参事官がORHA事務所に到着したのは、ガーナーが着任したわずか二日後の四月二三日で、ORHA事務所にオフィスを与えられました。井ノ上書記官も四月二七日に到着しました。
 ただし、奥参事官はORHAへの出向命令ではなく、イギリス大使館からの長期出張という形式でした。日本政府はORHAを正式な国際機関とみなすことに躊躇していたわけです。井ノ上書記官は日本大使館の現地採用です。そのため、奥参事官が使っていた車は、安全のための特別な装甲が施されず、閉鎖中の大使館にあった軽防弾のランドクルーザーでした。
 なお、奥参事官をイギリス大使館に呼んだのは、ロンドンの王立国際問題研究所につとめることになった野上義二氏です。田中真紀子さんと差し違えになって外務次官を辞めた方です。イラク大使館が五月八日に再開されて、イラク大使に任命されたのが、田中真紀子さんにいじめられてノイローゼになったという外務官、上村司氏です。上村大使は厳重な防弾仕様の専用車を使い、奥参事官の方は防弾の弱い普通の車でした。
 ORHAの人気は非常に悪くて、ガーナーは結局解任されました。ブッシュは、ブレマー元オランダ大使をイラク担当特命大使に任命し、その時にORHAの全権限を引き継いだCPA(イラク連合国暫定施政当局)がつくられました。
 一一月一八日に陸上自衛隊の調査団がイラク入りし、その日の未明、日本大使館に向けて発砲がありました。奥参事官は一一月二七日まで調査団に同行し、その二日後、井ノ上書記官とともにCPAの会議に向かいました。その途中で、二人は殺されました。つまり、日本はアメリカのイラク占領機関であるORHA、それを引き継いだCPAにいち早く参加していたのです。
 イラク武装勢力の攻撃で、初期のアメリカの目論見は挫折しつつありますが、それでも、イラク復興事業をアメリカの主導下で進めようとする意図は継続しています。

 民間軍事会社の巨人
 ケロッグ社


 ケロッグ社のお客はペンタゴンだけでなく、全世界に存在します。すでに述べたように、ブレア政権がケロッグ社との取引を始めました。ケロッグ社はそれだけでなく、トライデント原子力潜水艦を建造するイギリスの造船所の過半数の株式を確保して、この造船所を乗っ取りました。イギリスの軍事機密が、チェイニーの息のかかった会社に握られたということです。ケロッグ社は、シエラ・レオーネ、アンゴラ、コンゴとの間でも、軍事教練や直接的な軍事行動を契約しています。
 しかし、最大のお客は何といってもペンタゴンです。兵站契約は、実費が軍によって支払われるという費用支弁契約によって、費用がかからず、一%の利益が保証されています。さらに、成功報酬が実費の一〜八%支払われます。だから、ペンタゴンとの契約では、利益が確実に保証されています。
 ケロッグ社は、ソマリアの「希望回復作戦」、ルワンダの「希望維持作戦」、ハイチの「民主主義高揚作戦」など、実態とは正反対の名前をつけた作戦で兵站業務を請け負い、ペンタゴンから金を引き出してきました。
 米軍はイラク侵攻の前に、フセイン側が油田に火をつけたら、ケロッグ社が直ちに消火するという契約を結びました。イラク侵攻後、予想通りに油田が放火されて、ケロッグ社はその消火活動だけで七億五〇〇万ドルを請求することができました。入札も行われなかったことについて、軍当局は時間的余裕がなかったと弁明していますが、初めから出来レースだったわけです。
 とにかく、ケロッグ社はペンタゴンによって特別に優遇されています。チェイニー副大統領がどの程度それにかかわっているのか、当然ながら証拠は何も出てきません。しかし、チェイニーが会長をつとめたハリバートンの子会社、ケロッグ社が活躍しているのですから、チェイニーが知らないはずはありません。ワシントンにある「社会的尊厳センター」が、「チェイニーは事態がどう展開するかを知っている」、「実際に指示しなくても支援する方法はいくらでもある」と疑念を表明しました。

 おわりに

 最後に、アイゼンハワーが一九六一年、大統領退任のときに行った演説を紹介します。彼は国民を戦争に駆り立てるアメリカの軍産複合体の危険性を指摘して、次のような要旨の警告を発しました。
 「軍事力の強化とか多くの改善策が提起されているが、大事なことはバランスの確保だ。そのバランスを崩す新しい事態が生じている。軍事力を強くするのは当然であるとしても、以前は農機具を作っていたアメリカのトラクターのメーカーが、武器製造業として自立し、巨大化してしまった。いまでは米国の三五〇万人が何らかの『防衛組織』に携わっている。こういう巨大な『防衛組織』と大規模な武器製造業との結びつきはアメリカにとってまったく新しい要素である。この軍産複合体が、意図したのか意図しなかったのかを問わず、この存在によってわれわれアメリカ人は参加しなくてもよいような戦争を起こし、そこに巻き込まれるであろう。従って今は、そういった軍産複合体の巨大化を、われわれは抑えていかなければならない」。
 「戦争の恐怖、戦争にこびりつく空しさを目撃したひとりとして、いま一度戦争を起こしてしまえば、痛みを伴いながらも、ゆっくりと時間をかけて何千年にもわたって築き上げられたこの文明が完全に破壊されてしまうことを知っている者のひとりとして、今夜は言いたい。平和を持続させる方策は見えているのだ、と」。
 とても感動的な言葉です。
 ちなみに、原子力開発に消極的なアイゼンハワー大統領を説得して、なんとか原子力開発を継続させたのは、ベクテルの共同経営者であったジョン・マコーン原子力委員会委員長でした。全世界の原子炉の五〇%はベクテルの建設、開発によるものです。
 アイゼンハワー大統領の予測通りに、民間軍事会社と、よりイデオロギー過多になったペンタゴンという新たな軍産複合体の形成によって、遠くない将来に人類は不幸のどん底に叩き込まれるのではないかとの危機感を持っています。アメリカはけしからん、許さんと言ってるだけではすみません。われわれも一蓮托生で崩壊の危機に瀕しています。
 日本は一刻も早く、アメリカ主導の世界経済システムを脱却し、途上国との連携を模索しなければいけません。ブッシュに揶揄された「古いヨーロッパ」、ドイツやフランスとの連携をはかっていかなければなりません。スペインやイタリアなど、ブッシュに踊らされて一度は「古いヨーロッパ」から逃げ出し、イギリスと組もうとした国も、今あわてて「古いヨーロッパ」に舞い戻ってきました。この大きな流れを、私たちは見誤ってはいけないと思います。
        (文責・編集部)

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