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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2004年4月号

パートナーシップ形成の十年

広範な国民連合代表世話人・評論家 樋口恵子


 この十年は、混迷の中から暗い方へ突き進む動きが鮮明になった十年とも言えます。
 一つは、デフレスパイラルではないかと言われるほどの不況です。景気は回復したと政府は言うけれど、国民の実感として不安がつのっています。雇用が流動化し、若者も年寄りも先が見えなくなった。日本の建て直しが勝ち組、負け組を生むアメリカ型のやり方でいいのか、非常に疑問に思います。まさに「失われた十年」です。
 もう一つは、「危険な十年」とでも言いましょうか。湾岸戦争で日本はお金を出したが自衛隊を出さなかった。一部の方々は、それがために日本は世界から軽蔑されたと考えた。これがトラウマになって、「日本は自衛隊を派遣して目に見える貢献をすべきだ」という論が勢いを得ました。テロ特措法から有事立法へ、そしてイラク戦争への同意、イラク特措法。日本は外国で戦争のできる国への道を歩みつづけてきました。
 でも、角度を変えてこの十年を眺め直すと、「パートナーシップ形成の十年」と言ってよい変化が浮かび上がってきます。日本の社会は、戦前から男尊女卑、国尊地卑、官尊民卑という上下、主従の関係が続いてきました。これを対等なパートナーシップに変えていく法律がこの十年に整備されました。
 一九九〇年初めに、男性も育児・介護休業をとれる法律ができ、「家庭責任条約」と呼ばれる国連ILO156条約が批准されました。九七年の男女雇用機会均等法の改正では、雇用上の差別の禁止、セクハラの防止、女性の活躍をすすめる積極的改善措置が盛り込まれました。九九年には男女共同参画社会基本法が制定されました。家庭内暴力を防止するDV法もできました。ただしこの一〜二年、自治体の男女共同参画条例づくりに対して、偏見を持つ人々によるバックラッシュの波が押し寄せています。
 二〇〇〇年には、地方分権一括法が施行されました。中途半端で金がともなっていないと、私は地方分権推進委員の一人としてお叱りを受けましたが、この法律は国と地方の関係を対等なパートナーシップに変える第一歩だと思います。
 一九九五年の阪神淡路大震災では、日本中からNGOが集まりました。それがきっかけとなって九八年にNPO法ができ、市民の参画と協力なしに行政は進まないと、民の力を認めました。参画と情報公開は表裏一体であり、情報公開法も制定されました。こうして進んだ住民参画の一つの象徴的な法律が介護保険法です。私も委員としてかかわり、介護保険のような制度は住民の参画とニーズに基づくべきだと主張して、被保険者の声を聞くという条文が入りました。
 私たちにはこの流れを育てていく責任があります。自立した市民による民主的な福祉社会をつくっていくのか、現在の自民党の憲法改正草案にみられるように、戦後の市民、平等、人権を後退させて、戦前型のスタイルにもっていくのか。これからの十年はそのせめぎあいだと思います。私が国民連合の代表世話人をお引き受けしたのも、このせめぎあいに勝って民主的な社会をつくるためには、与野党にかかわりなく、いろんな人と手を結ばなければいけないと考えたからです。「小異を捨てて大同につく」から進んで、「小同を重ねて大異を囲む」という気持ちです。

      樋口恵子さんは第二回全国世話人会議で
      新しく代表世話人に選出されました。