国民連合とは代表世話人月刊「日本の進路」地方議員版討論の広場トップ


自主・平和・民主のための広範な国民連合
第11回全国総会記念講演(要旨)

国を亡ぼし、国民を不幸にする
自衛隊のイラク派兵反対

元防衛庁教育訓練局長・新潟県加茂市長 小池 清彦


 イラク特措法は憲法違反

 日本は平和で民主的で繁栄する道を歩むのか、全体主義、ファシズム、没落の道を歩むのか、大きな転機に立っています。そこで、私の二つの要望書を読みあげながら、私の考えを述べさせていただきます。
 まず、七月八日付の「イラク特措法案を廃案とすることを求める要望書」を読みます。
 「1、イラク全土は、常にロケット弾攻撃、自爆テロ、仕掛爆弾攻撃等の危険が存在する地域であり、戦闘行為が行われている地域であります。このことは、米国による戦闘終結宣言によって左右されるものではありません。
 2、『戦闘行為』を『国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為』と定義し、1に掲げる攻撃が『戦闘行為』に当たらないとするイラク特措法の考え方は詭弁であり、強弁であります。」

 イラク特措法第二条第三項には、戦闘行為が定義されています。
 「対応措置については、我が国領域及び現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施するものとする。」
 イラク特措法には、自衛隊は戦闘行為が行われていないところへ派遣するとあります。戦闘行為とは「国際的な武力紛争の一環として行われる」もの、つまり、国と国との戦争、あるいは国に準ずるものとの戦争であると、政府は答弁しています。国に準ずるものとはせいぜいで交戦団体との政府の説明ですが、相手が承認しないと交戦団体になりません。相手は承認しないので、交戦団体はめったにありませんから、国と国との戦争における戦闘行為だけが戦闘行為となります。不正規軍の戦闘行為、ゲリラ戦は戦闘行為ではないということになります。
 ゲリラ戦は、やることが同じなのに、ある時はテロ、ある時はゲリラ戦、ある時はレジスタンスと、いろんな名前で呼ばれています。イラクでは熾烈なゲリラ戦が行われ、米軍が大変な損害を出し、国連や赤十字まで損害を出していますが、イラク特措法上は戦闘行為でなく、小泉総理いわく「夜盗強盗の所行」です。従って、イラクのどこにでも自衛隊を派遣することができます。
 自衛隊はゲリラ戦の戦場に出ていくわけですから、攻撃を受ければやり返し、攻撃されそうなら先制攻撃をかける。そうなると、自衛隊は武力攻撃を目的の一つとして出ていくことになります。武力攻撃の目的をもって武装した部隊を海外に派遣することを海外派兵と定義し、海外派兵は憲法第九条の上から許されないというのが、政府の憲法解釈です。イラク特措法は明らかに憲法違反の法律になります。
 私がこの要望書を出して以降、政府は戦闘地域、非戦闘地域という概念を持ちだしてきました。しかしながらイラク特措法に戦闘地域、非戦闘地域の定義はありません。民主党の菅代表が「イラクのどこが非戦闘地域なのか」と質問したところ、小泉総理は「私にわかるわけがない」と答えました。この答弁はごまかしで、イラク特措法上ではイラク全土が非戦闘地域です。自分が提出した法案の中身さえ勉強していないのではないかと思います。
 「3、イラクは、全土において、前線も後方もありません。イラク全土がいまだ戦場なのであります。」
 ゲリラ戦はますますエスカレートしています。自衛隊の派遣先はサマワかナシリアと考えていたら、ナシリアでイタリア軍が攻撃を受け、二十数人が戦死しました。イスタンブールでイギリスの領事館がやられました。もはや前線と後方、戦闘地域と非戦闘地域の区別はない。自衛隊が行った所へゲリラが攻撃をかけ、そこが戦闘地域になる。非戦闘地域という安全な地域があり、そこへ自衛隊が行くのではないのです。

 英霊の心を体現する
 憲法第九条は日本国の宝

 「4、このような地域へ自衛隊を派遣することは、明確な海外派兵であり、明らかに憲法第九条に違反する行為であります。イラク特措法が定めるような海外派兵さえも、憲法第九条の下で許されるとするならば、憲法第九条の下でできないことは、ほとんど何もないということになります。」
 現在の戦争はほとんどがゲリラ戦です。ゲリラ戦の代表格であるイラクへ自衛隊を派遣してしまえば憲法に風穴があき、自衛隊が米軍の後にくっついて世界のあらゆる戦場に派遣されることになります。
 「5、憲法第九条は、もともとアメリカによって押し付けられたものであることは事実でありますが、しかし、同時に憲法第九条は、終戦後今日までの五十八年間、日本及び日本国民が国際武力紛争に巻き込まれることを固く防止して来たのであります。」
 これを実感したのは湾岸戦争の時でした。その時、湾岸へ自衛隊を派遣する法律が国会に提出され、防衛研究所長をしていた私は、この法律はいけませんと事務次官に申し上げました。結局、この法律は廃案になり、当時の石川防衛庁長官は「あれは憲法違反の法律だ。廃案になってよかった」とおっしゃった。立派な方でした。あの頃は、与党にも野党にも立派な方がいました。昭和六十一年、私は防衛審議官として防衛白書の作成を担当しました。基盤的防衛力構想をやめ、所要防衛力構想にしようという動きが顕著な時でした。私は防衛白書の中で、基盤的防衛力構想を力説し、初めて軍縮に触れました。自民党の先生方と激論になるだろうと思っていたら、栗原防衛庁長官は「この防衛白書は大変いい」と喜ばれました。自民党防衛部会の中心的存在であられた三原先生は、「軍縮について書くことに賛成だ。私は防衛庁に軍縮課を置くべきだと思っている」と言われました。
 話を戻しますが、憲法第九条がなかったら、日本は湾岸に派兵させられていたと思います。朝鮮戦争にも派兵させられていた。現に、朝鮮戦争で日本人が掃海活動に従事し、犠牲者も出ています。しかし、極秘でやられたことで、日本としての参戦ではなかったわけです。憲法第九条がなかったら、ベトナム戦争にも参戦させられていたと思います。
 戦争が終わった時、私は小学校三年でした。一等国であった日本が四等国に落ち込み、外国の占領下にあることが大変無念でした。日本は一刻も早く独立を果たし、自らの軍隊を持たねばならんと、小学生ながらに思いました。それから五十年たち、時代は大きく変わりました。最高裁が統治行為ということで憲法判断を回避していますが、平和憲法と両立する形で自衛隊を持つに至り、独立も達成されました。憲法第九条があることによって、日本人は海外で血を流さずにすんできました。
 先の大戦は極めて悲惨な戦争で、私の最愛の叔父も戦死しました。年をとるごとに、叔父の無念さが身にしみます。毎年、戦没者慰霊祭があり、私も遺族会の方々とお目にかかります。特に遺族会の女性の方々には胸を打たれます。結婚してまもなくご主人が戦死し、大変な苦労をしてお子さまを育て、未亡人という立場で今日まで過ごしてこられた。そんな悲惨なことは二度と起こしてはならない。子孫や後輩にそんな苦難を舐めさせたくない。これが亡くなられた英霊の方々の心だと思います。その心を体現してきたのが憲法第九条です。私は湾岸戦争の時に、平和憲法は国の宝だと思いました。
 その後、PKO法案が通り、防衛庁におけるPKOの副担当は教育訓練局長ということで、私がその副担当になりました。私は幕僚幹部の方々に「自衛隊員の血を一滴も流さない。その一事だけを頭に入れてやっていただきたい」と申し上げました。PKOといえども、たびたび出すと世界の警察官の道につながっていくので、極力出さないようにしなければなりません。現に、「今度はイラクへ」と言い出しました。自民党の中でも大勢の方々がイラク出兵に反対していますが、その中でもかなりの方が、国連の旗の下でならいいとお考えです。国民もその考えに乗りがちです。
 歴史上、世界の警察官になった国は大変な目にあいます。「世界の警察官」を「帝国」と表現する方もいます。紀元前のアテネという都市国家は、デロス同盟の盟主として地中海世界の警察官になり、二十八年間にわたってペロポンネソス戦争を戦いました。今日は東、明日は西と軍を派遣し、結局、アテネは財力も疲弊して滅亡しました。その後も、ローマ帝国、神聖ローマ帝国、フランス帝国、スペイン帝国、大英帝国と、いろんな世界の警察官が出てきますが、いずれも経済的に疲弊して滅亡しました。今はアメリカが世界の警察官です。日本は絶対に世界の警察官になってはいけません。国民は大変な目にあい、あげくの果てに滅亡するのは、歴史の示すところです。
 私が防衛庁におりました頃、国連のガリ事務総長が、アメリカに代わって国連を世界の警察官にしようとしました。頼りにする軍事力がなく、日本に協力を求めましたが、政府は拒絶しました。アメリカは警察官の地位を絶対に手放しません。世界の覇権を手放すことになるからです。ガリ事務総長は結局、アメリカによって首を切られました。アメリカは国連を錦の御旗に利用します。日本人は国連の旗の下ならいいと外に出ていき、血を流すことになる。これはよほど気をつけなければならないと思います。
 日本はやがて、国連安保理の常任理事国になることもあろうかと思います。その時は、「常任理事国にはなるが、憲法第九条があるから派兵はしない」と宣言すべきです。「それではダメだ」と言われたら、なる必要はない。しかし、世界第二の経済大国を無視できませんから、世界は「それでいい」と言うと思います。くそまじめな人は「エゴイズムだ。そんなことで通用するか」と言うでしょうが、国際政治はエゴイズムが渦巻き、燃えさかるところです。そんなところで、日本だけが「エゴイズムを発揮しません」と言っていたら、たちまち焼き殺されてしまう。そこは巧みに、日本は憲法第九条を守ってやっていくことが大事だと思います。何百万という英霊の方々、沖縄をはじめ全国の方々が大変な犠牲を払って得た日本の宝は、なんとしても死守しなければなりません。

 平和愛好国民の名を
 イラク派兵で汚してはならない

 「また、憲法第九条の存在によって、日本人は世界中の人々から平和愛好国民として敬愛され、今日の地位を築くことができたのであります。さきの大戦において、祖国のため、戦火に散華された英霊が望まれたことは、祖国日本が再び国際武力紛争に巻き込まれることがないようにとのことであり、日本国民が再び戦場で斃れることのないようにということであったはずであります。私達は今一度大戦中の苦い経験をかみしめ、昭和二十年八月十五日の原点に立ち還るべきであります。
 6、イラク派兵がひと度行われるならば、平和愛好国民としての日本人に対する世界の特別の敬愛は消滅し、日本は普通の国となって、多くの災いが降りかかって来ることになりましょう。」

 私がこの要望書を出しましたら、かつての同僚や上司、一緒に仕事をした自衛官の方々から、激励の手紙や電話をいただきました。その中に、「あなたの言ってることはなかなかいいと思うが、平和憲法を持つが故に日本人が世界の尊敬を受けているというのは本当か」という方もいました。何回も国際会議に出席したり留学したりして、外国の方々と腹割って話した経験から、外国人の日本人に対する感情は「サムライ」「神風」「広島」「長崎」の言葉に集約されると思います。
 「サムライ」とは並の人間以上の偉大な人間ということで、「サムライ」に対する外国人のあこがれには大変なものがあります。「神風」とは神風特別攻撃隊のことで、現代のサムライということです。常人のできないことをやった日本人はきわめて優秀な民族だと思っているのです。「広島」「長崎」とは、優秀な日本人が今や平和愛好国民になったということなのです。憲法第九条をよく知っていて、「日本は平和な国でいいですね」と言われました。これだけの尊敬を受けているから、日本は短期間に世界第二の経済大国になることができたのだと思います。
 「7、イラク国民は、決して日本国自衛隊の派遣を求めてはおりません。中東諸国の国民も自衛隊の派遣を求めてはおりません。自衛隊は招かれざる客なのであります。
 8、自衛隊の本務は、祖国日本の防衛であります。自衛隊員は、我が国の領土が侵略された場合には、命をかけて国を守る決意で入隊し、訓練に励んでいる人達でありますが、イラクで命を危険にさらすことを決意して入隊して来た人達ではないのであります。『国から給料を貰っているのだから、イラクへでもどこへでも行って命を落とせ』とか、『事に臨んでは危険をかえりみない職業だから、どこへでも行って命を落とせ』ということにはならないのであります。自衛隊員の募集ポスターやパンフレットには、『希望に満ちた立派な職場だ』とのみ書いてあるのであって、『イラクへ行って生命を危険にさらせ』とは書いてないのであります。
 9、私は市町村長の一人として、毎年自衛隊入隊者激励会に出席し、防衛庁・自衛隊の先輩の一人として、『自衛隊はすばらしい職場です。どうかこの職場ですばらしい青春を過ごし、意義ある人生を送って下さい。』と祝福し、励まして参りました。もし、イラク特措法が成立して、私が激励した人達が、招かれざる客として、イラクに派遣されて、万一生命を落とすようなことになったら、私は今度は自衛隊入隊者激励会において、何と申し上げたらよいのでしょうか。私は言葉を知りません。」

 自衛隊入隊者激励会が二月か三月にあります。どうしようかと、今から気になっています。
 「10、自衛隊は、現在は不況下のため隊員の募集難は解消しておりますが、つい先日までは、著しい募集難の中にありました。今後の少子化によって、自衛隊は近い将来再び大きな募集難の時代に入ることになると予想されます。このたびの自衛隊のイラク派遣は、戦場への派遣でありますので、犠牲者が出る可能性は、大きなものがあります。もし、イラクで犠牲者が出た場合、自衛隊は職場としての魅力を失い、大募集難が到来することになりましょう。隊員が集まらなくなった自衛隊は、その根幹が崩壊するのであります。その時は、徴兵制が取りざたされることになり、ファシズムが台頭する危険さえ出て参ります。
 11、イラクで犠牲者が出た場合、自衛隊員の不満は大きなものとなり、国内に大きな衝撃を与え、極めて好ましくない事態が起こってくることを危惧するものであります。」

 自衛隊は内閣総理大臣が命令すればどこへでも行きます。シビリアンコントロールをいいことに、「イラクへ行って命を落とせ」などとやっていると、シビリアンコントロールに対する信頼が失われます。やがてシビリアンコントロールの根幹が崩れ、武力集団を統括することができなくなります。今、二十四万自衛隊の中に、小泉総理に対する不満が浸透しています。ほとんどの自衛隊員が小泉総理を信頼していません。これは大変危険なことです。
 「12、『兵は妄りに動かすべからず』。古今の兵法の鉄則であります。兵を動かすことを好む者は、いずれ、手痛い打撃を受けるのであります。それは、やがて国民を不幸に陥れることになるのであります。安易に兵を動かしてはなりません。アメリカに気兼ねして、イラク国民と中東諸国民が欲せぬ派兵をしてはなりません。
 13、防衛政策の中核である防衛力整備をおろそかにして、海外派兵のことばかり考えることは、大きな誤りであります。国土が侵略されたとき、現在の自衛隊の防衛力は、独力でどの程度まで祖国を防衛することができるのですか。極めて不十分な防衛力ではありませんか。この程度の防衛努力しかできない国が、イラク派兵に狂奔するなど、『生兵法大怪我のもと』であります。」

 宮本武蔵は「五倫の書」で、「生兵法大きずのもと」と述べています。剣聖のいうことを聞くべきです。
 「今こそ日本は、海外派兵重視の防衛政策から防衛力整備重視の防衛政策に転換すべき時であります。名刀は鍛えぬいて、されどしっかりと鞘の中に収めておくのが剣の道であり、兵法の極意であります。
 14、以上に鑑み、二十一世紀の日本及び日本国民の安泰を祈念し、イラク特措法は廃案とされるよう、強く要望するものであります。」


 アメリカの圧力から
 自衛隊員とその家族を守れ

 重複する部分を避けて、「自衛隊のイラク派遣を行わないことを求める要望書」も読ませていただきます。
 「1、イラク特措法は、形式的には成立いたしましたが、憲法違反の法律であります。
 10、本年五月一日のブッシュ大統領の戦闘終結宣言から十月二十日までのわずか半年もたたない間のゲリラ戦における、米軍の死者は二百人、英軍の死者は十八人、その他の国の軍隊の死者は四人といわれております。負傷者の数は、その五倍近くにのぼるものと推定されます。これは、米英軍の攻撃が開始されてから米大統領の戦闘終結宣言までのイラク軍との戦闘期間中における米軍死者百三十九人、英軍死者三十三人の合計を大きく上回るものであります。これらは、アメリカの民間団体が米国防総省、中央軍司令部及び英国防省の発表に基づき集計した結果をインターネットのホームページに掲げている数字であります。」

 この一カ月間で米軍の死者は急増し、現在は二百人ではなく、二百八十人を超えていると思います。
 「これは、イラク全土が、ベトナム戦争やチェチェン紛争と同様の泥沼化したゲリラ戦の状態になっていることを示しております。政府が陸上自衛隊の派遣を計画しておられるというイラク南部も、決して安全ではありません。イラク全土が不正規軍によるゲリラ戦の戦場なのであります。航空自衛隊の航空機の派遣を計画しておられるというバグダッド空港に至っては、ゲリラ戦の戦場の中心部であります。輸送機に鉄板を貼ったくらいで、飛行中のミサイル攻撃や駐機中のロケット攻撃を防げるものではありません。
 11、日本国憲法の下で自衛隊法第五十二条(服務の本旨)には、『隊員は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、・・・事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを期するものとする。』とあります。ここには、自衛隊の使命は、『わが国の平和と独立を守る』ことだとはっきり明記してあるのであって、外国のゲリラ戦の戦場に赴くことだとは書いてないのであります。さらに自衛隊員は、『服務の宣誓』の中で、この条文に定めてあることに加えて、『日本国憲法を遵守』することを宣誓しておりますので、憲法違反の海外派兵に参加してはならないのであります。
 12、重ねて申し上げますが、自衛隊員は、日本国憲法の下で祖国防衛のために自衛隊に入隊して来た人達であって、イラクを始め世界のゲリラ戦の戦場に赴くために入隊して来た人達ではありません。それなのに『国益』の二文字を以て、外国のゲリラ戦の戦場で、自衛隊員の命を危険にさらし、命を犠牲にすることを強いることは、憲法違反の行為であることはもとより、政府の契約違反行為であり、甚だしい人権侵害であります。国民一人ひとりの幸福を離れて真の『国益』はありません。
 13、貴台は、理不尽なる海外派兵によって自己の崇高なる祖国防衛の志に全く反して、遠く異境のゲリラ戦場に派遣され、一つしかない生命を危険にさらされることに対する二十四万の自衛隊員とその家族の無念と悲痛な思いが全くお分かりにならないのでしょうか。
 14、日本国政府は、アメリカを支援し、イラク復興のため諸外国に比して極めて多額のお金をお出しになるとのことであります。この要望書においては、お金を出されることについて、深く論ずることはいたしません。初回分として十五億ドル(千五百六十五億円)のお金をだすことは、その是非は別として、それだけで十分アメリカ政府を満足させるものであることを指摘するにとどめておきます。一方、人を出すということは我が国の存亡と国民の幸せに対し、極めて重大な好ましくない結果を生むのであります。フランス、ドイツ、ロシア、中国は、金も人も出しておりません。イスラム教国は、いずれも派兵しておりません。アジアで派兵しているのは韓国のみであり、この国は朝鮮戦争でアメリカに大きな恩義がある特別の国なのであります。この度のイラク戦争は、歴史的にみるならば、千年以上にわたるキリスト教徒とイスラム教徒の熾烈な戦いの延長との見方も成り立つのであります。そのような戦場に人まで派遣し、火中に飛び込む栗のような行動を取ることは、取り返しのつかない結果を生む外交、軍事上の大失策となるでありましょう。」

 キリスト教徒とイスラム教徒は千年以上にわたって熾烈な戦いを繰り返し、今の争いはパレスチナ問題が尾を引いています。もともとテロが日本を向いてもいないのに、小泉さんが「テロに屈しない」と力むのはわけが分かりません。
 「16、憲法第九条が存在しているがゆえに、日本国民は、朝鮮戦争にも、ベトナム戦争にも、その他多くの戦争に参加することから免れることができました。今後とも、憲法第九条の持つ意義を十分にわきまえて、海外派兵を慎むべきであります。(略)自衛隊員の命を大切にして、二十四万の自衛隊員とその家族をいつくしみ、渾身の勇を振るってアメリカの圧力から自衛隊員とその家族を守ってこそ、真の為政者であり、大和もののふであると確信いたします。冷酷なる為政者として日本歴史に名をとどめるようなことは、決してなさらぬよう心からお願いするものであります。
 敷島の大和心を人問はばイラク派兵はせじと答へよ」

 小泉総理、防衛庁長官、外務大臣がそれでもイラクに派兵すると言うのなら、日本のために早急に退陣すべきだと考えます。(文責・編集部)