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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2003年11月号

ナショナリズムを超えるもの

―アジアとの交流のなかで考える―

アジアサイエンスパーク協会名誉会長  久保 孝雄


 最近、アジアとの交流の中で、日本のナショナリズムについて懸念を示される機会が多くなった。そこで私なりにその背景と展望について考えてみた。
 確かに、いまやナショナリズムの風潮が日本を覆っているかに見える。一部マスコミや言論人がこの風潮をあおってきたが、現状では一定の成功を収めている。一昨年の小泉内閣の登場によってこの風潮がさらに加速されてきた。たえず敵を作り、敵と戦うポーズで大衆の支持をつくりだす小泉流手法がこの風潮にマッチしており、政治の情動化を増幅させてきた。
 こうした風潮の中で、石原都知事など多くの保守政治家が歴史認識も人権意識も欠いた暴言を繰り返し、アジア諸国の反発を招いている。しかし、一昔前だったらクビが飛ぶような発言をしているのに、大した社会的糾弾もなく収まっている。明らかに社会の雰囲気が変わり、こうした言動に寛容ないし不感症な雰囲気ができてしまっている。日本の右傾化にアジアの警戒心が高まる所以である。
 小泉内閣は、こうした雰囲気の中で有事立法からイラク特措法へと憲法に抵触する立法を次々に進めてきたが、その総仕上げとして、現職総理として初めて自衛隊は軍隊であると認め、「憲法改正」を具体的政治日程にのせようとしている。まさに「憲法の底が抜けた」(前田哲男)状況が生まれており、中曽根内閣以来の自民党の悲願である「戦後の総決算」へと事態は進み出しつつある。アジア諸国を巻き込んだ太平洋戦争の悲惨な敗北であがなわれた平和と人権と民主主義を柱とする「戦後体制」はかつてない危機を迎えている。

排外主義の背景

 もちろん、こうした風潮は偶然生まれたものではなく、明らかに客観的根拠をもっている。何よりも日本経済の長期低迷による経済的、社会的矛盾や困難の増大が直接の背景である。しかし、その背後には、東西冷戦の終結、ソ連体制の崩壊、グローバリズムの高進、アジアとくに中国経済の躍進、IT革命の進展、地球環境問題の深刻化など、日本の国家戦略を大きく揺るがす世界構造の地殻変動があった。にもかかわらず日本は、八〇年代に世界最強の製造業を創り上げた成功の美酒に酔って自己満足に陥り、他方では対米配慮に緊縛されて国家戦略の再構築に立ち遅れてしまった。一極化したアメリカ主導のグローバリズムとIT革命に翻弄される一方、中国・アジアの急速な工業化によって「世界一の製造業」が脆くも崩れ、産業の空洞化が進み、「世界の工場」の座も中国に奪われ、アジアの重心は日本から中国に移りつつある。
 こうした国際環境の激変による対外戦略の再構築に加え、内では少子高齢化や知識・情報社会への転換など持続可能な経済と社会―成熟社会への移行戦略の構築が課題だったにもかかわらず、内外共に小出しの戦術的転換に終始して構造転換に立ち遅れ、経済の長期低迷が始まり、国際競争力は急低下(九一年の一位から〇二年の三十位に)した。リストラの嵐が吹き荒れ、失業者が増大し、自殺者も三万人の大台が続き、若年層の失業率は全国平均の二倍の一二%を占めている。産業の空洞化は止らず、工業地帯では遊休地が拡大し、残った生産現場では事故や災害が多発している。地方経済の不振は各地に広がる「シャッター商店街」に象徴されている。
 すでに「失われた十三年」になったが、いぜん確たる出口が見えないまま経済の低迷が続いている。対外的には「アメリカに頭があがらず、中国には追い抜かれる」で苛立ちが募り、内では経済的、社会的閉塞状態が続くなかで、国民の不満と不安は出口のないまま鬱屈した形で蓄積されている。本来ならこうした不満、不安は政治変革のエネルギーとして組織化されるべきだが、野党や労働組合、市民運動の側も国家戦略や運動戦略の再構築に成功しておらず、制度疲労を起こしている「戦後体制」改革のシンボルを小泉構造改革にとられ、政治変革の主導権を取れないままマグマが沈殿している。そして、このマグマが政治変革のエネルギーに転化しないように、外に導く役割を果たしているのが排外主義的ナショナリズムである。一部マスコミのあおる中国への反感や嫌悪感、まるで戦争前夜のような北朝鮮に対する度外れたバッシングなどがその現れである。

アジアで生きる道を

 だが、果たしてナショナリズムに展望はあるのだろうか。私はないと思う。もちろん楽観はできないが、成功するための経済的、社会的基盤と国際環境を欠いているからである。
 第一に、明治いらい蔑視、軽視してきた中国の目覚しい躍進に対して「中国脅威論」が唱えられているが、中国と敵対し、共生、共存を否定したら日本経済が立ち行かなくなることは明白である。すでに二万四千社の日本企業が中国に進出しており、輸出入とも中国が一、二位を占める最大の貿易相手国になっている。日中の経済関係はすでに相互補完と一体化に向かって引き返し不能地点を越えている。ひところ燃え広がった「中国脅威論」がしだいに色あせてきたのはこのためである。
 また、「北の脅威」も過剰反応である。北朝鮮のGDPは、日本の最も小さな県のGDP程度に過ぎないと推定される。核開発をめぐる瀬戸際政策は、拉致問題解決の足かせにもなっており、絶対に容認できないが、結局は北をイラク、イランと並ぶ「悪の枢軸」と規定するアメリカの敵視政策(米朝はいまだに休戦協定による休戦中である)に対抗するギリギリの抑止・牽制であり、本音は不可侵の保証であって、アメリカとまともに事を構える能力などない。日本も北にとっては経済建設に活用すべき国であって、核政策の対象とは思えない。
 しかも、戦後の日本は平和憲法のもとで「戦争をしない」平和国家建設を国是とし、「戦争のできない」高密度都市国家をつくりあげてきた。数多くの原発を持ち、集権化された巨大都市東京を中心に東海道メガロポリスに神経中枢と動脈系統、国富の大半が集中し、資源・エネルギー、食料を海外に依存し、貿易によって生きるしかない日本が、戦争に耐え得ない国であることは明らかである。戦後の半世紀をかけて、戦争が始まったら「オシマイ」の国をつくってきた日本は、平和憲法を持つ国として絶えず国際緊張の緩和に全力を尽くし、国際紛争を未然に防止することに国の運命をかけて取り組む以外にない。半世紀を経た「戦後体制」は改革すべき面を多くもつが、憲法原理はむしろより発展・充実させるべきものである。
 さらに、マイナス面を絶えずチェックしなければならないとしても、日本はグローバリズムのなかで生きるしかない国であるが、グローバリズムは同時にボーダーレス化を推し進める。現に企業は国境を越えて世界最適地を求めて資本を移動させており、資本に国境はない。最近は人材の国際移動も活発化している。いまや企業や人が国を選ぶ時代になっている。魅力のない国からは企業も人も移動する。EUを見るまでもなく、二十一世紀は国境の壁が限りなく低くなっていく世紀になる。「国民国家」は益々相対化され、ナショナリズムは経済的、社会的、政治的基盤を失っていく運命にある。
 いま世界中に百二十以上の自由貿易地域(FTA)があるが、先進国では日本だけ加入していない。日米基軸に緊縛されずアジアにも軸足を据え、FTAづくりを積極的に進め、まず日中韓朝の「東アジア共同体」を、さらにASEANを含む「アジア共同体」をめざし、中核的役割を果たしていくことが日本の生きる道である。古いアジア観、国家観から脱却できずにアジアと世界から孤立を深めていけば、アメリカの一部で取りざたされている「日本のMarginalization(重要でない国への転落)」が本当に起こってしまう。    (談・文責編集部)