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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2003年10月号

ブッシュ・ドクトリンと中東和平の挫折

東京外国語大学教授  藤田進


 行きづまる米国のイラク占領

 「九・一一後の世界はテロリズムで平和が脅かされている。テロの元凶であるアフガニスタンに続いてイラクも叩くためにアメリカ主導のイラク戦争が行われている。日米同盟は重要だから自衛隊派兵が必要だ」。これが小泉政権の論理です。その場合、平和とかテロリズムが具体的に何を指すのか不明確なままに、ブッシュが世界的な批判を無視して戦争を強行し、イラク占領体制が混乱していることには触れない。日本はどこまでも米国に従っていこうとしています。
 しかし、イラクでは米国が、パレスチナでは米国に支えられたイスラエルが、民意を無視して軍事的抑圧を行い、民衆の大きな抵抗にあっています。その抵抗をテロと位置づける米国とイスラエルが、力づくでやればやるほど民衆の抵抗が激しくなるばかりで、力づくのブッシュ・ドクトリンに展望はありません。
 イラクにおける民意を無視し生活を破壊する米軍の軍事的抑圧と、イスラエルのパレスチナ住民に対する抑圧と右翼的な行動が重なって認識されています。イラクとパレスチナを軸にして、そういう認識が世界に、とくにイスラム世界の民衆に広がっています。

 オスロ合意と中東和平

 パレスチナ問題を理解するには、オスロ合意以降の十年間の中東和平の経過をみる必要があります。
 一九九三年九月、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長とイスラエルのラビン首相(当時)との間で、お互いを承認し、パレスチナ人による暫定自治を実施する合意(オスロ合意)が結ばれました。一方で、イスラエルが本当に占領をやめ撤退するのか、ユダヤ人入植地はなくなるのかなどの問題はあいまいなままでした。しかし、世界の多くはパレスチナ自治に目を向け、それらの副次的な問題は次第に解決するのではないかと楽観視しました。
 オスロ合意を具体化するため一九九四年五月にカイロで協定が結ばれ、ガザ地区とヨルダン川西岸のエリコを暫定自治区とすることになりました。さらに九五年九月、自治区を西岸の各都市に拡大することが合意されました。しかし、ガザ地区でも既存のユダヤ人の入植地は温存されました。
 イスラエルは一方で平和をいいながら、いろいろな条件をつけて占領地からの撤退を遅らせ、さらに治安維持を口実に入植地の拡大を進めました。副次的と思われていた問題が次第に大きな問題に発展しました。 そして、二〇〇〇年九月、イスラエルのタカ派のシャロン氏はエルサレム旧市街にあるイスラムの聖地への立ち入りを強行して、四百人近い死者を出す衝突事件の口火を切りました。一方、パレスチナ人は抵抗運動(第二次インティファーダ)を始めました。翌二〇〇一年にシャロン首相誕生以降、イスラエルは力づくの政策を強め、対立は泥沼化し中東和平は危機的な状況を迎えています。米国は中東和平を建て直そうと米国主導の平和構造(ロードマップ)を進めましたが、メドは立っていません。

 ガザ地区の現実

 今回、私はガザ地区を中心に現地を訪れました。それはオスロ合意で副次的と思われていたイスラエルの占領撤退をめぐる問題がどう展開しているのか、パレスチナ住民の状況がどうなっているのかを具体的に見ることが重要だと思ったからです。
 ガザ地区は地中海に面した東西十キロ、南北四十キロの細長い地域で、パレスチナ人が約百二十万人住んでいます。ガザ地区の面積の三〇%がユダヤ人入植地で南部を中心に広がっています。
 ガザ地区の中でガザ市は、占領時代に比べはるかに立派になりました。ところがガザ市から南へ下ってハーン・ユーニスという所に行くと入植地が広がり占領時代のままです。
 ユダヤ人入植地は、パレスチナ住民の土地を暴力的に取り上げて作られたものです。ハーン・ユーニスではオスロ合意以降、その入植地が減るどころか、入植地の安全のためという様々な口実で土地を取り上げ、入植地が拡大している現実があります。シャロン政権になって、その傾向が強まったと聞きました。
 入植地の安全確保という理由で、イスラエルは入植地と本国の間や、入植地と入植地の間に専用道路をつくりました。そして入植地や専用道路を守るためにイスラエル軍が居残ったのです。
 入植者側から見ると安全問題ですが、パレスチナ住民から見ると、イスラエル軍が展開し、入植者を守るための道路ができて、そこにはパレスチナ人は立ち入れない。専用道路ができたためパレスチナ人の居住区があちこちで寸断されることになりました。そのため子どもが学校に行ったり、夜遅く子どもが病気になって病院に行こうにも、検問所でとめられる。パレスチナ住民の日常生活が破綻をきたし、「イスラエルは平和協定というが、入植地の安全だけを優先している」と怒りを口にしていました。
 ハーン・ユーニスの海岸沿いに、マワーシーという入植地にはさまれ孤立状態になったパレスチナ人居住区があります。そこに行くにはイスラエル軍検問所があって通行許可証が必要であり、そこのパレスチナ難民のもとにパレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が二回ほど食料品など救援物資を届けました。しかしその後、イスラエル軍が通行を認めなかったため、救援物資は止まったままです。
 同地区のパレスチナ住民への軍介入は以前より強まりました。入植地の近くにパレスチナ住民が家を建てるにはイスラエル軍の許可が必要になったり、入植地の六メートル以内には近づくことを禁止されるなど、自分の土地であるにも関わらず様々な制限や禁止事項を突きつけられました。
 生活基盤を占領下で破壊され就職の場がないためオスロ合意以降も、多くのパレスチナ住民はイスラエルに日雇いに行かざるを得ない。しかし、イスラエルに入ることは厳しく制限されるようになりました。労働許可証がないと入国できずイスラエルに出稼ぎに行けません。また入植地の道路でトラブルがあるたびに通行閉鎖になり、労働許可証自体が無効になってしまいます。
 さらに水や電力問題もハーン・ユーニスでは深刻です。生活用水や農業用水など水源をすべて入植地がコントロールしているからです。地中海に近いハーン・ユーニスの水道は塩辛くて飲めませんから飲み水は全部買わなければいけない。貧しい住民にとって大変な負担です。電力も占領地時代と同様にイスラエルから来ます。ハーン・ユーニスの町は電力不足で一日の半分以上が停電です。
 工場や大規模な農業経営をやっている入植地があります。その経営にあたる入植者の多くは米国から来たユダヤ人です。以前はパレスチナ住民が働いていたそうですが、現在働いているのはタイ人や東欧の労働者です。
 イスラエルはオスロ合意という平和を装いながら、「入植地の安全」「テロ対策」を口実にして入植地を温存し、それをテコに入植地を維持拡大する政策を進めてきたというのが実際です。それに対する抵抗には軍事力で黙らせようとする。圧倒的な軍事力をもつイスラエルに対して自治政府はまったく無力です。パレスチナ住民は命がけのいわゆる「自爆攻撃」などで対抗するしかない状態になっています。
 オスロ合意による中東和平の破たんを建て直そうとしたのが、米国主導のロードマップです。しかし、イスラエルの政策を容認する米国への不満は高く、イラク戦争と相まって混乱はおさまりません。
 住民の生活や民意を抜きにしたオスロ合意やロードマップなど米国主導の平和の構図を進めたことに原因があります。パレスチナ住民の生活を無視し破壊する現状がつづく限り、「自爆攻撃」は終わらないでしょう。自治政府を軍事力で無力化させたのはイスラエルです。アラファト・PLO議長を叩いても解決するはずがありません。オスロ合意から十年、中東和平は危機的な状況を迎えています。これがガザ地区に行って受けた実感です。

 イスラエル国内の動揺

 イスラエル国内も少し見てきました。パレスチナ人を軍事的に抑圧するために軍事大国の性格を強めています。軍事費のしわ寄せでイスラエルの国民生活が不安定化し、経済力が落ちています。
 イスラエルは、パレスチナ人の土地を軍事力で奪って一九四八年に建国しました。イスラエルのナザレという町に行きました。イスラエルには今もたくさんのアラブ人がいます。イスラエル国民の三割を占めるアラブ人は、イスラエル建国の時に自分たちの村を奪われた人たちで、三級市民として暮らしています。彼らの生活レベルはヨルダン川西岸やガザ地区のパレスチナ人より上ですが、イスラエル国内で人権蹂躙などいろいろな抑圧を受けています。しかも奪われた自分たちの村がイスラエルの都市に変わっていく様子を全部記憶しています。彼らは、イスラエル国民としてのアイデンティティを描けないで苦悩しています。
 イスラエルは建国以来、絶えずユダヤ人以外を切りすてることで成り立っている国家です。これは様々な国内矛盾にもつながっており、大変な危機要因です。ユダヤ人以外は信頼できない、信頼する相手を限りなく狭くしか見出せない国是に対して、次第に耐えられなくなった人々がイスラエル国内で増えています。若者の徴兵拒否が広がっています。最近、空軍パイロットが「無実の市民を傷つけることは拒否する」とパレスチナ自治区への攻撃を拒否する動きも広がっています。移民としてきた人たちも、治安の悪さが原因でイスラエルから逃げ出しています。圧倒的な軍事力を背景に当面の間は力で押さえ込むでしょう。しかし長期的には深刻な事態から抜け出すことはできません。


 自衛隊のイラク派兵

 中東では、幸か不幸か日本の動きはあまり知られていません。中東で影響力が一番あるのはカタールのテレビ局「アルジャジーラ」です。そのアルジャジーラでは日本のことは話題にもならず、自衛隊派遣もほとんど報道されていません。
 中東諸国の民衆の多くは今も親日的です。米国による広島・長崎への原爆投下と戦後の占領政策を受けた米国の犠牲者として受け止められています。合わせて戦後の経済発展を成し遂げた国として広く親日感情があります。さらに医療や子供たちに対する支援など日本のNGOの活動が好感をもって受け止められています。パレスチナでは日本政府による放送局や病院などの援助も好感を持たれています。イラクやペルシャ湾岸に近づけば湾岸戦争の体験から日本に対する批判の声がありますが、中東の民衆レベルで見れば今でも親日感情が広くあります。
 一九九一年の湾岸戦争による破壊、そして十年以上の米国による経済封鎖、米英軍による軍事的な制空権と空爆、劣化ウラン弾による被害などでイラク民衆の生活破壊が続きました。そして今回のイラク戦争と占領政策が加わった。だからイラク国民は、米国の対イラク政策を米国の利権目的であると見抜いています。
 そのイラクに日本が自衛隊を出すということは、米国側に立って民衆を敵に回す結果になることは明白です。イラク国民からすると「日本は米国と一緒になってわれわれを殺すのか」となります。親日感情は一瞬にして反日感情に転換すると思います。その反日感情はイラクだけでなく、中東全体、イスラム世界全体に広がります。
日米同盟を重視して米国の軍事路線を支える外交か、それとも民衆の生活を重視する独自外交か、日本外交が大きな分岐点に立っていることを改めて実感しました。力づくのブッシュ外交に展望がないことは明白です。米国の言いなりになって自衛隊派遣をすることは日本のためにもイラクのためにもなりません。(文責編集部)