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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2003年7月号

沖縄から
米兵によるレイプ事件を告発する

那覇市議会議員 狩俣信子


 米兵によるレイプ事件(二〇〇三年五月二十五日)がまた起こった。一九四五年、米軍が沖縄に上陸した時から幾度レイプ事件が起こってきたことか。米軍の上陸から十カ月後にはレイプによる結果が現象として表れることになった。女性たちの戦後史を読んでみると、その被害に涙を抑えることができない。沖縄戦は牛島中将らの自決により組織的な戦闘は六月二十三日に終わったが、それから後の戦いでも多大な戦死者を出し、そして人々は捕虜として捕虜収容所に収容された。米兵による強姦(レイプ)事件は、その捕虜収容所の中でもすでに起こっている。捕虜収容所から畑に行く道すがらや仕事中の畑の中でレイプされることもしばしば起こった。
 しばらくして、人々はそれぞれの居住地に帰っていく。そこでも米兵によるレイプ事件は起こった。夫の目前でピストルを突き付けてレイプしたり、夜半に民家に押し入って事件を起こすこともあった。またレイプされたことを夫に秘密にしていたが、生まれた子がいわゆる「混血児」であったことから、夫婦間がしっくりいかず離婚するなど悲しいことが起こっている。米兵に追いかけられ崖から飛び降りて死んだ女性もいる。
 私が小学生の頃、戦後五〜六年経過したことであったが、夜半に聞こえるガンガンという鐘の音で飛び起きることがあった。それは米兵による「女がり」の危険を報せる鐘の音であった。今でも忘れることができない。
 沖縄戦を考える時、地上戦の悲惨さと戦後の悲惨、戦争のもたらす非人間的な行動、何をとっても胸の痛むことばかりだ。戦後五十八年目をむかえた今も米兵によるレイプ事件が後を断たない怒りをどこにもっていったらいいのか。
 一九五三年に起こった「由美子ちゃん事件」を思い出す。六歳の子が家から連れ出されレイプされて殺された事件だ。読谷近くの海岸にその死体はあった。恐怖の中で父を呼び母を呼び助けを求めたことだろう。中学生や高校生も被害にあった。バーに勤めていた女性がレイプされ殺されたこともある。
 一九七二年に祖国復帰をし、日本国憲法の下に帰ったとはいえ、米兵によるレイプ事件が無くなったわけではない。
 さる二〇〇三年六月二十四日の衆議院沖縄・北方特別委員会において、沖縄県選出の東門美津子氏が復帰後のレイプ事件について質問している。それに対して外務省の海老原紳北米局長は一九七三年から二〇〇二年までに、沖縄では軍人・軍属や家族による女性暴行事件が百十一件発生し、百二十六人が検挙されたと答弁している。この期間の日本全国における女性暴行事件は沖縄を含めて百六十六件という事をみたとき、沖縄百十一件に対し沖縄以外の地域で五十五件であり、いかにこの狭い沖縄にレイプ事件が集中しているかが分かるだろう。しかも、統計に表れないレイプ事件があることを考えた時、さらにその数は大きくなる。
 一九九五年に起こった三人の米兵による少女暴行事件の時、八万五千人余の人々が抗議集会をもった。米国総領事館や外務省などにいろいろな政党や女性団体、グループが波状抗議を行った。また、私たち女性グループは抗議の座り込みを行ったが、その時カンパをしたご夫婦の話に触れておきたい。このご夫婦には娘さんが一人いるが、小学生の時ひとりで留守番をさせていたら、大変な事件に巻き込まれてしまったとのことであった。それはご夫婦が留守の間に米兵が上がり込み、その子を暴行してしまったのだ。悩み苦しみ、出した答えは「この事は家族だけの胸に秘めておこう」ということであった。だから、少女暴行事件を知ったときは自分たちとだぶったとのことであった。署名はできないが「頑張ってほしい」のでカンパをしたいとのことであった。
 日米地位協定一七条五項Cによると米兵が米軍基地外で罪を犯し、米軍が身柄を拘束すると、起訴するまでは米軍がその身柄を確保すると規定している。しかし、一九九五年の暴行事件後は日米地位協定の運用改善で「殺人や強姦など」の「凶悪犯罪」については米側の「好意的配慮」で起訴前の身柄引き渡しが可能になっている。しかし、沖縄では二〇〇一年六月に北谷町で起こった女性レイプ事件の時だけそれは実行された。昨年十一月に起こった海兵隊少佐によるレイプ未遂事件では、県警が逮捕状をとったにも関わらず、身柄の引き渡しを拒否した。少佐という軍隊における身分がそうさせたのか。
 今回の米海兵隊上等兵によるレイプ事件では、事件発生後五日経過して知事に報告があったとのことで通報体制の在り方が問題になった。他国に軍隊を駐留するのに、軍隊をおく国の人権や環境などにあまりにも配慮がなさすぎる。沖縄側からすれば、一日も早く「日米地位協定の見直し」を要求するのは当然の事であり、運用改善で事を押し切ろうとする日本政府のやり方に多くの県民がふがいなさを感じている。戦後この方レイプ事件が起こり続けている沖縄の状況を変えるには、海兵隊の撤退が一番の解決策だと考える。
 現在沖縄に駐留する約一万六千人の海兵隊が撤退すれば、事件や事故も減少し、女性や子どもの人権も守られるというものだ。「米兵の教育や綱紀粛正を徹底します」という言葉には意味がないことを私たちはよく知っている。
 米兵にレイプされた事で、いまだに苦しみもがいている女性何人かから話を聞いた。立ち上がるのに時間がかかる。それだのに女性の繊細な気持ちを逆撫でするような発言を国会議員がしたことに呆れ返っている。太田誠一氏の「集団レイプする人はまだ元気があっていい」とか「正常に近い」という発言はなんと軽率なことか。自分の妻や娘がレイプされた時も笑って同じ事が言えるのだろうか。
 これ以上の犠牲を出さないために、沖縄から告発する。

 5月15日、本島北部で県内の女性(19)がキャンプ・ハンセン所属の米海兵隊上等兵(21)に顔面を殴られ、強姦される事件が発生。女性は鼻骨骨折で全治3週間の重傷を負った。
 上等兵は5月25日午前3時15分ごろ、友人らと金武町内の飲食店にいた女性を店外に連れ出し、民家横の通路で暴行の上、顔面を素手で殴った。女性と上等兵は初対面だった。事件後、女性が近くのキャンプ・ハンセンのゲートに駆け込み、事件が発覚した。
 6月16日、米兵に対し強姦致傷容疑で逮捕状が出され、県警は米軍に拘束されている容疑者の身柄引き渡しを求めたが、米側が起訴前の身柄引き渡しに同意したのは事件発生から25日後の6月18日だった。