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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2003年6月号

国立大学法人法案の反社会性

北海道大学大学院理学研究科教授  辻下 徹


 企業の一部を子会社として独立させ支配力強化と経営効率化をはかることは民間的経営の常套手段である。国立大学を「独立法人」にする政府の目的も同じである。しかし、マスメディアは「独立行政法人化すれば国立大学は政府から独立するので自律性が高まる」と執拗に報道してきた。筆者は、このような情報操作に憤りを感じ、四年前よりインターネットを通して事の真相を社会に伝えようと試みてきたが、法案は五月二十二日に衆議院を通過し成立寸前の情勢である。

I.国立大学法人制度とは何か

 国立大学制度は、国立大学設置法・国立学校特別会計法・教育公務員特例法等の法律群によって、組織・財政・人事の自律性を大学に保障し、国立大学における教育と研究が、政府や企業などの外的諸力に従属することを防止してきた。
 しかし、一九八〇年以降の大学予算据え置き政策と一九九〇年代の「上からの大学改革」と大学差別政策により国立大学の旧文部省への従属度は年々強くなってきた。
 法案が規定する国立大学法人制度では、文部科学大臣が六年毎に大学の中期目標を定め、大学が作成した中期計画を認可し、運営費交付金を交付する。期末に、文部科学省の国立大学法人評価委員会が専門的見地から国立大学法人の目標達成度を評価し、総務省の独立行政法人評価委員会が、政策的見地から業績評価し、存続・民営化・廃止等を文部科学大臣に勧告することになっている。
 さらに、強力なトップダウン経営体制が義務付けられており、国立大学法人は軍隊式の指揮命令系統を持つ研究教育受託企業である、と考えれば本質を見失わないであろう。
 国立大学法人化は、一九九八年末の自自連立の際の公務員二五%削減政策がきっかけとなり、一九九九年九月に旧文部省は国立大学の独立行政法人化の方針を発表した。国立大学協会(註1)の幹部は、国立大学の学校法人化(私学化)を過度に恐れ、「修正独立行政法人化」を模索する条件闘争の姿勢を取り、譲歩に譲歩を重ねた末に、大学自治の抹消を目的とするとさえ言える現法案の成立に協力している。

U.国立大学法人法案の危険性

 国立大学法人制度は、以下のように、学の独立性と知の公共性を否定し、日本社会の知的進展を構造的に阻む。

【大学の生殺与奪権を政府に付与】 政府は、大学の中期目標を策定し、評価に基づく資源配分および改廃審査を行なうことで、大学を直接にコントロールできるようになる。野望を持つ政権が大学を動員することを防ぐ法的歯止めがない。憲法二十三条と教育基本法第十条を実現している法体系を廃止する点で、その違憲性を最高裁は裁くべきであろう。

【国立大学の財政的基盤の弱体化】 大学の設置者が国立大学法人となり、設置者の経費負担を義務付ける学校教育法から政府は解放される。支出義務が政府にある人件費枠は非公務員化によりなくなるが、国立大学法人法案に代替物はない。安定した財政的基盤を失う国立大学法人は、入学金・学費の値上げ、定員拡大などを検討する一方、産学連携を余儀なくされ、企業が関心を持たない基盤的研究分野は、資金面でも人事面でも次第に衰退していくであろう。

【不透明なサバイバル競争】
 「客観的評価に基づく資源配分」という美名による恣意的資源配分があらゆるレベルで行なわれ、大学・部局・学科・専攻・個人の間の生き残り競争が加速する。「主流派」による予算・人員の寡占が進み、少数派は淘汰される可能性が高く、学問の多様性が急速に失なわれるであろう。
 また、学問そのものとも言える基盤的研究は、短期的成果が確実ではないために敬遠され、さらに衰退を余儀なくされる。また、大学教員という不安定で地味な職業に、若者の大半は興味を示さなくなるであろう。これは、日本社会の将来にとって不幸なことではないだろうか。

【トップダウン体制】
 学長をトップとする強力な上意下達体制が法的に義務付けられる。このような中央集権体制は、教育研究諸活動の原動力である自発性と意欲を損なうと同時に、言論の自由を脅かす。大半の学長が中間管理者として振舞うことが予想されるので、高校までの文部科学省による管理統制が大学にまで及ぶことになろう。

V、国会審議と廃案を求める運動

 「お上が決めたこと」として独立行政法人化を甘受する空気のなかで、前節のような危険性を看過できない教員は少なからずいて、種々の反対運動が展開してきた。組合による従来型の運動に加えて、教員有志によるインターネットを利用した運動も機動的に展開されてきた。五月二十三日には、以下紹介する運動体の代表六名が文部科学省記者クラブで合同記者会見をしている。
 四年前に結成された独立行政法人反対首都圏ネットワークは、情報発信と運動の呼びかけを行い反対運動の核となってきた(註2)。現在、国会議員への働きかけを精力的に進めている。
 国立大学独法化阻止全国ネットワーク(註3)は二年前に結成され大学外や海外への発信に力を入れ、四月三日の国会内集会では、民主党を含む諸野党議員・秘書の参加を得た。また、全国ネットは膨大な関連資料をCD―ROMに収納し議員・報道関係者に配布している。
 今年一月に、名古屋大学の池内了氏は、作家の井上ひさし氏、山田洋二監督らと共に、国立大学法人化に反対するアピール(註4)を発表し、五月二十八日までに四千七百七十三名の賛同を集めている。三月二十七日に「教育基本法と国立大学の法人化を考える集い」を開き、六月六日に「国立大学の法人化を考える夕べ」(註5)を東大教官有志とともに共催を予定している。翌日六月七日は、銀座で国立大学法人化反対銀座パレード(註6)がある。
 四月には、東大教員有志が意見広告運動を開始し、四月二十三日に朝日新聞全国版七段で千三百四十名が、さらに五月二十一日の毎日新聞の全国版には新たに六百五十七名が法案の問題点を全国民に伝え廃案を訴えた(註7)。
 筆者もネットを利用した広報活動を種々試みてきた。サイト(註8)のトップページには一九九九年から約五十万のアクセスがある。メールマガジン(註9)は千七百名余の講読者数があり、「国公立大学通信」(註10)の配信数は二万七千である 。国立大学電子レファレンダム(全体投票)(註11)には三千三百五十八の投票があり、賛成八十九票、反対三千二百六十九票となっている。また、国立大学協会幹部の辞任と、臨時総会開催を求める共同意見書(註12)をネットで募り、五十四大学の二百五十二名の連署者とともに国立大学協会に提出している。

おわりに

 国立大学法人法案は、組織が優先される社会的風土の中で、組織への個人の隷属を大学でも押し進める。組織は本質的に非倫理的存在で反社会性を持つ。大学において組織が優先されれば、倫理に無関心な研究と教育が展開されるだろう。それは大学が反社会的存在となることを意味する。日本の低迷は倫理性の喪失と表裏一体に進行している。国立大学法人法案はこの低迷を加速させ、今以上に組織が優先される社会を意図的に目指している点で、根底に反社会性を持つことを警告したい。

連絡先:tel/fax: 011-706-3823,
email: tujisita@math.sci.hokudai.ac.jp

[註1]国立大学協会は各国立大学長が大学を代表して参加する団体であり、国立大学を代表する役割を実質的に果している。
[註2]〜[註12]は、
http://ac-net.org/dgh/03/529-link.html を参照。