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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2003年6月号

七三一部隊細菌戦裁判控訴審はじまる

ABC企画委員会事務局長 三嶋静夫


一審・「細菌戦」は認める

 日中十五年戦争中の一九四〇年から四二年にかけて旧日本軍の七三一部隊が、中国・江南地方、漸かん鉄道沿線一帯で、ペスト・コレラ菌などを使用した大規模の「細菌戦」を強行展開しました。九七年八月、中国人被害者・家族百八十名(第一次と二次合計)が日本政府に対しその戦争犯罪の事実を認めさせ、謝罪と損害賠償を要求して提訴したのが「七三一部隊細菌戦裁判」です。
 二〇〇二年八月二十七日、東京地裁(岩田好二裁判長)はこの細菌戦の事実を認めました。また、細菌兵器の使用は国際慣習法に違反し、国家の責任を認定しました。しかし、被害者への謝罪と損害賠償請求を棄却しました。
 原告はこれを不服として八月三十日に控訴し、今年五月二十日に第一回控訴審が始まりました。
 戦犯を裁いた東京裁判でアメリカは石井四郎少将(軍医・七三一部隊最高責任者)と取引し生体実験等による細菌戦に関する「貴重な資料」をアメリカが入手するのと引き替えに彼らを免責し、七三一部隊の存在と任務については闇に葬られて来ました。
 日本政府は事実調査を行わず、国会答弁では「被害事実の証拠がなく、確認できない」と押し通し、法廷では「事実の有無を認否しない」態度に終始しました。
 約三年間に及ぶ「細菌作戦」はすべて陸軍中央の指令によるものでした。七三一部隊が中心的な指導にあたり、南京の「栄一六四四部隊」が飛行機による空中散布(雨下作戦)、穀物に病原菌を付着させたり、ペスト菌保有のノミをばら播くなどの非道な作戦を強行し、大量の中国軍民、とくに農民の間にペスト・コレラを爆発的に流行・蔓延させました。これらの事実を明らかにするため私たちは資料を捜し歩き、現地に行き被害者を見つけ、また日本国内でも関係者の証言を集める活動を積み重ねて来ました。
 私は五回の現地調査で身の毛のよだつような証言を聞きました。調査で「細菌戦」の死亡者は浙江省の衢県で千五百一人、義烏で三百九人、東陽で四十人、崇山で三百九十六人、塔下州で百三人、寧波で百九人。湖南省の常徳で七千六百四十三人、江山で三十七人の合計一万百三十八人の大虐殺が明らかとなりました。
 また、ハルピンの档案館から当時の憲兵隊の資料が発見され、その中に「『特移級』で送れ」という五十二名の指令書があり、動かぬ証拠となりました。一昨年の年末、これらを日中共同・協力して資料集「『七三一部隊』罪行鉄証・関東憲兵隊『特移級』文書」として出版しました。現地では引き続き調査と研究が進められています。
 第一審で裁判所の事実認定を勝ち取ったのはこのような日中関係者の長年にわたる努力によるものです。

謝罪と補償を棄却した不当判決

 第一審判決では損害賠償に関しては一九七二年九月の日中共同声明と、七八年八月(日中平和友好条約の締結により「決着済みで、日本政府に賠償責任はない」としました。また原告側が厳しく追求した「戦争被害者を救済する立法化を怠った=立法不作為の罪」に対しては、「違法とはいえない」と却下。日本政府に対する「人間の尊厳」への謝罪要求は完全に黙殺されました。
 また裁判で国側は「交戦した相手国の被害者から提訴されても、答える必要なし=国家無答責」と、「提訴期間を超過して時効だ=除斥期間を過ぎ失効」として、「原告側要求の全面的な却下」を主張。国側からは、一言の質疑や反論もなく、異常な雰囲気に終始しました。
 細菌戦による被害が一番大きかった人口六百万人の常徳市には二回行きましたが、この訴訟は地元の企業家、役人、学者、学生、マスコミ、各界の人々が支援しています。第一回控訴審で来日した代表団の三十六人は原告とそういう人々の代表です。
 調査に入った当初笑えない話として、日本人は残虐な「リーベンクイズ(日本鬼子)」だから耳まで口が裂けていると思っていた人もいたという話もありました。日本軍から被害を受けた人々は日本人に対して根深い不信があることを認識する必要があります。
 一九九七年八月、提訴以来、この「細菌戦」裁判には「七三一部隊細菌戦被害国家賠償請求訴訟弁護団(土屋公献団長)」と「日本軍による細菌戦の歴史事実を明らかにする会(藤本治代表)」、「ABC企画委員会(山辺悠喜子代表)」、「七三一・細菌戦キャンペーン委員会(奈須重雄事務局長)」などを基軸に、現地訪問と証言収集、原告団の来日(二十八人)と法廷傍聴、証言レポートの発刊と頒布などの多様な支援活動を、長期にわたり、全国的に展開してきました。
 また、アウシュビッツやヒロシマに次ぐ第三の戦争世界遺産として七三一部隊の遺跡群を残す運動も進めています。
 今後さらに「細菌戦」の歴史と被害の事実調査と証言を積み上げ、日本政府に対し、誠実な謝罪と損害賠償の実現を迫っていきます。そのために、弁護団、日中の研究者、支援団体の総合力を発揮できる組織づくりをめざすことが必要だと思います。
 あわせて一審で法廷開示を却下された「井本熊男日誌」=「細菌戦指令を記述した陸軍参謀の軍隊記録」を東京高裁で公開させると共に、原告側証人、研究者などの意見を法廷で陳述し、非道な「細菌戦」の歴史的な事実を再度、認定させたいと思います。

国会で事実調査と補償の立法化を

 これまで日本政府が頑なに主張し続けているのは(1)国家無答責による法理論で、国の損害賠償を拒否する。(2)除斥期間を超過した訴えは、失効しており、国はその責めを負わない。(3)日中共同声明と平和友好条約の締結時に、中国は戦争中の損害賠償に関する請求権を放棄しており、解決済み。(4)国際慣習法を土台にした賠償責任問題も(2)と(3)により、国に責任はない。という四点に集約されるが、こうした日本政府の見解は、外国の戦後補償問題への対応策からみて、大きくズレており、とくに中国からは日本不信の声が高まる一方です。
 戦争被害者の戦後補償・損害賠償権が実現していない事実に対し、衆参両院での実態把握と克明な調査を求めると共に、早急な立法化を図る必要があります。
 第二回控訴審は九月三十日午後二時より東京高裁一〇一号法廷で開かれます。ぜひ多くの方に傍聴支援に来ていただきたいと思います。(文責編集部)


「裁かれる細菌戦(8・27判決と原告団・日中関係者の意見を収録)bW」
(1500円)注文はABC企画委員会
Tel 042-396-0553・三嶋まで。
(注)ABC企画委員会とはAはatomick bomb、Bはbiological weapon、Cはchemical weaponの略。全ての戦争、武器に反対し、10年間にわたり、731部隊展や毒ガス戦展などを開催している。