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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2003年3月号

人間の尊厳に目覚めよう

明治学院大学名誉教授  森井 眞


 人間の命に対する鈍感さ

 少し前の朝日新聞の世論調査で、「日本がアメリカの肩をもって戦争することに反対」が七割いました。これをみて少し安心しました。だけど、「備えあれば憂いなし」といわれて戦争をするための有事法案が出された。戦争は絶対に避けなければならないのに、「有事法に賛成」が約七割もいる。これはどういうことでしょう。
 最近の石原都知事や政治家の発言を聞いていると、戦争をすることに何の抵抗感も抱いていない。前線と銃後の区別はなく、兵器の破壊力が拡大した現代の戦争は、ひとたび開戦となれば自分がいつ殺されるかわからない。それが戦争なんです。自分が殺されるということの重さ、また他者が殺されることの重さ、それがイラク人だろうが、朝鮮人だろうが、日本人だろうが、同じ人間であり、貴重な命です。人間が殺されることの重さについて、恐るべき鈍感さがあるのではないかと思います。
 かつて冷戦時代に、憲法九条を守って戦争をやめようといった人たちに対して、国際政治学者の高坂正堯さんたち現実主義者といわれる人たちが「憲法九条が大事だという人たちは抽象的、観念的にしか物を見ていない」と批判しました。確かに、現実を直視しなければなりません。しかしいま現実主義者はどこにいるのか。少しも発言しない。例えば、「アメリカはなぜイラクに対して戦争をしたがっているのか」また「テロがなぜ各地で起こるのか」「北朝鮮は日本に戦争をしかけるつもりがあるのか」。そういう現実を正確に見なければなりません。
 もう一つ、現実は他者によってもつくられますが、同時にわれわれも現実をつくる主体です。われわれ自身が、日本や世界で戦争が起こらないような現実をつくっていく、創造していく主体であることを忘れたら、人間は堕落すると思います。日本の国も、日本人一人ひとりも、その責任を負っている主体です。
 「絶対に戦争は起こさない」という決意をもち、どの国の人であれ、人間が生きていることに敏感になることです。もし、アメリカがイラクを攻撃すれば、どれほど多くの死者がでるのか。またおそらく百万人単位の難民が発生すると思います。
 現実をつくることを忘れた腰抜けの今の政府では、いくら「国を愛せよ」といっても愛する気にはなれません。愛せるような日本にするには、まずどの国であれ生きている人間の尊厳に敏感になり、そして一人ひとりが現実をつくる主体であることを自覚することが必要です。

 弱者には耐えがたい消費税

 最近、消費税の引き上げがさかんにいわれています。「国際競争の時代だから、法人税や所得税を下げて、国民全体が『公平に』税負担する消費税を上げるべき」とか、日本経団連は、二〇一六年には一六%にと提言しています。この状況だと、総選挙後には値上げが実行される危険性があります。
 日本の消費税は、低所得者や弱者ほど負担が重い逆進性の税金です。現在の五%を一六%にしても、金持ちはたいして困らない。しかし、五%どころか、三%の消費税でも耐えがたい人たちがたくさんいます。
 日本とは少し違いますが、そういう逆進性の間接税をとっている国が北欧に二つあります。すべての商品に課税していますが、弱者への社会保障制度を充実している国です。それ以外の西欧の国々は全部、食料品など生活必需品は免税か、きわめて低い税率です。つまり、逆進性を緩めることをどこの国でも考えています。平気で「ヨーロッパでは二〇%だ」といいますが、そういう現実をきちんと見るべきです。
 総選挙後にはきっと実行してくると思います。しかしいまでも弱者に大変な負担がかかっています。絶対に逆進性の強い消費税を上げさせてはいけない。これは重要な課題です。