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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2003年1月号

日朝関係打開の道

平壌共同宣言の精神に戻れ

大阪経済法科大学教授  吉田康彦


 拉致とメディア・スクラム(集中報道

 二〇〇二年九月十七日以来の日本のメディアの拉致報道は常軌を逸している。私が出演したテレビ番組ディレクターは「一億国民マスヒステリーだ」と皮肉をこめて慨嘆しながら、「それでも毎日取り上げざるを得ない。取り上げないとなぜやらないのかと視聴者がクレームをつけてくる。北朝鮮バッシングをしている限り視聴率を稼げる」と自嘲気味に言う。
 私は、朝鮮総聯、社民党などと並んで最大の被害者だ。「拉致を否定し、北朝鮮を弁護してきた学者の代表」というのが産経新聞、文藝春秋など右派メディアの吉田批判で、彼らは拉致問題にどう対応していたかを「踏み絵」にしている。十羽一からげで、拉致否定=北朝鮮礼賛=売国奴という単純な図式を作り上げている。無責任な「魔女狩り」だ。
 拉致の否定と言ってもピンからキリまである。私自身は拉致疑惑すべてを「でっち上げ」、「捏造」と言ったことはない。全否定していたのは北朝鮮当局と朝鮮総聯くらいだ。
 日本政府が「北朝鮮の関与が濃厚」と認定した「七件十人」(現在は十件十五人)の中には、辛光洙事件のように、北の工作員である犯人が逮捕され、死刑判決まで受けた事例もある。私が最後まで懐疑的だったのは、横田めぐみさんの失踪だ。十三才の少女を拉致して何になるのかというのが私の疑問で、安明進と名乗る亡命工作員の証言にもぶれが見られたので、最後まで懐疑的だった。
 しかし結果はクロ。彼女はキムへギョンという娘を産み、うつ病で自殺したという。彼女は生きているというのが被害者家族会や拉致議連の立場だが、北朝鮮当局が「実は生きていた」と発表を覆すとは思われない。ともかく私は横田滋さんに陳謝し、十一月二十四日放送のテレビ朝日「サンデープロジェクト」出演の際、不明を詫びた。それ以外は謝罪の必要は認めない。「北朝鮮の犯行と断定するに足る証拠はない」というのが大半のケースだったからだ。
 ところが過去三カ月間、私の自宅と勤務先の大学に達した抗議、怒号、罵声の電話は百件以上に達した。全国からの手紙、はがき、FAX、メールはうず高い山をなした。そのほとんどが「売国奴」、「国賊」、「非国民」と書きなぐってある。北朝鮮が、金正日が憎くて仕方ない。うっぷんを晴らしたいが、相手が見つからない。私が格好のターゲットになったということだろうが、朝鮮学校の女子学生のチマチョゴリを破いたり、ツバを吐きかけたりするよりはましだ。彼女らには何の罪もない。私の場合は無知と誤解と曲解によるものだ。私ほどの愛国者はいない。

 小泉訪朝と日朝共同宣言の意義

 八月三十日午前、小泉首相の訪朝予定を私は都内で講演中、新聞社から携帯電話で知らされたが、驚かなかった。アリラン祭に招待された五月の訪朝時に、旧知の労働党幹部が「近いうちに行方不明者の消息がわかるだろう。問題は日本の『過去の清算』だ」と予言していたからだ。
 「過去の清算(日本の植民地支配の謝罪と補償)なくして拉致解明なし」というのが過去数年私が主張してきたことだ。例えば小泉訪朝が発表された当日、発売された『週刊金曜日』掲載の私の論文のタイトルは、そうなっている。「日本に謝罪させ、補償させる」というのが、金正日体制の存在理由だった。日韓国交正常化は「謝罪なき経済協力」だった。時の朴正熙軍事政権は「開発独裁」を優先して名を捨てて実を取ったのだ。北朝鮮が全朝鮮民族を代表する正統政権であるとする根拠はその対日要求に反映されていた。「抗日パルチザンを通して朝鮮は日本と戦い、勝利した」というのが基本的立場で、敗戦国日本に対し、謝罪、賠償、さらに戦後の敵視政策に対する補償までも要求していた。
 その北朝鮮が、謝罪は取りつけたものの、補償に代わって韓国方式の経済協力を受け入れた。拉致疑惑に関しても、「行方不明者としての捜索に協力」から一転して拉致の事実を認め、金正日総書記が謝罪したのだ。大変身である。
 日本側は、「経済不振と食料不足にあえぐ北朝鮮がそれだけ追いつめられて日本にすがりついてきた」と分析、拉致の全容解明を北に迫り、日朝関係は膠着状態にあるが、拉致報道に明け暮れる中で、米国が新たな核開発疑惑を持ち出し、日本を牽制するというおまけまでついた。
 金正日総書記としては、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しし、対話再開に応じないブッシュ米政権に苛立ちを強め、日本との関係改善に活路を求めたのは確実だ。拉致を認めて謝罪すれば一件落着となり、国交正常化に道が開けると判断したことも間違いない。その結果、日朝首脳会談が実現、平壌共同宣言署名の段取りとなったのだが、その後の拉致騒動でこの意義が吹き飛んでしまった。戦後の日本外交で日中国交正常化と並ぶ快挙だったのだ。国際的にも高く評価され、「日本は対米追随を脱して独自の外交路線を歩み始めたようだ」とニューヨーク・タイムズが注目したほどの意義があったのだ。

 国交正常化なくして
 拉致の真相究明なし


 平壌共同宣言で、「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人びとに多大の苦痛と損害を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛烈な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」。村山談話から引いてきたこのくだりは日韓基本条約にはなかった文言だ。
 宣言はさらに、経済協力供与の詳細を述べるとともに、「双方は、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意を表明」し、「国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注すること」としている。つまり拉致問題は「日朝間に存在する諸問題」のひとつとして、正常化の過程で解決することで合意しているのだ。
 日本政府はその後、拉致生存者五人の「一時帰国」の約束を一方的に「永久帰国」に変え、死亡と伝えられた八人の死因その他をめぐる疑惑解明と追加の失踪者の安否確認を、交渉再開の前提条件として要求している。問題は、これらの要求が家族会や「救う会」全国協議会、拉致議連から出され、日本政府が彼らの圧力に屈していることだ。
 拉致被害者の家族を動かしているのは、金正日体制打倒を叫ぶ政治運動を展開している団体である。彼らは「過去の清算」を不要とし、日朝国交正常化そのものに反対している。私は彼らの代表と何回もテレビ討論番組で同席したが、日本の植民地下の朝鮮人はすべて日本国民であり、強制連行も強制労働もなく、「国民の徴用」にすぎなかったと説く。国交正常化は金正日体制打倒後でよいというのが彼らの立場だ。
 この解釈は正しくない。金正日体制打倒は日本だけでできるものではないし、大義名分が必要だ。国連憲章で政権転覆が容認されるのは「国際の平和と安全を破壊」した場合に限られる。ブッシュ米政権も現時点では対話による解決の方針を打ち出している。独裁政権であるとか全体主義であるとかは理由にならない。アムネスティー・インターナショナルによれば、日本のような民主主義国家は世界に四十五カ国しかない。
 次に、北朝鮮が拉致を認めたからといって植民地支配下の朝鮮人強制連行という日本の罪が帳消しになるわけではない。少なくとも、強制労働を禁じた一九三〇年のILO(国際労働機関)二九号条約違反である。これは「自国民」にもあてはまる。女子の性奴隷化を禁じた一九一〇年のパリ条約にも違反している。問題をすりかえてはいけない。
 私たちに問われているのは、東アジアの恒久平和と民族共生のために、お互いに過去の「負の遺産」を克服することである筈だ。