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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2003年1月号

広範な国民連合第10回全国総会記念講演要旨

破たんの淵にあるグローバル経済

―これでいいのか日米関係―

京都大学教授 本山美彦


 いま一番必要なことは、失われた倫理、道徳を復権させる広範な運動です。次代を担う若者に絶望を植えつけてはいけない。頑張ればきちんとした世の中になる。それを作り上げていくのが、私たちの世代の責務だと思います。

 日本の銀行はなぜ倒産するようになったか

 日本人はドライなアメリカとは違い、人間関係を大事にする国民です。銀行は企業との永いつきあいを考え、経営者や企業の将来性を見て、「おやっさん頑張ってや」と融資してきました。企業も必要な経営資金を銀行からの融資で調達してきました。それが日本的なやり方、日本経済の強さでした。十年前まで、預金をたくさん持っている銀行は強いといわれました。私たちも銀行の大小など気にせずに預金しました。日本の個人貯蓄は世界最大で千四百兆円、全世界の二〇%を占めています。
 ところが今は、世界最大の貯蓄を持つ日本が金融の弱い国といわれています。世界で最も金を貸している日本が、最も金を借りているアメリカに振り回されています。誰が見てもおかしいのに、経済学者やマスコミはおかしいと言いません。
 銀行に対する考えをひっくり返したのはアメリカの経済学です。日本の新聞はわけもわからずその尻馬に乗りました。アメリカの経済学から見ると、預金は銀行にとって負債だから、預金は銀行の強さではないというのです。自己資本比率の高さが銀行の強さだといわれるようになり、BIS規制が決められました。
 自己資本とは株式や社債を発行して集めたお金のことで、自己資本比率は融資に対する自己資本の割合です。BIS規制の自己資本比率八%とは、自己資本の十二・五倍までしか融資してはいけないということです。たくさん融資している銀行は自己資本比率が低くなり、危ない銀行だといわれるようになりました。
 ある雑誌は日本長期信用銀行(長銀)は危ないと書きたてて、長銀を奈落の底にたたき落としました。「あそこの銀行は八%を割っている、危ないぞ」と言ってまわった人間がいまの竹中チームにいます。日本中があおられ、中小の金融機関から大手に預金を移したので、信用組合や信用金庫などの小さな金融機関がばたばた倒れました。今ではみずほやUFJなどの大銀行さえ危ないといわれ、郵便局へ預金の巨大なシフトがおこっています。そうすると竹中さんと小泉さんが「郵便貯金をなくせ」と郵貯改革をいう。とにかく日本人の金融機関に対する不安をあおっている。裏があるとしか思えません。
 護送船団方式などと悪口を言われた時期には、日本の銀行は一行も倒産しませんでした。銀行の足腰を強くするという名目で、アメリカにあわせて金融自由化に踏み切り、BIS規制をやるようになってから、日本の銀行はがたがたになったのです。山一証券がつぶれたのは、ちょうど韓国がIMFの傘下に入るかも知れないという時で、私はヘッジファンドの陰謀だと書きました。しかし、当時の橋本首相は「マーケットが退場を命じたのだから従わざるをえない」と発言しました。一国の首相なら「日本は投機資本と断固闘う」と言ってほしかった。

 ハゲタカの餌食にされた日本長期信用銀行

 私は長銀に就職したかったのですが、先生にお前の成績では無理だと言われました。しかし、勉強してみると、長銀はすごい銀行でした。
 いまもうかっている産業は、例えばビィトンのバッグのように、若い人たちに高く売りつける産業です。もうからない産業は鉄鋼など玄人相手の産業です。新日鉄は日本一の製鉄会社ですが、価格決定権はお客のトヨタが握り、とても不利です。
 長銀がすごいのは、もうからない基幹産業に長期的に投資してきたことです。日本はマーケットの勝手にさせたら育たない産業を金融面から育てるため、長期信用銀行というシステムをつくったのです。中小企業には中小企業独自の金融機関として、信用金庫や信用組合などをつくりました。こうして大手銀行と中小金融機関の住み分けをやりました。これが日本的な金融でした。
 この住み分けがけしからん、なくせというのが金融自由化です。きちんとした政治家がいれば大げんかをしたはずですが、日本はアメリカのいうとおり金融自由化に突っ走った。この金融自由化で長銀は破たんに追い込まれました。
 政府は破たんした長銀に五兆円の公的資金をつぎ込み、それをたった十億円で転売しました。破たんした長銀の相談役はアメリカの証券会社ゴールドマン・サックス。その会長だったのが、金融自由化を日本に迫ったルービン財務長官。転売先はゴールドマン・サックスがつくった投資会社リップルウッド。リップルウッドがそれを新生銀行にして社長にすえた八城政基は、ルービンが現在会長をしているシティーコープの社員。あまりにもできすぎです。
 新生銀行は苛酷な貸しはがしを行い、この二年間で六十兆円の資産を五兆円に圧縮しました。累々たる屍の山ができました。そごうの倒産は新生銀行の思うツボでした。来年三月末に転売が可能になり、おそらくシティーバンクに売るでしょう。もうけた金が山分けされます。
 さらに許せないのは瑕疵(かし)担保条約です。瀬戸物などに傷があったら引き取るというのが瑕疵担保で、こんなことを金融に適用したのは新生銀行が初めてです。買い取った債権が三年以内に二〇%値下がりすれば、担保価値で国が買い取るという条約です。新生銀行は融資先の企業を立ち直らせるよりも倒産させた方が、不良債権を国に買い取らせることができるのでもうかります。こんなことを許した政治家を、売国奴と言わずになんと言うのでしょうか。
 さらに、今度の竹中改革は今まで認めていた銀行会計のルールを変えます。これまでは不良債権の担保として積み立てた金の四〇%は自己資本に入れていました。そのルールを変えて一〇%に減らすと、銀行は自己資本不足になります。竹中さんのねらいは銀行を資本不足に追い込んで国有化し、第二、第三のリップルウッドに売りつけることです。
 竹中さんには、マクドナルドの未公開株を譲り受けたとか億ションをいくつも持っているとか、きな臭いうわさがあります。彼の盟友が「三十社の倒産リスト」を見せて週刊誌が実名発表し、株の投げ売りを誘いました。アメリカ財務省のいいなりで、人間的にも信頼できない連中がトップの座にあるのは悲劇です。

 日米の違いを無視した不良債権処理強行の前途

 アメリカは日本と違い、ドライで浪花節の通用しない国です。だから、アメリカの企業は銀行から独立して、自分でお金を調達する文化をはぐくんできました。従って、アメリカの銀行は企業がお客ではなく、その仕事は日本でいえば証券会社です。円やポンドを売ったり買ったり、企業乗っ取りの資金を出したり、要するにギャンブルです。そのギャンブルに大金持ちからお金を募る。大金持ちだけが対象ですから、一階に店舗なんか構えず、ビルの一番高いところにいます。企業がお客ではないから、企業が不景気でも銀行は傷つきません。今、アメリカの実体経済はものすごく悪いのに、銀行はズタズタになっていません。
 アメリカの銀行は企業がつぶれてもおかしくなりませんし、長銀を餌食にしたように、二束三文で企業を買収して後で高く売るチャンスでもあります。ところが、日本の銀行は企業がお客ですから、企業が傾くと融資したお金が不良債権になり、銀行もおかしくなります。アメリカの銀行とはまるで違うのに、日本の新聞はそれを報道せず、アメリカの銀行に見習えというわけです。
 竹中さんが不良債権をさっさと処理せよ言っていますが、それは「企業をつぶせ」ということです。政府の試算でも、一兆円の不良債権を回収するたびに十万人の失業者が出ます。政府は二十兆円の不良債権を処理すると言っています。そのとおり実行されれば恐ろしいことになり、二百万人以上の首切りが出ます。銀行に圧力をかけて国有化して、新生銀行がやったように不良債権を引きはがしていく。それが国の再生のためだという。そうすることで、日本の経済が立ち直ると本気で思いますか。だまされている、裏に何かあると思いませんか。
 アメリカから政府高官が来て、小泉さんも竹中さんもしょっちゅう呼びつけられています。何をこそこそ話しているのか知りませんが、アメリカ側はとにかく「小泉・竹中の金融改革を支援する」と言い、それを新聞が麗々しく書いています。日本の新聞は大丈夫かなと言いたくなります。
 アメリカの企業は資金が必要な時、株式で集めなければなりません。そのために、財務内容がいいことを示す必要があり、会計事務所や投資会社のアナリストと結んで、粉飾決算をしていました。その例がエンロン、ワールドコムです。エンロンはブッシュの最大のスポンサーだから、ブッシュが助けてくれると思い違いしました。ブッシュは冷たいもので、大統領選の金を出したエンロンを切り捨てました。ブッシュは「腐っているのはエンロンやワールドコムだけ」と言ったのですが、粉飾決算の企業が次々に出てきました。
 エンロンは時価会計を導入していましたが、時価会計もアメリカと日本では違います。日本では過去に取得した時の価値ではなく、いま売ればいくらで売れるかという現在の価値で書くのが時価会計だと言われています。エンロンで時価会計というときは、将来手に入るであろう膨大な利益を現在の会計に計上するということです。たいへんな違いです。こんなことが平気でまかり通っています。

 自主独立の骨のある政治家はいないのか

 アメリカの銀行がよく株の空売りをやります。空売りとは先物、つまり後で現物を返すという約束で、株をどんどん売っていく。最初は三百円で売り、次は二百円で、百円で売っていく。どんどん売るから株は下がりますが、それだけ金が入ってくる。株が下がり続けてその企業が倒産すると一円になる。一円で全部買戻して現物を返す。ぼろもうけです。そのためにつぶされていった企業は数知れません。そのときに、「けしからん、チェックする」と言ったのは野中広務さんだけでした。それで、空売りは三カ月くらい止まりました。しかし、メリルリンチを取り調べようというときに、メリルリンチが大統領お墨付きの六十人の弁護士を立て、アメリカ政府から「それでもいいか」と迫られたため、腰砕けになりました。
 これに責任をもって立ち向かう政治家はいないのでしょうか。野中さんのような政治家は、抵抗勢力という形で圧殺されています。抵抗勢力はすべて悪く、小泉さんはすべていいという風潮がつくられ、小泉さんは反米的なことは絶対に言わない。自民党の保守本流には、反米ではないが自主独立派はけっこういました。そういう人たちは、大蔵省でも外務省でもたたかれています。
 アメリカの石油会社ユノカルは、天然ガスの宝庫であるカスピ海に目をつけてきました。中央アジアの国々は反ロシアが多く、そこにアメリカの軍隊を駐屯させる口実がほしかった。また、パイプラインはアフガニスタンを通らなければなりません。ユノカルはタリバンにお金を出していましたが、タリバンが法外な要求を出したので決裂しました。そして、アフガニスタン戦争です。夢に見た中央アジアにアメリカの軍隊が駐屯しました。アフガニスタン大統領には、ユノカル社の雇い人だったカルザイがなりました。初代アフガニスタン大使はユノカルの社員です。これは偶然でしょうか。
 パイプラインは、イランも通らなければなりません。しかし、アメリカにとってイランは「悪の枢軸」の一つです。そんな時にイランの外相が日本に来ましたが、田中真紀子外相は指輪のことで大幅に遅刻し、まともな会談にならなかった。そんなおかしなことがあるのでしょうか。田中外相がイランの外相と会えば、アメリカを怒らすような話になりかねない。だからどこかが圧力をかけた。それこそスカートを踏んづけた。日本は大事なイランカードを自ら閉じ込めたんです。しかし、そんなことは報道されませんでした。
 お金もマーケットも情報も、私たちの手に取り戻しましょう。たとえば、労金でもよいから、私たちがお金を預けて中小企業に融資してくれ、間違えてもギャンブルには貸すなとやる。ユニクロの三倍してもいいから地元の商店街で買い物をする住民ネットを作っていく。街を美しくし、環境をよくしようというニーズに中小企業を結集していく。マスコミ情報は間違っているので、私たち自身が情報を集めてネットで利用していく。そんな形で、お金、マーケット、情報を取り戻していく必要があると思います。

 経済とは「経世済民」
 倫理の復活を


 アリストテレスは、現在のデリバティブのようなことをやって巨万の富をつかみ、アテネ市民の懐を痛めたターレスという哲学者を批判し、そんなことを許さないための学問を作らなければならないと、倫理学の本に書きました。これがオイコノミカ(エコノミ)です。そして、福澤諭吉が経世済民(世をおさめ、民の苦しみを救う)から経済学という訳語を作りました。もともと経済学は倫理を大事にする学問なのです。
 マーケットは、もともとはマーク(印)を付けられたものという意味で、十八世紀までは悪いことするところだといわれていました。それがこの二百年間でマーケットは正しいということになり、マーケットの暴走が世界大戦に発展しました。その反省から、第二次世界大戦後はマーケットを取り締まるということで、金融は管理しなければならないということになりました。現在の金融自由化は、こうした戦後の反省を忘れています。
 今、アメリカからたくさんのお金がヨーロッパの本国へ引き上げています。悲しいかな、日本だけがいまだにアメリカ財務省証券を買い支えています。本国への資金引き上げがさらに進むとアメリカはつぶれます。アメリカ国民は足元に火がついているにもかかわらず、イラクを攻撃するという荒々しいブッシュを支持しています。
 日本は、先進国の中で戦後初めてという二年連続のマイナス成長になりました。そこまで経済が落ち込んでいるにもかかわらず、小泉さんの「拉致問題で北朝鮮へきつくやったれ」という姿勢に、みんなワッーとなっています。今度の補選は自民党の圧勝でした。
 日本もアメリカも経済の実態を踏まえた政権運営ではなく、こわもての政権運営で人々の心を捉えることができるという権力者の本能的な嗅覚で、政権運営がなされています。その先に何があるのでしょうか。
 現在の状況は一九二九年の株式大暴落と同じような状況になってきています。当時のフーバー大統領は「銀行の不良債権を早く処理しなければ、経済はだめになる」といって、経済をむちゃくちゃにしました。そして、フランクリン・ルーズベルトが、これではいけないと、ニューディール政策でなんとか持ちこたえようとしました。小泉さん、竹中さんはこの経験を踏まえず、フーバー大統領やメロン財務長官と同じ間違いを繰り返そうとしており、それをとがめる経済学者もいなくなりました。多くの学者が政権との近さを競うという、経済学の堕落が始まっています。
 しかし、百年、二百年という長い目で今の局面を見れば、私たちは希望をもってこの困難を乗り切っていくことができると思います。いま必要なことは倫理をみんなのものにしていくこと、広範な国民を連合させることです。そのことを訴えて私の話を終わらせていただきます。(二〇〇二年十一月二十三日・文責編集部)