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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2003年1月号

代表世話人からの新年メッセージ

ノーベル賞ラッシュ

伏見 康治


 去年二〇〇二年は日本のノーベル賞授賞のラッシュの年となった。物理学賞を元東大教授の小柴昌俊さんが、化学賞を島津製作所の田中耕一さんが、それぞれ授賞した。化学賞の方はここ数年連続して日本人が授賞しているが、田中さんは大学の先生ではなく、博士号もとっていなかったという点で、極めて珍しい。こういう埋もれた研究者を発見するという点では、ノーベル賞委員会の選考が極めて精緻なものであることを証明した。その埋もれた田中さんをノーベル賞委員会に伝えたというドイツの同業化学者たちの潔白さも称揚しなければならない。
 田中さんの方は小さな会社のなけなしの研究費で行われたのに違いないが、一方小柴さんの方は、膨大な研究費を文部省に出させて作った「スーパー・カミオカンデ」という巨大装置によるものである。装置は大きいが、研究対象となるものは、物質の最も根元的粒子である「ニュートリノ」と呼ばれる極微粒子である。これができ上がってから、小柴さんは定年退職したのだが、その退職のわずか数日前に、天は小柴さんに最高の贈り物をしたのである。遙か宇宙の彼方にあった超新星の爆発があって、その時出たニュートリノのいくつかが、この巨大装置に信号を伝えてくれたのであった。
 今回のノーベル物理学賞の一部は、X線天文学の分野の功績に対しイタリー出身のリカード・ジャコーニに与えられた。ということは同じ分野で、一緒に研究をしていた、というより研究をリードしていた小田稔さんも当然ノーベル賞をもらっていたはずである。誠に残念なことであるが、小田さんは数年前に亡くなられてしまっていた。彼は私が奉職していた大阪大学理学部の出身で、私の弟子であったと言えるのだが。
 日本で初めてノーベル物理学賞をとったのは、言うまでもなく京大の湯川秀樹さんで、続いて同じ大学出身の朝永振一さん。この二人の栄誉に戦後の荒廃した若者たちはどんなに希望を与えられたことであろう。湯川さんが創始した「素粒子論」という学問は、当時の大学に学んでいた秀才たちを引きつけて、素粒子論グループという学派を作り出した。そして多くのすぐれた学者が育って行ったのだが、残念なことに、彼らはノーベル賞をもらいそこなった。それにはいろいろな理由が考えられるが、一つの見方は、湯川が育った時代の差である。賞をもらったのは戦後であるが、論文を書いたのは戦前であり、私の見るところでは、湯川は大正自由主義時代の産物だと言えるのではなかろうか。そして、小柴さんがノーベル賞をもらう仕事を育んだのは、小泉さんの時代ではなくて、中曽根さんの時代だったのではなかろうか。