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日朝首脳会談について

2002年10月1日

               自主・平和・民主のための広範な国民連合
                 代表世話人 大槻 勲子  福地 曠昭  伏見 康治
                          槙枝 元文  武者小路公秀 本島  等
  


 小泉首相は九月十七日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の首都・平壌を訪問し、金正日国防委員長と首脳会談をおこなった。私たちは日朝関係の歴史経過をあらためて振り返り、その全体像の中で、日朝首脳会談を評価すべきだと思う。

 一、日朝関係の歴史的経過

 (1)
 平壌は羽田から飛行機で二時間二十分、沖縄の那覇よりも近い。日本が国交をもっていない国は、国連に加盟している国々のなかでただ一国、これほど近い北朝鮮だけである。このような不正常な関係は、日本による朝鮮半島の植民地支配に始まって約一世紀、朝鮮民主主義人民共和国の成立以後でも半世紀以上つづいている。その主要な責任はわが国にある。
 日本は一九〇〇年代の初め、武力を背景に当時の大韓帝国から外交権や統治権を次々と奪い、一九一〇年の韓国併合条約で日本に併合し、敗戦までの三十五年間、植民地支配をつづけた。朝鮮半島の人々は、日本の敗戦により植民地支配から解放されたが、米ソ冷戦体制のもとで韓国と北朝鮮に分断された。
 米ソ冷戦と日米安保体制のもとで、日本政府は米国の意向を受けて韓国政府だけを相手にし、一九五一年に日韓会談を開始した。しかし、日本政府代表が「日本の朝鮮統治は朝鮮人に恩恵も与えた」と朝鮮統治を讃美するなど、植民地支配の反省と謝罪という立場に立たず、植民地支配の補償を拒否したため、交渉は延々とながびいた。ベトナム戦争を進めていた米国は、日韓双方が交渉を妥結してベトナム戦争に協力するよう圧力をかけた。韓国は米国からベトナム出兵を迫られ、戦費の増大などで日本の資金を必要としていた。こうした中で、日本政府は植民地支配の補償ではなく、五億ドルの経済協力ということで韓国を押し切り、一九六五年、日韓両国民の激しい反対デモのなかで日韓基本条約が成立した。こうして、日韓国交成立まで実に十四年の歳月を要した。
 北朝鮮との国交正常化については、社会党が日朝国交正常化を求めて、一九五五年に日朝両国議員団の共同声明を発表するなど、野党レベルでの努力がおこなわれた。国民のなかにはすでに五〇年代から日朝国交正常化を求める声があったのである。しかし、日本政府は日米安保体制のもとで米国に追随して北朝鮮を敵視し、国交正常化に背を向けた。
 日本政府が日朝国交正常化交渉に臨んだのは、冷戦が終わった後の一九九一年になってからである。だが、日朝交渉でも植民地支配の補償ではなく経済協力方式を主張し、米国に追随した北朝鮮敵視政策は変わらず、不正常な関係は今日もつづいている。

 (2)
 約一世紀におよぶ日朝間の不正常な関係は、日朝両国民にさまざまな不幸をもたらした。
 一九一九年三月一日、朝鮮の人々は植民地支配からの解放を求めて、三・一独立運動に立ち上がった。日本政府は軍隊を動員して武力弾圧をおこない、死者は七千五百人、負傷者は一万六千人にのぼった。一九二三年の関東大震災では、権力者が流したデマで六千人以上の朝鮮人が虐殺された。一九三九年から一九四五年までに、百五十万人以上といわれる朝鮮人が朝鮮半島から日本へ強制連行され、炭鉱、鉱山、土木現場、軍需工場で危険な重労働を強いられた。警察の拷問、労務係の虐待、粗末な食事で、たくさんの朝鮮人が亡くなった。さらに数知れぬ朝鮮女性が、日本軍兵士の性的奴隷、すなわち「従軍慰安婦」にされた。
 戦後も、在日韓国・朝鮮人は一部の心ない日本人の言動で、苦しんできた。北朝鮮敵視論が高まるたびに、朝鮮学校に通う女生徒たちがチマチョゴリを切り裂かれたり、脅迫や嫌がらせを受ける事件があいついだ。一九九八年には、朝鮮総聯千葉支部の副委員長が殺害され、千葉朝鮮会館が放火される事件も起こった。
 一九七七年、新潟市の中学校に通う女生徒が帰宅途中に行方不明になった。このころから一九八〇年代前半にかけて、同じような行方不明事件があいついだ。北朝鮮に拉致されたとの疑惑が広がったが、その真相は明らかでなかった。今回の日朝首脳会談で初めて、北朝鮮側が拉致したことを認めて謝罪し、その真相の一端が明らかになった。十三人のうち八人が死亡したと伝えられて、被害者の家族はもちろん国民の中から悲しみと怒りの声があがった。
 戦前、戦後の不正常な関係のもとで、日朝両国の民衆は不条理な形で殺され、傷つけられ、強制連行され、拉致された。被害者とその家族の悲しみと怒りは想像するにあまりある。決して過ぎたことではすまされない。日朝両国政府はそれぞれ、不幸な事件の全容を可能なかぎり明らかにし、謝罪と償いをしなければならない。
 日朝両国が支配せず、支配もされず、互いに敵視せずに平和で友好な関係を結んでいれば、このような不幸な事件は起こらなかったはずである。拉致事件にしても、日本政府が戦後の早い時期に、当時からすでにあった日朝国交正常化を求める国民の声に応えて北朝鮮との国交正常化を実現していれば、起こりえなかったであろう。こうした不幸を再びくりかえさないために何よりも重要なことは、一日も早く日朝の不正常な関係、敵対的な関係に終止符を打つことである。とりわけ、朝鮮半島を植民地支配し、戦後も米国に追随して北朝鮮敵視政策をとってきた日本政府には、日朝国交正常化を早期に実現する責任がある。

 二、日朝首脳会談に対する見解

 日朝首脳会談は「国交正常化早期実現のため、あらゆる努力を傾注する」「十月中に日朝国交正常化交渉を再開する」ことをうたった日朝平壌宣言に署名した。私たちは、日朝首脳会談が国交正常化の「早期実現」で合意したことを歓迎する。国交正常化は日朝両国民に不幸をもたらした不正常な関係に終止符を打ち、両国の国益にかなうだけでなく、南北朝鮮の自主的平和統一に好ましい国際環境となり、東アジアの平和と安定に貢献するからである。
 だが、米国は自らは大量破壊兵器、世界中のどの国でも攻撃できるミサイル、ハイテク兵器を所有しながら、米国の気に入らない小国にはそれを認めず、国際ルールを無視した先制攻撃、内政干渉を主張し、イラク政府の転覆を公然と唱えて戦争準備を進めている。北朝鮮に対しても「悪の枢軸」と攻撃し、米国の要求に従わなければ、イラク攻撃の次は北朝鮮だと言わんばかりに圧迫を加えている。
 日本政府の側には、このような米国に追随して、国交正常化へのハードルを高くしようとの意図もうかがわれる。もし、そのような姿勢で北朝鮮との交渉に臨むならば、国交正常化を先延ばしすることにしかならず、日本の国益を損ねることになる。
 日本政府は米国に追随せず、北朝鮮を敵視せず、独立国としての自主外交を進め、日朝国交正常化を文字どおり「早期実現」すべきである。米国政府に対しては、北朝鮮への脅しをやめ、米朝国交正常化のための米朝交渉を開始するよう助言すべきであろう。
 日朝国交正常化交渉の前途は楽観できない。私たちは広範な国民各層と力をあわせ、国交正常化早期実現の国民世論を形成するために、努力しなければならない。