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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2002年8月号

長崎の高校生平和大使

高校生平和大使とその仲間たち

広範な国民連合・長崎事務局 本多初恵


 高校生平和大使の出自を語るには十五年前にさかのぼらなければならない。核兵器廃絶運動連帯(現在、広範な国民連合の加藤毅氏ら)の働きかけで、一九八八年に長崎で「核兵器廃絶の隘路、打開の道をさぐる―日米ソ国際フォーラム」(実行委員会主催)が開かれました。この時、長崎の事務局を担ったのが現在の国民連合長崎の平野伸人代表世話人でした。この時の実行委員会が中心になり、翌年から市民誰でも参加できる集会として、秋月辰一朗先生や小池スイ先生の呼びかけで、被爆地から平和を訴えようと「第一回長崎平和大集会」が開かれました。以来、今年七月七日には第十四回目が開催され継続されてきました。
 一九九八年十月、長崎平和大集会実行委員会を母体とする「核兵器廃絶を願い、すべての核実験に反対するネットワーク」は、第一回の高校生平和大使をニューヨーク国連本部に派遣しました。公募で選ばれた二人の大使が、ダナパラ軍縮担当事務次長に、被爆した肉親の話をするなどして、核兵器廃絶と世界の平和を願う被爆地長崎の願いを訴えました。
 一九九九年十一月、長崎の高校生二人と広島の高校生一人が、第二回平和大使として、国連本部に派遣されました。大使たちは帰国してからも多忙でした。報告会やいろいろな集会への参加。あちこちの学校から依頼があれば行って国連訪問の体験を語りました。さらに次の大使派遣費用の一部にと、街頭で声をからしてカンパ集めをしました。
 二〇〇〇年八月、第三回平和大使がジュネーブの国連欧州本部から帰ってきてから、新しい展開がありました。二人の大使は「核廃絶と世界の平和を求める高校生一万人の署名を集め、来年の大使に託そう」と呼びかけたのです。彼女たちはまず、大使に応募しながら選ばれなかった人たちに電話しました。最終的には実行委員が五十人ほどになり、高校生一万人署名活動が取り組まれたのです。
 はじめ活動は難航しましたが、高校体育大会で市内に来た離島の生徒の宿舎に行って署名集めを依頼する、修学旅行で来ている高校生に声をかけてホテルに案内してもらい訴える、など考えたことはすぐ実行し、高校生二万八千人余りの署名を集めることができました。
 第四回平和大使が、託された署名をジュネーブに届けて帰ってくると間もなく、九月十一日にアメリカで同時多発テロが起こりました。高校生たちは大変な打撃を受けましたが、気を取り直してアンケート調査とシンポジウムを行い、テロや戦争のない世界実現のために活動することを確認しました。そしてアフガニスタンの子供たちに学用品をおくる「鉛筆一万本運動」を展開、目標を達成しました。
 第五回平和大使は八月二日に出発し、国連欧州本部に現在集めている署名を届けた後ローマに飛び、ローマ法王に単独謁見して世界平和を訴えることになっています。
 こういった高校生の活動は周りにも影響を与えています。従来より長崎市内の小中学校は、八月九日を登校日とし、被爆者の話を聞くなど平和について考える日にしています。昨年からは県立高校もこの日を登校日にしました。また長崎市は、平和活動を担う青少年を育成するプログラムを立ち上げ、今年度「青少年平和ボランティア」を募集しました。
 今後も高校生の活動は広がるでしょうが、私たちにとってうれしいのは、四月の長崎沖縄連帯集会に来た高校生の一人が、「沖縄の高校生と手をつなぎたい。一万人署名を広げたい」と一万人署名実行委員会に企画書を提出し、六月に沖縄に行って来たことです。八月八日には、沖縄、広島、長崎の高校生でシンポジウムを開くとのこと。彼女がこの方向で活動を続けるなら、国民連合長崎としても何か支援を、と考えています。
 最後に、高校生平和大使派遣を支援のカンパをお願いします。

<送付先> 郵便振替 01850−0−24146
長崎平和大集会実行委員会