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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2002年3月号

有事法制への疑義

元防衛庁官房長  竹岡勝美


 今や稼働する原子炉が五十二基にも達する日本国土が戦場と化す「有事」(戦時)の想像を絶する戦禍を思えば、昨今の北朝鮮や中国を敵視する米戦略に追従するかのごとき「有事法制」騒ぎに疑念を抱く私は、本年初頭にも要旨次のごとき私論を発表した。
 ――先に森喜朗氏は首相として初めて「有事法制の整備」を森内閣の目玉のごとく華々しく打ち上げた。すでに読売新聞なども「日本有事の法整備を急げ」などの推進の論陣を張り、与党三党もその方針を確認し、民主党若手のプロジェクトチームも「緊急事態における法制のあり方について」の要旨を発表した。このような有事立法推進の高まりの中で、後半の国会で森首相は突如「有事法制の整備は憲法の範囲内で行うもので、旧憲法下の国家総動員法のごとき法制は検討することはない」とトーンダウンした。
 昭和五十二年八月に当時防衛庁官房長であった私は、「有事でも自衛隊の戦車は信号赤で止まるのか」「戦える場所は国有地しかないのか」などと為にする防衛庁内局への中傷を払拭し、有事の自衛隊の行動を律する自衛隊法一〇三条などの不備を補うものとして、憲法の範囲内で「有事法制の研究」を発足させたが、この時の私の国会での答弁とこの森発言が酷似していることで私は思わず哄笑した。「その範囲内のことならば何も今さら有事法制と騒ぐことはあるまい」と。
 しかし、この森発言の後も読売新聞の「いままでの有事法制研究の経過を離れて」とか「自衛隊の行動だけにとどまらない」などの社説からも推進論者は国土が戦場と化し国家総動員、国民総抵抗の国家体制を律する超憲法的な有事立法を本気で覚悟しているのか疑念が抱かれた。
 戦前の有事法制としてすでに戒厳令や徴兵制、軍機保護、治安維持の法制が整い、海外で戦う日中戦争が進んだ昭和十三年前後には「防空法」「国防保安法」「戦時刑事特例法」「不穏文書臨時取締法」「言論、出版、集会、結社等臨時取締法」等が立法され、あわせて人的・物的資源を総動員する国家総動員法に集大成された。あわせて「国民徴用令」「国民勤労報国協力令」に数々の統制令も整備された。
 そして、沖縄陥落後の本土決戦が迫る昭和二十年六月の鈴木内閣では、十五歳以上六十歳までの男性、十七歳以上四十歳までの女性をことごとく兵役に服させる「義勇兵役法」までも立法されるにいたった。
 当然に現行憲法からは超憲法的立法である。
 推進論者は、森首相の歯止めを超えてまでもこれらの有事法制の立法を本気で志しているのか。全く無用であった有事法制の研究から二十五年。冷戦も終了し、仮想敵も消失した今、起こり得べくもない隣邦からの対日侵攻を妄想し、改憲してまでも有事法制を急ぎ、無用の危機感を国民に煽る必要がどこにあるのか。国土戦場の惨事をどう考えているのか。僭越ながら、私が発足させた「有事法制の研究」程度にとどめておいて良いのではないか――と結んだ。
 しかし、その後も政府は防衛庁よりも内閣官房を中心に立法作業を進めさせ、与党も合意案作りにとりかかり、三月の通常国会には法案を上程させると伝えられ、断片的な政府案も洩らされてきた。民主党では鳩山由紀夫代表と若手議員の推進派と横路孝弘氏ら旧社会党系の議員の対立が伝えられ、公明党も憲法の範囲内厳守を求めているという。先の不審船騒ぎや国際テロ事件というおよそ有事に縁遠い事態まで口実として推進論は勢いづいている。
 思い余った私は、五十余名の与野党の国会議員や安倍官房副長官、防衛庁の防衛局長、内閣官房の副長官補の官界にまで、要旨おおむね次の通りの「国会議員有志各位への陳情−有事法制への疑義−」(前述の私論とダブル点が多いが)を送った。
 要旨の(1)「本格的な有事法制」とは、軍事理論上は、日本に届き得る距離にある周辺隣国のいずれかの国が、日本本土に空と海から猛砲爆撃を浴びせ(米軍の沖縄上陸戦のごとく)、制空、制海権確保の上で日本本土に数十万人の地上軍を上陸侵攻させ、自衛隊に防衛出動(「防衛出動待機命令」も含む)が発令され、国土が戦場と化す「有事」(戦時)の事態に対応し、これに抵抗するために一億の国民は総動員され、国民皆兵の総抵抗の国家体制を律する法制を指すのではないか。私が発足させた自衛隊の行動に関する有事法制の研究はその端末にしか過ぎない。
 (2)戦時下の日本では有事法制として…(以下前記の私論と同じ)―略―…。
 有事立法推進論者はこれらの超憲法的な有事法制を復活させよと主張するのか。
 (3)問題は今の現憲法も、政治も、国民世論もこのような日本がカタストロフィに陥る国土の戦場化という「有事」をまともに現実のものとして想定してこなかったのではないか。
 その証拠に、一基でも爆碎されれば国土が核地獄と化す原子炉を五十二基まで増築してきたことに何の危機感も生じてこなかった(「チェルノブイリ事故とゴルバチョフ警告」参照)。
 (4)今、有事法制を迫られている防衛庁、内閣官房の当局者は困惑しているのでは。憲法遵守義務が科せられている官僚として、国土が戦場と化した一億総動員下の有事法制は、真剣に考えれば、超憲法的にならざるを得ない。おそらくこれら官僚の示唆もあって、森首相も急きょ「憲法の範囲内」と規制せざるを得なかったのであろう。今、伝えられる政府案の「国民の避難、誘導」「船舶、航空機の航行制限」「捕虜の取り扱い」等憲法の範囲内の当たり障りのない項目で、私が発足させた「有事法制の研究」と五十歩百歩のものである。
 これで推進論者は納得するのか。一体、推進論者はどのような有事を想定し、どのような有事法制の立法を志しているのか。
 (5)周辺隣国に一方的な対日侵攻の意図など全く見えないのに、超憲法的な国家体制までに踏み込みかねない有事法制と、なぜ今騒ぐ必要があるのか。いたずらに周辺隣国への敵意と警戒心を煽ることにならないか。
 (6)有事は国土の戦場化と見る私には、自衛隊法の「治安出動」や警察法の「緊急事態」などは有事に入らない。まして不審船騒ぎや国際テロ事件は論外である。せいぜい防菅法令の補備で済む。
 (7)私は、日本の外交、防衛に「有事」をもたらさぬ「抑止」を期待する。そのためにも、米国に率先してでも、北朝鮮を含む朝鮮半島や中台間の和平に献身して戴きたい。
 以上。
 この陳情書を送付直後、一月三十日参院予算委員会で福田庸夫官房長官は「有事法制は憲法の範囲内で」と発言。二月四日の施政方針演説で小泉純一郎首相も「日本国憲法の下で」と枠をはめた。どのような法案がでてくるのか。

 (当時のソ連大統領ゴルバチョフ氏はその自著の中で「欧州には原子炉二百基からなる原子力発電所や四百以上の大規模な化学製品工場が存在する。通常戦争でこれらの施設が破壊されれば、欧州にはもはや人間が住むことはできない」と警告し、対決から対話、不信から信頼と人類共通の安全保障を提唱した。北朝鮮らを「悪の枢軸」と罵るブッシュ米大統領と雲泥の差がある。)