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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2002年2月号

戦争を前提とする有事立法

東京国際大学教授 前田哲男


 有事とは何か

 有事とは何か。そのことをあいまいしているところに、この問題のうさん臭さがあります。有事とは戦時、戦争を意味します。だから、有事立法とは戦争を想定した法整備をしようというもくろみです。そこで問題点がいくつか出てきます。
 一番目に、現在の安全保障環境は、そのような戦時法を必要とするような状況なのかどうか。冷戦が終わった後、日本周辺は平和だとは言えないにしても、戦争が起こるとは考えられない状況です。それなのに、なぜ有事立法と騒ぐのか。それは他に理由があるからだと思います。
 二番目に、日本国憲法の考えは、戦争に対処するのではなく、戦争をなくす、戦争を回避することを基本にしています。憲法前文や第九条がそうです。確かに多くの国の憲法は、国家非常事態とか戦争状態など、憲法上の権利を制限する条項をもっています。しかし、わが国の憲法は戦争状態のような事態を想定していないのです。ですから、いまの憲法の下で、戦争法、有事法は成り立たない。どうしてもというのなら、憲法を変えなければなりません。
 戦時や戦争を想定しなければならない環境にあるのか、憲法は有事法を許容するのか。まず、その二点をきちんと議論しなければなりません。それ抜きに、あいまいな有事という言葉だけで踊るのは、法治国家として非常に不謹慎です。

 なぜ今、有事立法か

 なぜ今、有事法制の問題が出てくるのか。
 一つは、アメリカの戦略の変化です。冷戦期のアメリカの世界戦略は全面核戦争を想定して、核の抑止力を中心にしていました。しかし、冷戦後は地域紛争が重点になりました。それに基づいて日米安保も地域紛争に対処する米軍への協力が主要になり、アメリカから日米安保協力の新たな要求が出てきました。
 冷戦後の九〇年代をふり返ってみますと、PKO協力法、自衛隊改正法による邦人輸送、自衛隊が米軍に燃料や弾薬などを提供する物品役務相互融通協定(ACSA)、さらに新ガイドラインと周辺事態法、そしてテロ特措法で戦時における自衛隊の海外活動まで可能にしました。
 このように、この十年間に自衛隊の海外任務が日常化してきた。国土防衛ではなく、海外任務が非常に大きなウエイトを占めるようになった。集団的自衛権の行使がなし崩し的になされてきた。外に軍事活動を展開すれば、内を固めなければならない。冷戦時代はあまり痛切ではなかったが、自衛隊が世界をまたにかけて日常的に動くようになれば、それをバックアップする軍事基盤を国内に作る必要がある。だから有事立法だという流れになっています。集団的自衛権の行使と有事法制は、コインの裏表の関係です。
 次に、それらを進めるための世論誘導があります。九月のテロ事件以降のキャンペーン、さらに二回の「不審船」、テポドンなどをさかんに脅威として描き出しながら、有事法制が必要だという世論操作が行われてきました。考えてみますと、テロも不審船も有事ではありません。それらは違法行為、不法行為、不愉快な出来事ではあっても、戦争状態ではありません。ところが、政府はそういう出来事を利用して有事法制が必要だという方向へ世論を誘導しています。
 アメリカの世界戦略とそれに基づく日米安保の新しい展開が有事法制を求める。国防族やタカ派がアメリカに迎合しながら、かねてからの宿願をこの期に達成しようとする。こうして、有事立法が政治的な課題として登場したのだと思います。

 有事立法の中身

 有事立法は戦争を前提とした法律の整備ですから、当然ながら国民生活を中央集権化し、個人の権利を制限ないし停止します。きわめて具体的で拘束的なものです。ところが、「外国にあるのに日本にない」「国家の体をなしていない」などという抽象的なレベルで議論されている。護憲といわれる側の努力不足も反映しています。政府側はあいまいなまま有事立法を実現し、使うのがねらいですから、あからさまに「国民の権利を停止する」などとは言わないでしょう。しかし、有事とは戦時であり、戦時において国民生活を動員するわけですから、基本的権利、財産権、地方自治などに直接関わってくる問題です。ですから、国民生活が具体的にどうなるのかというレベルで考え、有事の中身を問いたださなければなりません。
 戦前には国家総動員法がありました。「戦争のために人的、物的、精神的能力を一丸とする」という法律です。産業動員があり、国民精神総動員がありました。これが有事法制の本質です。いま進んでいる有事立法の準備もここに帰着します。
 例えば、防衛庁は一九七〇年代から有事法制研究をやっています。そして八四年と八七年に中間報告を出し、防衛庁所管の法律(第一分類)、他省庁所管の法律(第二分類)公表しました。しかし、有事法制で最も重要なのは第三分類、国民生活にかかわる部分ですが、中間報告にはありません。第三分類の具体的な内容ぬきの抽象的な議論は国民にとって非常に危険なことです。

 アジアの警戒心

 日本が戦争を前提にした自衛隊の海外行動を日常的に行い、またそれに対応した国内基盤を定めるということになれば、周辺のアジア諸国は警戒心を高めるでしょう。百歩譲って、かりにそれが日本国民の安心感に結びつくとしても、日本周辺の諸国にとっては危険のシグナルです。日本周辺の国々は間違いなく、懸念と警戒をもっています。有事法制が具体化となれば、反発と対抗になっていくでしょう。そしてそれらの反発と対抗は、日本にとっては新たな脅威というふうに受け取られますから、有事法制や軍備をさらに強めようとする動きになる。この不信と軍拡の連鎖は、冷戦時に失敗の教訓として学んだはずの後ろ向きの安全保障です。

 歴史に学ぼう

 どのような形であれ、有事立法は戦時を想定した戦争法ですから、現憲法下でそういう法律が成り立つ法的な余地はありません。
 そのような法律ができた状況を考える必要があります。日中戦争の翌年、一九三八年(昭和十三)に国家総動員法ができた。包括法とか一括法などと言われますが、一種の基本法をつくって、具体的なことは勅令、いまの言葉でいえば政令で決めた。その結果、政府が勝手に百以上の勅令を決めた。例えば、労働組合の活動が停止させられて産業報告会になり、政党が解散させられて大政翼賛会になり、新聞の統制も行われました。これらすべては国家総動員法という有事法制によってもたらされたものです。国民生活のあらゆるところまで、国家総動員法による規制が及びました。この過去を思い出してみる必要があります。
 一九六〇年代に自衛隊が「三矢研究」を行いました。そこには国家非常事態において七七〜七八件の法律を制定すると書いてある。その内容は、国家総動員法の下で施行された法律に範をとっています。つまり国家総動員法は一九六〇年代までは間違いなく生き延びていた。それがもう一度復活する。防衛庁はその有事法制の研究をやっているわけです。そういう意味で歴史から学ぶ必要があります。(一月十九日談・文責編集部)