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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年8月号

ファシストの匂い

―小泉首相の靖国参拝―

真宗大谷派明願寺住職  久保山 教善


 ある日の新聞から

「あしたのしたは  どんなした 
 ああしたこうした にまいじた 
 ゆめをみるまに  だまされる」
 (谷川俊太郎詩集「わらべうた」 集英社)
 活力ある明日づくりを目指したはずの行政改革は、見事なまでに期待を裏切った。「火だるまになっても」と、OO首相が見得を切ったと思ったが、国民は夢を見たのだろうか。
(中略)
▼「OO行革」とは何だったのか。首相はこの問いに答えぬまま、逃げるようにカナダに飛んだ。詩はこう続く。
「あしたのあしは  どんなあし 
 ぬきあしさしあし しのびあし 
 かおもみぬまに  にげられる」
 以上は西日本新聞(九七年十一月二十五日)の「気流」というコラムの記事より。ちなみにこのOOとは誰か? 皮肉なことに、小泉の政敵・橋本である。

 ある週刊誌の見出しより

 「勲位・曽根のカイライ・泉」(強調筆者)
 「我が意を得たり」の見出し、中味は別として、私の小泉観をいいえて余りある指摘。(元号は拒否しているがあえて使えば)「昭和の妖怪・岸信介」の頃、六〇年安保時学生だった私は、樺美智子さんが機動隊に殺された時の国会周辺を埋め尽くした五万人を超すデモ隊に「後楽園の巨人・阪神戦にも五万人の観衆」と言い放った岸(A級戦犯で総理にまでなった男)を許せないと思った。
 四半世紀後、中曽根はその職を獲り「戦後政治の総決算」と称し、手始めに靖国神社公式参拝を強行した。直前の軽井沢における自民党セミナーでは、「国の為に命を捧げた人に感謝するのは当然であり、さもなくして誰が国に命を捧げるか」と本音を吐露している。小泉の最近の言は、ほとんどこれを踏襲している。岸亡き後、私は中曽根こそ「平成の妖怪」と決めつけているが、あまりにもその支配力は歴然としている。ロン・ヤスになぞらえて訪米の知恵づけをするなど、幼稚すぎる頭ナデナデに辟易している。

 さて、その小泉の靖国(公式)参拝が何故問題なのか?

 いうまでもなく「信教の自由」(憲法二十条)、「政教分離」(同八十九条)に違反することはもとより、「個人の尊重、思想及び良心の自由」を保障した(同十三・十九条)にも抵触すると考えられる。さらには靖国神社が深く軍国主義と結びついてきた歴史に鑑みる時、前文と(九条)に込められた憲法の平和主義をも踏みにじるものと断じ得る。いかに論憲→改憲を叫び吠えようと、現憲法下(九十九条)の「憲法尊重擁護の義務」に背反する事実だけをもってしても、国民の代表たる首相のいうべき、ましてなすべきことではない。
 「教科書問題」と併せて「靖国参拝」批判が、中国や韓国から次第に声高に聞こえてくるようになってきた。にもかかわらず、八・一五参拝を言い続ける小泉は、いったい近年の裁判結果を知っているのだろうかといぶかしくなる。一九九一年仙台高裁での「岩手靖国違憲訴訟」判決では、明確に「天皇、首相の靖国公式参拝は違憲」だとし、翌一九九二年の福岡高裁、大阪高裁でも、違憲の疑いを指摘している。ちなみに、えひめ玉串料違憲訴訟は一九九七年最高裁大法廷で十三対二の大差で原告側勝訴が確定している。
 与党内、創価学会母体の公明党も慎重論を唱える中、中曽根のオウム返しみたいな文言を並べるだけの小泉は、不勉強のそしりを免れないし、三権分立の原則を無視(司法軽視)していると言わざるをえない。

 始まった広範な反撃

 「小泉首相の靖国神社参拝の中止を求める署名」が、六月二十六日現在、二十八団体・個人の呼びかけで始まり、一カ月を待たずに数十万人の署名を獲得している。播磨、京都大阪、九州、岩手の各靖国違憲訴訟団、山口自衛官合祀拒否訴訟、えひめ玉串料違憲訴訟、箕面忠魂碑訴訟等々、全国多岐にわたる人々の危機感が結集している。署名、抗議・要望といった文書活動以外にも、直接デモ等の街宣行動に訴えているグループもある。一例を紹介しよう。筆者がその共同代表の一人である「東西本願寺を結ぶ非戦平和共同行動」は、昨年に続き、今年も七月八日(日)炎天下の京都市内をデモ行進した。八メートルの横断幕には「まつろはぬぞ!日の丸・君が代」を大書、「南無阿弥陀佛」や「兵戈無用」(軍隊も武器もいらない)のノボリを持つ僧衣姿も五十人いて、道行く市民の人目をひいた。デモの後「小泉首相の『靖国神社公式参拝』を許してはならない」という集会アピールを採択した。また全国で広範に、継続的に取り組まれ続けている「アジア・太平洋地域の全戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」の一つ福岡では、今年十五回目の集会(七月七日)で「首相が公式参拝を行えば直ちに違憲訴訟を始める」ことを確認、筆者も呼びかけ人の一人として賛同している。

 結びにかえて

 「ハンセン病国賠訴訟」の熊本地裁判決を受け、敗訴した国が控訴しないという画期的判断には、ほとんどの国民が喝采を送った。もちろん、私もその一人ではあった。半世紀以上にわたる患者の苦悩を思えば当然の事ながら、その当然が通らぬ政治に絶望していた国民には、このこともあっていよいよ小泉への期待は増した。ところが、である。小泉が頻繁に使う「痛み」の不整合性を見よ!ハンセン病患者の「痛み」は分かるのに、水俣病関西訴訟原告の「痛み」は分からず控訴、決定的な事実は、中国、韓国等からの靖国参拝への批判に耳を貸さないこと。批判の根拠はいうまでもなく、戦争中に受けた筆舌に尽くしがたい「痛み」そのものであるのに。
 かりに、こうした近隣諸国や国内の批判を無視し、一時的人気のみを頼りに「靖国参拝」を強行したらどうなるか? これも答えはハッキリしている。一九八五年、自己の揺るぎなき信念・信条に基づき、首相として初の「靖国公式参拝」を胸をはって強行した中曽根は、予想外の内外からの反発の強さ、大きさに負け、翌年いとも簡単に「政治的、外交的配慮」で中止している。否、中止に追い込まれている。その程度の信念・信条であったことを、見事に自身で証明している。一年後かりに小泉がまだ首相の座にいれば、おそらく尊敬する中曽根にならい「政治的配慮」で参拝しないこと、うけあいである。
 私の寺の掲示板は、
「心ころころ さなはやがて枯れる」である。(了)