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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年7月号

許せぬ戦争美化の「大東亜聖戦大碑」

石川県は設置許可を取り消し、撤去せよ

「大東亜聖戦大碑」の撤去を求め、戦争の美化を許さない県民の会
 事務局長 冨瀬 永


石川県に「大東亜戦争」賛美の大碑

 昨年の八月四日、金沢市内にある護国神社の参道に「大東亜聖戦大碑」が建てられました。「大碑」の高さは十二メートル、正面には「大東亜聖戦大碑」と大きく刻まれています。正面の下には「大東亜おほみいくさは万世の歴史を照らすかがみなりけり」、裏には「八紘為宇」、台座には「大東亜戦争」をたたえる和歌や寄付者の名前が刻まれています。
アジアの人々に多大の惨劇を与えた植民地支配と侵略戦争を、アジア諸国を欧米の支配から解放するために天皇が起こした尊い戦争、「聖戦」と呼ぶ碑です。この碑を建てたのは右翼団体「日本をまもる会」などが中心となった大碑建立委員会です。最初は靖国神社に要請したようですが、さすがの靖国神社も断り、そこで建立委員会委員長の地元である金沢市に建てることになりました。
 八月十五日の段階で、「ひめゆり学徒隊」と「鉄血勤皇隊」の無断刻銘が発覚し、『沖縄タイムス』など沖縄の新聞の一面トップに取り上げられました。沖縄では大きな反発の声が上がりました。
 私たちも、なんとか運動をしたいと思っていましたが、護国神社内に建てられているので、昨年いっぱいはいかんともし難い状況がしばらく続きました。今年に入った段階で、いろいろな市民団体の調査によって、「大碑」が建っている土地の所有者は護国神社ですが、土地公園法に基づく都市公園として石川県が管理していることが分かりました。「大碑」の設置にあたっても最終的には県が設置許可を出したことによって建てられたことが判明しました。

 幅広い県民運動で県を追及

 設置許可など県の関与が判明したため、二月、三月と「大東亜聖戦大碑の撤去を求め、戦争の美化を許さない県民の会」づくりの準備を進めました。四月六日に準備会を発足させ、「聖戦大碑」設置許可の取り消しと撤去を求めて県知事に申し入れを行いました。直接対応した土木部長は、役人の答弁から一歩も出ない。「都市公園法にのっとって判断した」「碑文の内容は思想信条にかかわるので許可をする判断材料にはならない」等という対応でした。
 五月二十六日、県民の会が正式に発足し、マスコミで報道されました。六月一日に公開質問状を出しましたが、県の対応も若干変化してきました。応対した副知事などは「碑文の内容は都市公園にあるものとしては必ずしも適当ではない」と反省めいたことも発言しています。しかし、最終的には都市公園法上、何ら問題ないという態度です。そして、護国神社側から貸していた土地を返してくれという要請があったので、「聖戦大碑」のある土地を返却することになったと発表しました。実際は、県が裏で手を回して護国神社側に言わせたのは明らかです。いずれにしても、都市公園の中に置いておくものとしてふさわしくないという判断で、土地を返却することになったというは、私たちの運動の一定の成果だと思っています。
 この間、マスコミにも報道されましたので、この問題が市民、県民にかなり知られるようになってきたと思います。いま会員の内部で一致しているのは、「土地を返す」というトカゲのしっぽ切り的なやり方で責任を逃れようとする県の態度は許せない、県が許可して「聖戦大碑」が建った事実があるので、県として責任を果たすには許可を取り消す以外にないということです。その上で、土地の返却を監査請求や裁判闘争で差し止めるべきだという意見の方もいます。逆に、土地を返すというところまで県を追い込んだのだから、監査請求などは適当ではないという意見もあります。事務局レベルでは、県民の理解を得るためには法的手段をとるより、県の関与について疑惑を解明したいと思っています。
 いろいろな疑惑が出ています。例えば、昨年三月二十一日に建立委員会は地鎮祭をやって工事着工しました。着工に必要な法的手続きがいろいろあります。まず金沢市に出す「風致地区における行為の許可」が出たのが四月四日。「建築確認書」が出たのが四月十九日。そして県の「設置許可」に至っては四月二十四日です。つまり、必要な許可書が出る前に工事を始めていました。公開質問状でも指摘しましたが、土木部長の返答は「それが事実なら遺憾である」というもので、そういう疑惑が出てきています。現在、県議会が開かれていますから、県民の会としてはそれらの疑惑を追及し、そして県側の答弁を聞いて、今後の対応を考えたいと思っています。
 「ひめゆり学徒隊」や「鉄血勤皇隊」の名前を無断刻銘し、沖縄から大きな反発を受けました。それ以外にも無断刻銘をやっています。
 敗戦まで金沢は朝鮮の植民地支配や中国侵略に深くかかわってきました。中国侵略を推進した第九師団などの本拠地でした。かつての軍都に、全国でも例を見ない「聖戦」の名を刻んだ大碑が建立されたことを見過ごすことはできません。政府の不誠実な戦後処理でアジアの人たちの傷は未だに癒えていませんし、逆に最近の教科書問題などで改めて日本の歴史認識が問われています。今回の問題は、県当局の歴史認識が問われています。
 これまで石川県の運動は労働組合中心が多かったのですが、今回の「聖戦大碑」撤去問題ではこれまでにない幅広い県民運動の枠組みを作ることができたと思っています。土地返却手続きは来月はじめに完了すると思います。県の側は護国神社に土地を返却するということで、責任逃れをしようとしています。しかし、県民の会は設置許可をした県の責任を追及し、「聖戦大碑」撤去を求めて運動を続けていきます。
         (文責編集部)