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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年4月号

川辺川ダム建設反対

日本一の清流・川辺川を守ろう

球磨川大水害体験者の会事務局長 重松隆敏


 熊本県の南部を流れる球磨川水系最大の支流、川辺川。平家の落人で知られる五家荘の国見岳に端を発し、五木村、相良村と南流して人吉市との境に近い相良村柳瀬で球磨川本流と合流する。川辺川は合流前の球磨川本流より長く、流量も本川より低水時で約四割多い。つまり、実質的な球磨川本流と言える。
 この川に、国が巨大なダムの建設計画を発表してから三十五年が過ぎた。しかし、今もってダム建設にともなって水没する道路の付け替え工事や集落の代替造成工事が行われているに過ぎず、球磨川漁協の反対、川辺川利水訴訟、環境保護団体の活動など根強い見直し反対運動により、昨年度に続き本年度も本体着工が見送られた。この間に時代は大きく変わった。農村は過疎化にあえぎ、次々に耕地が消えている。その一方で自然環境の重要性が叫ばれ始め、果たして総貯水量一億三千三百万m3のダムは時代の要請に応えられるのだろうか。ダムで沈む五木村の水没者団体と国との補償交渉が妥結し、本体着工が現実のものとして間近に迫った今、立ち止まり考えてみたい。
 川辺川ダムの基本計画には次の四つの目的があげられている。@洪水調節Aかんがい用水B発電C流水の正常機能維持。

 流水の正常機能維持について

 下流域の既得水利の保護とダム建設によって川が受けるダメージ緩和のための補償的な措置にほかならず、ダムを造る理由にはあたりません。

 発電目的について

 ダム建設に伴って鞄d源開発が新設する相良発電所の最大出力はわずか一万六千五百kwに過ぎません。その一方で既設の川辺川第一(九州電力所有、最大出力二千五百kw)、川辺川第二(チッソ所有、八千二百kw)、頭地(チッソ所有、五千二百kw)の三つの発電所が水没するため、廃所する運命にあります。三つの発電所の合計出力は一万五千九百kwで、新設の場合と比較してわずか六百kwの増加に過ぎません。チッソは、川辺川第二、頭地の二つの発電所の廃所に伴って、もう一つの直営発電所である五木村竹の川発電所(三千kw)の同時閉塞を検討しており、もし閉塞となれば川辺川ダム建設によって電力供給は逆転し、二千四百kwのマイナスになってしまいます。発電がダム目的の中に入らないのは明白です。
 となれば、五木村や自然環境に大きな犠牲を強いても建設を強行する「理由」は、洪水防止とかんがい用水の確保の二点に絞られることになりますが、この利水、治水についても次の理由からその目的はすでに破綻しているのです。

 かんがい用水について

 一九七〇年には減反政策が開始され、後継者不足、農業従事者の高齢化、専業から兼業への移行、追い打ちをかけるように海外からの輸入自由化、政府米価格引き下げなど農家をめぐる情勢は日増しに厳しいものとなってきています。それまで洪水防止や環境保全の役割を果たしてきた農地は荒廃してきているのも実情です。人吉球磨地方で減反された休耕田は、三千百三十一fで、全体の四〇%にまでのぼります。国策としての減反政策の中、新たに三千十fの食糧増産の名をかりた土地改良事業をおこなう理由は見当たらないのです。
 農水省は、一九九四年に国営川辺川利水事業の基本計画を「農業情勢の変化」という理由で規模縮小化へ変更しました。しかし、この事業に疑問を感じていた農民からは事業内容や個々の負担金がどうなるのか不明確なままでは納得できないとして、異議申し立てをおこない、九六年三月には農水省は一方的に審理を打ち切り棄却したのです。「現在の自然流水でこと足りているのになぜダムの水か」「将来の子や孫に農家のツケだけは回したくない」などさまざまな想いの中、農家は結集し、団結して裁判闘争に踏み切りました。
 昨年三月の結審までの三年九カ月間に十四回の公判が開かれ、農家つぶしの計画と実態が明らかになりましたが、判決の結果は農民側の敗訴となりました。
 原告(農民)は、一審原告団の約九〇%にあたる七百六十人が「納得できない」と判決を不服として福岡高等裁判所に控訴し、第一回口頭弁論が五月十五日に決まりました。

 洪水防止=治水について

 川辺川ダム建設の最大の理由にあげられているのが、昭和三十八年から四十年にかけて三年連続して起きた大水害です。なかでも昭和四十年七月三日の大水害は、梅雨前線による長雨の末の水害であり、六月二十六日から降り始めた雨は各地で浸水をはじめ、その最中に「市房ダムが放水されますので十分注意をして下さい」という広報がなされています。七月三日午前三時頃より球磨川の流水位は急激に増水し、三、四十分もの間に二メートル近く上昇したとの証言が多くありました。このため市の中心街は避難の余裕すらなく、壊滅状態でした。市房ダムがなかったらこの惨事は回避できたはずです。市房ダムができるまで水害はなかったが、ダムができてから四回ほど水害があったという人は多くいます。
 ところで、人吉大水害を視察した九州地方建設局の坂梨河川局長は次のように述べています。「球磨川の計画洪水水位は七十年から百年に一度の大水害を想定し、五m十二pと決められているが、それが六m七十pと、一m五十八pもオーバーをした。このようなことは過去になかったことだ。想定が完全にくつがえされた。そのため今度の水害データを綿密に調べ、果たして河川改修だけでいいのか、それとも上流に防災ダムを造る必要があるかなど、今後の治水対策を根本的に検討しなければならない」。
 建設省は昭和四十年の球磨川水系の水害について「市房ダム湖への流入量よりもダムからの放水量が少なかったのだから、もしダムがなければ被害はもっとひどかった」と、総流量の計算で説明し、下流域の洪水災害実態とはまったくかけ離れたあいまいな説明に固執しているのです。
 このような状態の中、真実を探求するため治水の権威である国土問題研究会の上野鉄男先生に調査を依頼しました。その結論として昭和四十年以降、人吉市街地をはじめ、中下流部において、水害が頻発していることの要因が市房ダムの完成した昭和三十五年頃に行われた人吉上流部の錦町から免田町、多良木町にかけての遊水地帯での河川改修にあることが明らかになりました。
 このように農民をだまし、水害の実情をおし曲げてまで、なぜ川辺川ダムが建設されなければならないのか。川辺川ダムの大きさは市房ダムの三倍。毎秒五千百六十トンの遊水能力をもつ非常放水門が備えられている。昭和四十年の大水害の原因は徹底的に追及する必要がある。国と地方の債務は六百四十五兆円に達し、熊本県は財政再建団体への転落危機に瀕している。無駄な公共事業は中止させ、医療福祉優先の政治に流れを変えなければなりません。「清流を未来の子どもたちに残そう」を合い言葉に全国の皆さまと連帯していきます。皆さまのご支援とご協力をよろしくお願いします。