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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年2月号

新たな過ちの歴史をつくる企みが

杉並区に自由主義史観の教育委員選任

教科書アクション21   高野 ゆう子


歴史捏造でつくられる「誇り」とは

Kさん、秋田は雪が深いのでしょうね。私は貴女の名を、一九九七年の異様な体験と共に記憶しています。
あの年、全国の地方議会に「中学校歴史教科書の『従軍慰安婦』や『南京大虐殺』などの記述を削除するよう、国に意見書をだしてほしい」という陳情や請願が押し寄せました。その主文や理由が、今川焼のように同型で、大きな組織に動員されていることは明らかでした。
 陳情の趣旨はおおむね「当時(戦時)『従軍慰安婦』という言葉はなく、国や軍の関与、強制連行の事実もなかった。性知識の未熟な中学生に、『従軍慰安婦』を教えるのは健全適切ではない。殊更に自国の歴史を誹謗中傷するのは少年たちに屈辱と自虐感を与え、日本の将来に悪影響を及ぼす」というものでしたね。各地の要請に応じて、私も日夜各議会各会派に説得・激励・抗議の言葉を送ったものです。
 貴女は、たった一人で、秋田県下のすべての市町村議会に、陳情不採択の要請をされたのでした。
 いくつかの県では、住民の請願がなければ自民党議員団が首相・文相・自治省などへ「記述削減要請書案」を議会に提出するという、草の根保守の大運動でした。
 折りしも 八月二十九日には、第三次家永教科書訴訟の最高裁判決があり、南京大虐殺・日本軍の残虐行為・草莽(そうもう)隊に加え、731部隊に関する検定を「違法」とする判決が下された時に、なのです。
 当時の首相は橋本龍太郎、文相は小杉隆。内閣改造後、町村信孝になりました。
 Kさん、貴女に手紙を書きたくなりましたのは、私の暮らす東京杉並の地で、教育、とりわけ教科書にかかわるおぞましい事件がおこったから、です。

『学校票』をはずせ

 一九九九年七月、「杉並の教育を考える区民の会」と名乗る団体から、区議会に対し「教科書採択に関する陳情」が出されました。
 「教科書採択の権限が東京都より各区に委譲されることとなり…今こそ我々の跡継ぎであり、二十一世紀を担う子供たちのためにふさわしい教育、教科書が検討されねばなりません。とりわけ、歴史を学ぶ子供たちが、日本の国の未来に対する愛情を深め、誇りを持ち、未来を生き抜く勇気を湧きたたせられるような教科書の採択を望むものであります」
 これはまさに、「慰安婦削除請願」の趣旨そのものではありませんか。
 このあと、「教科書選定審議会や教育委員会での採択に関する議事録の公開」など、一見民主的な提案もありますが、決定的に反民主的なのは、教員の意見の排除…「学校票の廃止・無視」です。
 何故か、この陳情は審議前に取り下げられ、翌年二月、同じ会があらためて陳情を出しました。
 この陳情からは、「国への愛情、誇り」などの文言が綺麗に消え、団体の性格は明らかにせず、ただ教育委員会の権限強化の線にそった「教科書採択要綱の制定」を求めています。
 区民の働きかけ、野党議員のがんばりで、三月の文教委員会では「審議未了」とされたのですが、例のない委員長再提案で、四月には採択となりました。何らかの働きかけがあったのでしょう。

教育委員会は区長の下請け?

 十一月十四日、女性市民派区議・Tさんは、助役から新教育委員候補者三名の資料が渡され、改憲・教育基本法否定論で知られた弁護士佐藤欣子の名に仰天、直ちに住民に伝えました。前委員は一人が勇退。慣例から留任と思っていた二人には教育長が「区長の意向で辞めてもらう」と口頭で伝えたといいます。さまざまな課題について、区長の方針と相容れない発言があったから、のようです。
 戦後の教育委員会制度は、そもそも戦前への反省から、教育の行政からの独立をめざすものであったはずです。
 五人の教育委員のうち、過半数の三人を、区長独断できめようというのです。
 区長が議会に承認を求める三十日は、目前にせまっています。
 まもなく、二人目の候補者大蔵雄之助氏の「世界日報」論説記事…原爆容認、民族意識再生の提唱…がみつかり、怒りと衝撃の電話やファックスが縦横にとびました。有志は区民に「区長には撤回、区議たちには否決の要請を」とよびかけ、議員説得を始めました。
 十七日には前都立大総長山住正己氏宅に住民有志・教組幹部が集まり、弁護士や評論家吉武輝子さんら十三人の学者・文化人グループによるアピールをまとめ、区民の賛同を募りました。
 二十七日には、区内施設で記者会見。参加者の一人が「モンタナ大学での国際会議で、大蔵雄之助は現行教科書を自虐史観といい、『慰安婦は売春婦』といって韓国からの参加者が抗議した」と話しました。
 残る一人の候補は、園児に日の丸・君が代を教え、「祖先の事蹟、心情を正しく学び…(候補者所見)」という幼稚園長でした。
 一九九八年の中教審答申にある「地域住民の関心・要望の多様化」への配慮もなく、「学識経験者の推薦」もなく、区長の信条と同系の人ばかりです。
 区議会周辺が騒然とするなか、「佐藤欣子は取り下げ」の情報が流れてきました。
 教育委員人事採決の前夜、二十九日にはアピール賛同区民は約二百四十名になりました。

全国初?
自由主義史観の教育委員承認


 いよいよ三十日。七十の傍聴席は満員。区長が幼稚園長宮坂公夫氏の承認を求めたのが午後三時。約二時間の質疑のあと、三十六対十五で承認。与野党の議席比で当然の結果でした。
 このあと四十分の休憩で、ようやく大蔵氏の審議にはいった時、公明党八名を含む十名は、議場に戻ってこなかったのです。「大蔵氏は慰安婦=売春婦の発言あり」という質問に、区長は平然と「本人にただしましたが、『そんな発言はしていない』ということでした」と答え、「本人に聞いて何になる!」と傍聴席から声があり、衛視が制止にとんでくるという場面もありました。
 採決の結果は、承認二十四、否認十七、退席十。否決できなかったのは残念ですが、常なら八割与党の議会としては異例のことでした。
 在日大韓民団杉並支部は立派でした。連日大蔵氏の否決を訴え、承認後は直ちに抗議文を出したのです。
 私たちはいま、取り下げられた佐藤欣子氏に代わる女性の候補者を懸命に探しています。

 Kさん、杉並区の「教育委員入れ替え」と「教科書採択」には、行政から草の根保守勢力との連動が透けて見えます。区長は松下政経塾出身が自慢で、同塾塾長は「新しい歴史教科書をつくる会」の支援者でもあります。杉並は全国で起こりつつあることの一サンプルなのでしょう。
 貴女のホームページを見て、弛みない意思と行動に感服しています。
 東京の片隅から、せめて、私たちの非力な体験をお届けします。