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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年1月号

広範な国民連合第8回全国総会記念講演要旨

東アジアにおける冷戦崩壊と沖縄の米軍基地

沖縄地方自治研究センター顧問 元沖縄副知事  吉元政矩


江沢民発言と台湾

 一九九六年九月末に香港から、中国の江沢民国家主席が中国共産党書記局で発言したという記事が流れてきました。二〇〇〇年までに香港、マカオの主権が回復し、あとは台湾問題だ。台湾問題について、二〇〇五年には方針を決め、二〇一〇年には実行する。要約すればそういう表現でした。台湾と隣接する沖縄にとっては、すごく大きなメッセージでした。その後一九九七年七月一日に香港が返還され、去年十二月二十日にマカオが返還されました。これに対して、台湾が中国に送ったメッセージが、今年三月の総統選挙です。
 四年前、一九九六年三月の台湾総統選挙で、総統の李登輝さんが台湾と中国の関係は国と国との特殊な関係、つまり台湾は別の国だと発言しました。それに怒った中国政府が台湾海峡で軍事演習を展開し、台湾海峡で軍事演習と言う名の威嚇で、ミサイルを飛ばしたのです。北に向けたミサイルは少しはずれて与那国の近くにきました。その関連で、台湾政府は台湾南部東海岸でやっていた軍事演習を、北側の海域でやるようになりました。
 与那国は日本の最西端、私が生まれた島です。与那国の漁民はカツオやカジキの漁場での軍事演習によって、その海域での操業ができなくなり、生活が成り立たなくなるという状況に直面しました。アメリカによる軍事演習で県民の生命財産が脅かされてきたのは日常茶飯事でしたが、台湾の軍事演習でも生活を脅かされたのです。
 沖縄県にとって最も大事なことは、県民の生命の安全、仕事や安全な操業を守ることです。大田知事は日本政府に対して、外交交渉で軍事演習を止めさせてくれと盛んに要請しましたが、なしのつぶてでした。それなら台湾に直接乗り込もうということになりました。一九九六年十一月末、私は副知事という肩書きを隠して、羽田から台湾に飛び、李登輝さんに会いました。
 興味深いいくつかの話がありました。軍事演習については明確に抗議し、止めてほしいと強く申し入れました。李登輝さんは最初、「知らない」という表情でしたが、秘書官の説明で事実だとわかると、「吉元さんが言ったことは直ちに検討する」と答えました。行政として「検討する」というのは、日本では「やりません」という意味です。私はこの言葉にカチッと来て、「検討するということではだめだ」と言いましたら、日本語に堪能な総統はすぐに気づいて、「私が検討するということは結論を出すということだ」と言いました。その深夜に軍事演習は止まりました。
 そういう意味で、日本政府は沖縄県民の生命と財産を守るのに役立たず、沖縄県が自らの行動で守らざるを得ない。それほど頼りない日本政府を見せつけられてきました。


二つの報告書

 二つの報告書がアメリカで出され、話題になりました。
 一つは、国家情報会議の報告「東アジアと米国―現状と今後五年の展望」です。CIAなどいくつかの情報機関が共同で、東アジアの状況、アメリカとの関わり、そして今後五年の見通しを分析した報告です。在日、在韓米軍基地を現状のままにしていくと、日本や韓国で民族的な反発が起こり、米日、米韓の関係が悪くなっていくと、報告書は警告しています。五年後は二〇〇五年です。
 もう一つは「米国と日本―成熟したパートナーシップに向けた前進」という報告書です。これを作成したのは民主党と共和党の軍事政策ブレーンで、それぞれ民主党政権、共和党政権の時に国防次官補等を勤めた人々です。二十一世紀の日米関係はイギリスとアメリカのような成熟した関係にしたい。日本が「負担を分担」する関係から、日米が「力を共有」する関係にすべきだ。日本にはアメリカの行う戦争に参加してもらう、つまり集団的自衛権を行使できる状況を積極的に作ってほしい。報告書は日本の憲法改正もにおわせています。
 沖縄の米軍基地については、過剰すぎる、このままでは沖縄県民の反発で米軍基地を全部撤去せよと要求される危険な状況が考えられる、そうならぬよう計画的、段階的に米軍基地を「分散」させるべきだ、そう述べています。「分散」先については、グアム、オーストラリア、可能ならばフィリピンと言っています。しかし、アメリカが狙っているのはベトナムのカムラン湾だとも言われています。
 この二つの報告書は、アメリカが今起こっている朝鮮半島の状況をどのように分析し、東西冷戦崩壊後十年間の日米関係をどう評価し、アメリカの東アジア戦略を二十一世紀にどう持続させていくのか、ということを明確に示したものです。
 来年一月二十日に就任するアメリカの新しい大統領がまっさきにやる仕事は「四年期の国防見直し」の策定です。その国防計画に、二つの報告書は大きな影響を与えると言われています。次の大統領が策定する国防計画は二〇〇五年、中国の台湾に対する方針の確定が二〇〇五年。この二つは重要な関わりを持ち、二つの報告書はこれを織り込んでいると私は見ています。


朝鮮半島の状況と逆行する日本の「右向け右」

 日本は冷戦崩壊後、アメリカから日米安保体制をつくり直そうと言われ、九六年四月に橋本総理とクリントン大統領が「日米安全保障共同宣言」を行いました。そこから新ガイドラインが出てきて、周辺事態法、盗聴法、国民総背番号制、日の丸・君が代法が制定され、憲法九条の改悪を見すえた憲法調査会が設置され「改憲」議論が国会で開始されました。
 この一連の動きは、北朝鮮のテポドンに備えなければいけない、朝鮮半島の軍事紛争で大量の難民が流れてきたらどうするのかと、あたかも北朝鮮が日本を攻めてくるかのような宣伝が集中的にやられる中で進みました。西日本新聞は、二発のミサイルと小さな不審船で国民全体が「右向け右」の号令で右へ向かされた、と書いていました。
 私は二〇〇一年から「前へ進め」と言われるのではないのかと思います。教育基本法の改悪、有事立法の整備つまり戦争法規、そして憲法改正問題です。中曽根元首相は二〇〇五年までに国会で結論を出し、二〇一〇年までに国民投票にかける、と言っているようです。
 その二〇〇五年に、朝鮮半島の状況はどうなっているでしょうか。今年五月、大田前知事を団長に、沖縄から北朝鮮へ百二十五名が訪問しました。私はその時、過去三回の訪朝の時とは違う明るさを感じました。すでに六月十三〜十五日の南北首脳会談は決まっていたはずで、それを反映していたのでしょう。二〇〇五年に、朝鮮半島は場合によっては、連合政府あるいは連邦政府の議論が煮詰まっている過程だと思います。今後五年間に、鉄道の開通も含めて経済や社会基盤の整備は、かなり進展するのではないでしょうか。北朝鮮の経済状況、民衆の生活の安定、民族の和解が進むスピードは、かなり速いと思います。
 したがって二〇〇五年には、焦点は「朝鮮半島」ではなく、「台湾と中国」の関係に移っているでしょう。二〇〇四年には台湾の総統選挙もあります。アメリカにとって、人口十三億人、年間数%の経済成長が続くと言われている中国は、物を売り資本を投入してもうける大きな市場です。アメリカの「東アジア戦略」の狙いもそこにあり、アメリカのグローバルスタンダードへもっていこうとしているのです。それを中国が受け入れるかどうか、WTO加盟が目前に来ています。アメリカが中国と台湾の関係をどうサポートするのか、大統領選挙でもそれが一つの争点になりました。
 日本を取り巻く朝鮮半島、中国との関係、加えてASEAN十カ国の経済の発展のこれからをきちっと認識しなければなりません。それに日本がどう関わっていくのか、私たちがどんな役割を担っていくのか、考えなければなりません。それなしには、在日米軍基地、沖縄の米軍基地の縮小・撤退も出てきません。


冷戦崩壊後のヨーロッパ新しい歴史の潮流

 一九八九年六月、中国の天安門広場に学生が民主化を要求して座り込み、最終的には人民軍の戦車が蹴散らすという事態に展開しました。その年の十一月にベルリンの壁が崩壊し、一二月には地中海のマルタ島の会談で「冷戦の終結」。翌年十一月に東西ドイツが統一国家を作りました。そして一九九一年一二月にソ連邦という「国家が崩壊」し、ロシアをはじめとする十一の共和国で「独立国家共同体」に調印した。
 大戦後、ヨーロッパではドイツが問題が出るたびに戦争犯罪を謝罪し「補償」を確実に行い、信頼関係を作り上げてきました。その積み重ねが信頼を醸成し、こうして国境のない経済圏、EUができあがり、去年一月一日から為替や貿易の決済で使われていた統一通貨ユーロが、来年一月一日からは日常的なお金として使われます。長い取り組みがありましたが、象徴的には冷戦崩壊による東西ドイツの統一が、ヨーロッパ全体を一つの経済圏として共に生きていく体制を可能にしたのです。
 軍事的にも、ヨーロッパ諸国とアメリカ、カナダを含むNATO(北大西洋条約機構)は将来的になくなり、EUだけの安全保障体制が確立されていきます。ゆくゆくはヨーロッパ「合衆国」、という議論もまとまりつつあります。国と国との間で侵略や戦争をするという状態が、ヨーロッパ社会では考えられなくなりました。もちろん、民族や人種、宗教上の対立があり、コソボ問題などにそれが現れています。ヨーロッパはそれにどう対応するのかを求められていますが、必ずいい知恵がでてくるでしょう。
 アメリカが一方的についてこいというやり方、アメリカの飛行機が空からピンポイント爆撃していくようなやり方では、その地域の人種や宗教の対立はなくなりません。冷戦後の世界の警察官というアメリカの役割は、イラン、イラク、コソボでみんな失敗しています。アメリカが世界全部に目を配り、悪い奴がいたらやっつけるというやり方について、言いすぎかもしれませんが、アメリカは変更を迫られる、そういう変化が見え始めていると認識した方がいいと思います。
 つまり世界には、軍事的な力関係ではなくて、経済社会を中心にした新しい歴史の潮流が見られます。それなのに、日本政府はアメリカの東アジア戦略に忠実に従い、九〇年代の四年間に戦争体制を作り上げてきました。そして来年からは「右向け右」から「前へ進め」へ踏み込もうとしています。


国際都市形成構想と基地返還アクションプログラム

 大田県政は県民に基地のない平和な沖縄を約束しました。そのために大田県政の前半は、二十一世紀に向けた沖縄のグランドデザイン、国際都市形成構想をまとめ、基地返還アクションプログラムをつくるのに力をそそぎました。
 基地のない平和な沖縄と言っても、それだけでは行政として通用しません。基地をなくした時に、米軍用地の地主、基地で働く労働者、基地に依存している中小企業、基地ゲート前の商店街など、基地に関わっている人々の生活をどうするのか。基地と結びついた国の補助金や交付金による公共事業オンリーの沖縄経済を建て直すためにどうしたらいいのか。それにこたえなければなりません。
 そこで、冷戦崩壊後の東アジアの状況を分析、整理してみました。まず、一九八九年十一月に、アジア太平洋の経済閣僚が集まるAPECが始まりました。九五年十一月のAPEC大阪会議では、先進国は二〇一〇年、途上国は二〇一五年ないし二〇年までに、投資と貿易を完全に自由化することを確認しました。他方、一九九四年七月に地域全体の安全保障を考えるASEAN地域フォーラムができ、今年七月から北朝鮮も参加するようになりました。
 こうしたアジア・太平洋の状況をふまえて、沖縄の那覇市を中心にコンパスで円を描いてみます。北に一億二千万人の人口を抱えた世界第二の金持ち国・日本があります。わずか七百キロ西に、十三億の人民を抱え、年間数%の経済成長を続けている中国があります。南には東南アジア諸国連合、年間四〜五%の経済成長を着実に重ねている発展途上の国々、ASEAN十カ国があります。遠く離れた東にアメリカ、カナダ、メキシコ、そして南米があります。
 これを冷静に見ていくと、沖縄の生き方が出て来ます。こうした東アジアの状況を踏まえ、平和、共生、自立を基本理念としてアジアの国々や地域とつきあう沖縄、基地のない二十一世紀の沖縄を展望して、国際都市形成構想をまとめました。さらに沖縄の地域経済はこう作るという地域振興策を検討しました。
 国際都市形成構想と共に、二十年後に米軍基地をゼロにするのが、基地返還アクションプログラムです。第一期は二〇〇一年で、その大部分がSACOつまり日米政府が沖縄の米軍基地を整理縮小する作業案に取り入れられました。第二期が二〇一〇年で、最初に述べた台湾の問題とも関係します。最後の第三期が二〇一五年で、嘉手納基地がこれに入ります。
 この計画を出した段階で、一番びっくりしたのがアメリカの国防省でした。それ以来、アメリカは二〇一五年〜二五年の東アジアの軍事戦略を意識するようになりました。冒頭に申し上げたアメリカの二つの報告書の内容にもつながっています。


米軍基地と闘う大田県政

 一九九五年二月、沖縄県の構想がまとまったちょうどその時に、ジョセフ・ナイ国防次官補が中心になってまとめた東アジア戦略が発表されました。これにそって、後に日米安保共同宣言が行われます。その年の九月四日、普天間基地所属の海兵隊員が少女暴行事件を起こしました。
 沖縄県は大きな決断をしました。米軍用地強制使用のための代理署名の拒否です。大田さんは九〇年の当選直後に代理署名拒否を決意したのですが、政府から圧力が激しく、庁内も体制をとれず、条件付きで代理署名しました。しかし、それが無視されため、前述した三つの政策を県民に問いながら、代理署名拒否で日米政府と対決したのです。日米安保で判断を避ける裁判所の姿勢から負けることはわかっていましたが、最高裁まで法廷闘争を展開しました。嫌なものは嫌というのが地方自治だと思ったからです。政府は法改正で自治体が拒否する権利をとりあげ、国が代理署名をやるようにしました。
 日米政府と対決して、米軍基地の撤退、地位協定の改定を求めた結果、九六年十二月、十一施設の整理縮小、県内移設案が出てきました。九八年二月に大田知事は県民投票、名護の市民投票の結果を尊重して、普天間基地の県内移設にノーという結論を出しました。
 日本政府は手のひらをかえすように、各省庁の沖縄県に対する関わりを厳しくし、大田県政が続くと政府から補助金が来ず生活できなくなる、そういう危機感を県民意識の中に作り出す巧妙なやり方で、大田知事を締め上げてきました。アメリカ政府もそうです。日米政府がよってたかって、基地を容認しない沖縄県知事、首長つぶしをやったのです。
 その結果、大田さんは二年前の知事選挙で負けました。今月・十一月の那覇市長選挙も敗北しました。私たちと一緒に平和と基地撤去の県民運動をやってきた勢力が相手側についたので、こちらは「引き算」、相手は「足し算」となったのです。六月の県会議員選挙も、その構図で一人区は全部負けました。来年二月の浦添市長選挙も同じ構図ですからかなり厳しいです。国政における政権構想の枠組みである自自公、自公保がそっくり沖縄に持ち込まれたのです。
 そういう意味で、沖縄県民には大変厳しい状況がしばらく続くでしょう。それを打ち破って、大田県政のように基地問題に真っ正面から対決する県政を作るには、十年ぐらいかかるでしょう。沖縄はそういう単位で変わってきました。


自由貿易地域構想と琉球諸島自治政府構想

 大田さんが三期目に入った段階でやろうとしていた仕事がありました。沖縄全県を自由貿易地域にしようということでした。ただし、APECの確認で日本は二〇一〇年までに投資と貿易の自由化を完全にやるわけですから、効果があるのは二〇一〇年までです。全県自由貿易地域の構想を二〇〇一年実施で提起し、県民参加の大議論のすえに、一九九七年十一月に最終決定(二〇〇五年実施)しました。
 そうすると、次の課題として沖縄県のあり方が問われます。当時、行政改革の名で北海道開発庁、沖縄開発庁を廃止することが決まり、分権推進委員会で地方分権の論議がなされていました。どうせ沖縄開発庁がなくなるのならば、沖縄県という自治体のあり方をどう考えたらよいか。そこで、一九八一年に私も係わった「沖縄特別県政」構想を再検討し、自治労中央本部や沖縄県本部と一緒になってまとめたのが琉球諸島自治政府構想です。
 陸続きのところと沖縄のようにそうでないところの違いは大きく、例えば新幹線は沖縄へ来ません。日本は北海道から沖縄まで三千キロあります。一年中温暖な沖縄と非常に寒い北海道が、何もかも東京の基準でやればおかしなことになります。例えば道路舗装のアスファルトを、東京で出された基準で混ぜれば、寒い北海道ではうまくいきません。暑い沖縄ではアスファルトの道路はほとんどありません。一つの仕組みに全部押し込むのは無理があります。国民的な最低基準は当然必要ですが、あとは地方に任すべきだと思います。
 大田県政の三期目にやろうとしていたことが行政に持ち込めず、その研究が地方自治研究センターで進んでいます。二年後の沖縄県知事選挙では、基地問題を含めて二十一世紀の沖縄をどうするのか、大田県政が作ったものを再び県民に問いたいと考えています。


保守県政と「沖縄の本土化」

 保守県政に変わった沖縄県は、いま何をしているでしょうか。米軍基地と安保を容認し、基地とのトラブルを避け、ひたすら基地と引き替えの金に走っています。名護市は普天間基地の移設を条件に政府からふんだんに金をとりました。その一つとして政府は名護市を中心とする北部の市町村に、年間百億円、十年間一千億円の金を約束しました。基地が市町村財政とストレートにつながっています。
 そういう中で、知事のブレーンといわれる琉球大学の三人の教授が、日米安保を認め米軍基地を前提にして沖縄の二十一世紀を描こうと、「沖縄イニシアチブ」という論文を出しました。知事自ら沖縄戦の事実の改ざんを始めました。「新しい歴史教科書をつくる会」、自由主義史観と同じ流れが沖縄でも顕在化してきました。そういう意味で「沖縄が本土化」され、本土のいろいろな動きが表に出てくる時代を迎えています。
 七月に沖縄でサミットが開かれましたが、中味のないものでした。沖縄サミットを言い出したのは大田知事です。海兵隊の撤去を打ち出し、江沢民主席をオブザーバーとして参加を実現させ、来県するクリントン大統領に県民の意向を直接伝えようと考えたのです。大田さんが敗れた後に、小渕首相が沖縄開催を決めました。小渕さんは中国の国家主席である江沢民さんを招待しサミットで「人間の安全保障」をテーマにすること、サミットを成功させて二〇〇〇年中に北朝鮮と国交を回復すること、この二つを目標としていたと言われています。
 しかし、クリントンは平和の礎の広場で「日米同盟は二十世紀の偉大な話題の一つ。この地域の平和維持のために耐えなければならない」と演説し、県民に我慢を求めました。嘉手納基地を抱える沖縄市が作ったクリントン広場にも来ませんでした。中東問題もありましたが、クリントンは日米関係に力を入れず、日本を通り越して中国との外交を展開していたのが事実でした。
 森首相は沖縄サミットは成功したと言うだけで、沖縄問題は終わったという認識ではないかと思います。しかし、普天間基地の移設問題は何一つ解決していません。沖縄県知事と名護市長は十五年を「条件」だと言い、アメリカ政府はノー、日本政府は検討中と言っています。


日朝国交回復を急げ

 東アジアで冷戦の終焉が始まったにもかかわらず、アメリカが日米軍事同盟を強化して、日本に戦争できる体制をつくれ、憲法を改正しろと言うのは、アメリカのねらいが中国にあるからです。日米軍事同盟を基軸に、中国をにらみながら東南アジア、南アジア、ペルシャ湾まで、トータルにアメリカが支配していく。在日米軍基地はそのための基地です。在韓米軍基地の整理縮小が進んでも、在日米軍基地の整理縮小のテンポは遅くなるでしょう。
 一昨年六月、沖縄の新聞にアメリカの学者の発言が出ていました。在日米軍基地でどうしても必要なのは、艦船修理ができる第七艦隊の母港・横須賀、戦略爆撃機が離着陸できる嘉手納、通信衛星司令部のある座間くらいだ。佐世保は便利だがなくていい。三沢は朝鮮半島の問題が片づけば必要ない。日本海側の舞鶴に小さな軍港が必要だ。こう言っていました。二〇二〇年か二〇二五年か分かりませんが、在日米軍基地はここに集約されていくのだろうと思います。
 その間に私たちはすでに述べたことも含めて、どういう運動と連動させていくのかが問われていると思います。キーワードはASEANです。
 ASEANは経済協力をしながら、核兵器を持ち込まないという確認をし、ASEAN+3で中国、韓国、日本を加えています。北朝鮮も入ったASEAN地域フォーラムは、北東アジア、東南アジア全体の安全保障を議論する拠点となるでしょう。すでに述べたAPECには社会主義国のベトナム、中国も参加しており、いずれ北朝鮮も加入するでしょう。国や体制の違いを尊重しながら、平和な関係、経済協力の関係を発展させようとしているのです。
 したがって、日本は東アジアの平和と発展のために、朝鮮半島の和平と民族統一に向けた展開を支持し、促進することが求められています。何よりも日本は北朝鮮と国交を回復し、平和条約の締結を急がなければなりません。
 日本政府は拉致疑惑とミサイル問題が入り口だと言っていますが、疑惑ですから事実かどうかという問題があります。家族の悲しみも理解できますが、拉致疑惑が解決しないと戦前・戦後の謝罪や補償ができないという話ではありません。あえて言えば、朝鮮からの強制連行や、従軍慰安婦として拉致してきた事実をどうするのですか。これに謝罪し補償することが先ではないでしょうか。そのプロセスの中で信頼が生まれ、拉致疑惑を解決する道筋も見えてくるのだと思います。
 北朝鮮はかつて近くて遠い国と言われました。そんな状態が続けば、北東アジアの平和はずっと遅れる結果になります。それは沖縄にもみなさんにとっても不幸なことです。
 
(2000.11.25 長崎にて 文責編集部)