国民連合とは月刊「日本の進路」地方議員版討論の広場集会案内出版物案内トップ  

自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2000年6月号
 

「昭和の日」から「神の国」まで


九州・沖縄平和教育研究所  梶村晃


 四月二十九日を「昭和の日」とするため、本年三月三十日、自・自・公(その当時)の議員立法として「国民の祝日に関する法律の一部改正案」が参議院に提出された。
 法案は五月十一日、参院文教・科学委員会で審議され、ただちに採決・可決された。その状況を朝日新聞は「参院委員会の実質審議時間は参考人の意見聴取を含めても三時間半あまり。昭和という時代の重さと比べると、あまりにもおざなりと映る」(五月十二日付)と報じている。
 法案は翌十二日、参院本会議において賛成一三七、反対九三で可決され、衆議院に送付された。法案は今国会(第一四七回)で成立する見通しという。法案の骨子は、◇四月二十九日の「みどりの日」を「昭和の日」とする。◇五月四日を「みどりの日」とする。◇施行は平成十三年一月一日より。昭和の日の意義については「激動の日々を経て復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」となっている。
 いまなぜ昭和の日か、少し歴史をさかのぼってみよう。
 一九二六年大正天皇が死去し、時の摂政・皇太子裕仁が践祚して間もない翌二七年(昭和二年)三月三日、次のような詔書が出された。
    詔書
 朕カ皇祖考明治天皇盛徳大業夙ニ曠古ノ隆運ヲ啓カセタマヘリ滋ニ十一月三日ヲ明治節ト定メ臣民ト共ニ永ク天皇ノ遺徳ヲ仰キ明治ノ昭代ヲ追憶スル所アラムトス
  御名御璽
  昭和二年三月三日
 明治節制定詔書である。この詔書の主旨は「明治天皇がすぐれた徳をもってなし遂げた偉業は、前例のない隆運(発展)を啓かせた。そこで明治大帝の遺徳を追憶して十一月三日を明治節と定める」というものである。
 明治天皇盛徳大業とは、沖縄を武力で統合し、日清・日露の戦役に勝利し、台湾・朝鮮を植民地化し、国威を高揚させ、欧米列強に伍していけるようにしたということであろう。これは日本の脱亜入欧・膨張政策を謳歌し、明治大帝を讃え、明治にあやかり、昭和の時代を再び膨張政策にもっていこうとする意図が秘められていたと考えてよい。なぜなら、それ以降の日本がたどった歴史が何よりも証明している。明治節は今「文化の日」となっている。
 さて「昭和の日」は何を意味するであろうか。昭和天皇は十五年戦争の責任や、戦後になってからも沖縄をアメリカに割譲することを画策したことの責任など問われないままに「在位六十年」。昭和の日は敗戦の苦境を乗り切り主権天皇から象徴天皇へと天皇制を護持したということを偉業として讃えようというのであろうか。たしかに天皇を含め日本の支配層が敗戦前後に固執した天皇制国家護持の観点からすると、その論理も成り立つかもしれない。しかし、憲法理念からするとこんな馬鹿げたことはない。
 「昭和の日」法案提出までの経緯をたどると、一九九八年四月に衆参両議員による「昭和の日」推進議員連盟が発足している。そのメンバーは約四百人。そのほとんどが憲法調査会設置議員連盟の加入者といわれている。本年三月になって公明党が三役会議で賛成する方針を決めたことで自・自・公提案となった。
 明治節制定の歴史から学ぶとすれば、昭和の日制定は戦争への道を歩む布石となる。日本は一九九九年、戦争への道を歩き出した。詳述はさけるが体制側は「周辺事態」に対応する国内体制と国民の意思統合が不足していると危惧している。国旗・国歌の法制化は国民統合の装置である。「国民の象徴としての天皇」もまた国民統合の装置となる。昭和の日制定はその装置を最大限活用しようとするものである。昭和天皇裕仁を讃歌することによって、天皇の戦争責任をあいまいにし、侵略戦争の歴史を消し去ろうとしている。
 森喜朗は首相就任以来、「教育勅語には時代を超えて普遍的哲学がある。そうしたことをもう一度、子供が教わることができる改革をやってほしい」「教育勅語には人間の基本など良い面と悪い面がある。親孝行とか兄弟仲良くとか、家や国を大事にとかの良い面は復活させ、残さないといけない」などと発言している。
 教育勅語は、日本帝国憲法発布の翌年、一八九〇年(明治二十三年)に出された。それは自由民権の思想を抑え、天皇制国家体制を支える道徳律を示すものであった。その内容は大きくは三つからなる。
 その一つは、日本の国は天皇の先祖によって遠大な宏壮ではじまり、代々その徳をもって治めてきた。臣民は忠と考をもって心をあわせて天皇に尽くしてきた。これが我が国の立派なところで、教育の大もともここにある。
 その二は、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ……」と一般的と思える倫理観を説くが、その目的は一度戦争になったら臣民は身も心も捧げて天皇家の発展のために尽くすべし。
 その三は、ここに述べてきたこと(この道)は昔も今も誤りはなく世界に通用するものであるから、天皇と臣民は一体となってその徳を高めていこう。
 これを少し解説すると、その一は、日本の国は天皇を中心とする国で、それが教育の基本になる。その二は、かつての首相や何人かの有名人などが、父母に孝に兄弟仲良くといったところだけを取り出して、教育勅語は普遍的な人の道を説いている言ってきた。しかし、その目的とする「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ……」には全くふれていない。意図的に欠落させているとしか思えない。その三は、この考え方が大東亜共栄圏などの思い上がった論理となっていった。
 戦時中に八紘一宇の名のもとに天皇陛下の御為に死んでいった多くの将兵、それを支えた国民の思想は、この教育勅語が基底にあったことをわたしたちは忘れてはならない。
 一九四八年、教育勅語は軍人勅語とあわせて新憲法に反するとして、衆議院・参議院のそれぞれにおいて排除・失効確認の決議がなされた。しかし、今その亡霊が出てきている。
 森首相の暴言はさらに続く。五月十五日、神道政治連盟国会議員懇談会の会合で「みなさんの努力で『昭和の日法案』を作成し、天皇在位十年のお祝いもした。日本の国はまさに天皇中心の神の国である」(要旨)とあいさつした。これに対し、全国から強い反発が出ている。かれは、ことばの解釈をもって弁解しているが、発言は撤回していない。昭和の日、教育勅語、天皇中心の神の国と並べれば、どう考えても「天皇制国家主義・神国日本・国家神道」の思想が浮上してくる。
 国家神道は明治期に土俗の神社神道を皇室神道に糾合し、その頂点に天照大神(伊勢神宮)をおき、天皇を現人神と位置づけて国家の宗教としたものである。これは教育勅語とともに天皇制の支配、軍国主義を支えてきた。一方、これに異を唱えるキリスト教徒や創価学会に至るまで多くの宗教・宗派が官憲により弾圧を受けてきた。憲法二十条信教の自由はその負の歴史を背負っている。
 憲法は第九九条において、その遵守義務を天皇や国務大臣、国会議員、裁判官等に課している。総理大臣自らが率先して憲法を逸脱していく。その罪は大きい。しかし、それを支える体制が大きく動いていることも見逃せない。わたしたちはその本質を見据えて、人権尊重、平和創造の運動をより強く、さらに広くすすめていかねばならない。