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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2000年6月号
 

朝鮮沖縄友好訪問団に参加して


沖縄県教育文化資料センター事務局長 久高 賢市


 五月三日午後二時過ぎ、名古屋空港を飛び立った旧ソ連製旅客機ツポレフが朝鮮沖縄友好訪問団を乗せ平壌に向かった。ゴールデンウィークただ中、少年によるバスジャックが日本を震撼させていたと知ったのは、帰国した七日夕。青少年をめぐる日朝両国のあまりにも違う現実を思い知ることになった。
 ハバロフスク空路経由で二時間半、平壌の純安(スナン)空港到着。絶対的な電力不足と聞いていたが、暗い構内に点いた電灯は三分の一にも満たない。閑散とした構内には、一般客の姿が無い。パスポートを持って「ヤマト」の大学で学んだという沖縄友好団の一員が、若かりし自分に重ね合わせ「那覇空港もこんな感じだった」とはしゃいでいた。
 平壌から板門店に至る南下道路の周辺の景観は、乾季とはいえ気の毒なほど緑がない。年間降水量はこの地で八百ミリ程度とガイドは言う。保水能力を失った丘陵地は、ちょっとした降雨でも土壌侵食を起こす「ガリ」をいたるところで確認した。一方、平壌から国民的保養地である妙香山に至る道路周辺の景観は、一変して緑が潤っている。国土のおよそ八五パーセントを占める山地・丘陵地。その一部を無理やり耕地化した農業政策の失敗と、保養地として森林を保全した結果、図らずも下流域の農地が守られたというコントラストはあまりにも強烈だった。
 都市、農村を問わず行程の車窓から伺える国民生活は、驚くほど平静である。バスの車窓ごしに手を振れば、徒歩の少年少女から屈託のない笑顔と手を振る姿が何度も返ってきた。日本では忘れ去られた原風景に、思わず安堵した。一方、中国やロシアといった周辺諸国から購入する燃料費の高騰が原因で、せっかく所有している農業機械が使えず赤牛や馬が鍬を引いている光景に何度となく出会った。また、農村に至る道路で物資を運ぶトラックや、遠景の線路を走る貨物汽車に遭遇することはなかった。一体、農村への物流はどうなっているのか疑念を抱かずにはいられなかった。
 都市も同様、昼夜を問わず平壌のビルの窓からこぼれる灯りはほとんど無い。冷涼な気候にもかかわらず、駐停車中の車両のアイドリングもなくこまめにエンジンを止めている。燃料や耐久消費財の絶対量は十分だとは言えないようだ。
 一方、社会資本や教育制度の充実には目を見張った。人影まばらな平壌の街角とトローリーバスから、二百万人都市という事実を疑ったが、地下鉄の人ごみと豪華な造りには驚嘆、東京や大阪の地下鉄に劣らないものだった。医療、教育は全て国家負担。妊婦の総合病院で千五百床を誇る「平壌産院」を案内された。とりわけ、三つ子以上の多産児には育児室も別格、国家が住居や保育を保障するという話だ。身体障害者の姿が見当たらなかったのは、少々気になった。
 九四年金日成の逝去以降、金日成、金正日に対する偶像化がますます強まる傾向にあるようだ。訪問地の至る所にある金親子の肖像画と、通訳や訪問地のガイドの口から幾度となく繰りかえされる「偉大な金日成主席」「敬愛する金正日同志」には、一行も少々うんざりしている様子だった。戦前日本の天皇崇拝に重ねてみる沖縄の教師もいた。
 高等中学校との交流での一話。朝鮮対外文化連絡協会指導員で私達のグループの世話役、李蓮花さん(四十七才)。校長の通訳に徹していたが、反米帝国主義教育に話が及び「朝鮮戦争で父を亡くし、母の胎内にいてその姿を見ていない私はアメリカを許せない」と漏らすと、一行みな共感した。北朝鮮の脅威だの社会主義の欺瞞だのと唱え、朝鮮人民を心から理解しようとしない日本人は多い。どんな御託を並べられても、侵略された人民にとって怨念に勝るものはないと実感した。これを契機に心の壁を取り払い、夜の反省会では祖父母を沖縄戦で亡くしたという女性教師が、涙を流し李さんと抱き合っていた。
 朝鮮人民から学ぶべき点は多い。主体(チュチェ)思想の徹底した人民の心は、物欲に毒された我々日本人からは想像できないほど高潔だった。交流会の琉舞披露で使った楽屋に置き忘れた口紅一本、バスに置き忘れたペン一本をホテルのフロントにわざわざ届けてくれた。街角には物乞いの姿も無い。資源のリサイクルが徹底し、ゴミをほとんど出さない。国を挙げ「一日一万歩運動」を徹底しており、成人疾患に悩むこともまれである。家庭教育や学校教育、社会教育も徹底しており、いじめ、不登校がほとんど皆無であるという。
 今回の訪朝団は、大田県政を副知事として支えてきた吉元政矩氏(現沖縄地方自治研究センター理事長)が昨年十一月に訪朝した際提案したもので、大田昌秀前知事を団長に総勢百二十四名。市民レベルで交流を活発化させようと、前例のない大型訪問団になった。参加者は吉元氏、参院議員の照屋寛徳氏、ミュージシャンの喜納昌吉氏のほか、沖縄県内の考古学者や空手家、企業経営者、公務員、教職員など多岐にわたっている。一行は歓迎晩餐会や文化交流会などではまとまり、平壌市内や板門店、妙香山といった訪問地では三つのグループに分かれて、四泊五日の過密スケジュールをこなした。
 訪問団一行と朝鮮対外文化連絡協議会(対文協、文在哲代表)が開いた「平和と安全のための朝鮮沖縄平和友好連帯集会」では、共同アピールを採択した。「南朝鮮と沖縄の米軍基地の撤去と、朝鮮半島の平和統一がなされれば、東北アジアに恒久平和が訪れる」と宣言。さらに大田昌秀団長ら役員七名は、平壌市内の万寿台(マンスデ)議事堂で、最高人民会議常任委員会(北朝鮮の国会にあたる)の金永大副委員長と会談した。国家の最高級幹部から、沖縄の基地整理縮小に向けた沖縄側の動きに対する評価も得られたのも大きな収穫であった。
 今度の旅で物が豊かでなくても高潔かつ凛然と生きる朝鮮人民にふれ、私は幸福とは一体何だろうという根源の問いにぶつかった。朝鮮民主主義人民共和国に将来はないという日本人は少なくない。資本主義が万能だと疑わない日本人も多い。しかし、昨今の先進国に共通する教育や社会の荒廃、無尽蔵に消費する一方で枯渇が目に見える資源、農業や食糧基盤をゆるがす自然環境の破壊、それらに明快な処方箋が見出せないならば、資本主義は間違いなく破綻する。敵は社会主義国北朝鮮にあらず、脅威論を展開し軍事的緊張関係を継続させようと喧伝し、沖縄の米軍基地を固定化しようとする輩にあるのだ。
 北朝鮮は五月十九日、東南アジア諸国連合地域フォーラム(ARF)への加盟が正式承認された。今回の訪朝は、北朝鮮が対米一辺倒の外交政策を改めたことによるものには違いない。歴史的となる六月の南北朝鮮の首脳会談が実を結び、二十一世紀が真の国際協調の時代となるよう、大田昌秀団長をはじめとする我々平和友好団一行が、軍縮に向けて大きな一歩を踏み出したことに誇りを痛感した旅でもあった。