国民連合とは月刊「日本の進路」地方議員版討論の広場 集会案内 出版物案内トップ


自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』1999年11月号
 

地元商店街やモノづくりは共有財産
中小企業支援は国民的課題

一橋大学教授 関満博


中小企業基本法改正の背景

 戦後、日本の中小企業は過小過多(規模が小さくて数が多い)だと言われました。規模を拡大して競争力をつける必要があるというのが政府の基本的な考え方でした。そこで政府は、三十六年前に中小企業基本法や近代化促進法を作って、集団化、協業化、協同化を進めました。
 ところが、一九七一年のニクソン・ショック、七四年の石油ショックあたりから、雰囲気が変わってきました。規模が小さくて独立性があったほうが馬力があっていい、つまり、中小企業を高く評価する雰囲気になってきた。協同組合や商店街の組合など集団にひろく援助するやり方はうまく機能しない、個別への支援が必要だという考え方に変わってきた。その延長線上で、今回の改正が行われるのではないかと思います。
 もう一つは、企業数が減っているという問題です。新規創業が少なく廃業が多い。その傾向が十数年続いています。発展の可能性のあるベンチャーなどに個別支援をして、新規創業を促進する。そして過激に競争させて社会全体を活性化させたい。そういうねらいが、今回の改正にはあると思います。
 戦略的には間違いではないと思います。しかし、問題はそこから落ちこぼれてしまう部分が相当にあります。日本の企業の大部分は中小零細企業で、そこで働く人たちも非常に多い。ベンチャー企業など日が当たる部分は少数です。したがって、今回の改正で日の当たらない部分にきちんとした目配りが必要です。いまのところ、その対策が見えてこない。きちんとした対策がなければ、社会的な問題になります。

商店街は地域の共有財産

 商業の問題で感じることがあります。土曜日になると新聞に大量の折り込み広告が入ってきます。昨日、十万円で買ったものが、激安店では六万円程度で売っている。一方で、近くや駅前の商店街がどこもひどいことになっているわけです。放っておくとますます過激に進む。今すぐは不都合は感じませんが、自分が七十才過ぎたらと考えると、えらいことが起こるのではないかと心配です。歩いて五〜十分の所で一通りの買い物ができる商業集積がないと、高齢化社会は非常に不安定になります。安ければいいと市場原理だけにまかせると、駅前商店街などはますます空洞化してしまう。長期的な視野でみるべきで、商店街は地域の公共財として考える必要があると思います。
 商店街とか製造業における技能というものは、先輩たちが苦労して作り上げた共有財産として位置づけるべきだと思います。商店街にしても、技能にしても一度失ってしまうと、再生するには大変なコストがかかる。中小企業基本法の改正で日の当たらない部分の問題です。
 まず商店街自身が高齢化社会をイメージして、どういう商店街にしていくのかという自主的努力が必要です。個別の店舗の努力、集団としての努力も必要です。二番目は、地域住民であるわれわれの自身です。われわれ自身が将来の高齢化社会の中で、近場の商店街をどうやっていまから育てていくか、強い意志が必要だと思います。目先の安さに目を奪われず、二十年後、三十年後の自分たちの生活を考えて、地元の商店街と意識的につき合う。地域にとって、不可欠なものとして地元商店街を地域で育てていくことが大事です。ヨーロッパはそういう風土が根付いています。三番目に大型店はどうするのか。今の彼らのやり方は、若者にはいいかも知れません。しかし、高齢化社会に対応できなければ大型店に将来はない。商店街を共有財産として守る政治が必要です。

モノづくりの技能も共有財産

 製造業にとってモノづくりの技能は重要です。それを日本は捨ててきています。技術進歩は跛行性(はこうせい)をもっています。機械加工とかプレスなどは技術進歩が早く、鋳物とか金型は技術進歩が遅い。遅いものがいわゆる3Kなんです。そうすると若者も敬遠する。したがって廃業が一番多いのは3K職場です。ある製品をつくるときに、十の機能が必要とすると、十の機能のうちの一番低い機能のレベルの製品しかできない。日本はこれまで、たくさんの企業がいて切磋琢磨して、それぞれの技能を高めてきた。非常に高いレベルでそろっている。ところが、機能別にみるといつくかのレベルが下がってきた。すると完成する製品のレベルが下がる。気楽な経済学者は、一度なくなっても必要なものは再び生まれると言いますが、再生するコストは非常に大きい。この問題も地域の商店街と同様に、市場原理で考えるべきではなくて、モノづくりの技能も共有財産であるという角度から守っていく必要があります。
 モノづくりでは、この間いくつかの重要な法律ができています。例えば、科学技術振興法、通称・モノづくり基本法など。ゼンキン連合などが十年取り組んで、今年の春に議員立法でモノづくり基本法ができた。モノづくり三点セットがみえてきた。第一は、モノづくり基本法。第二は、スーパー技能者の認定。第三は、二〇〇一年か二〇〇二年に埼玉県の行田市にモノづくり大学ができます。
 モノづくり基本法は、若者や子供たちに、モノづくりの大切さ、動機づけのための施策。またアジア諸国への貢献という角度から技術移転をする等、私たちが求めた理念は盛り込まれています。これが実行されるためには付帯の法律が必要です。スーパー技能者として今回、労働省が五百〜六百人を認定しました。今後は、中小企業の中からも認定して欲しい。また紙切れ一枚ではなく、年金をつけて、社会的にいい仕事をしている人には経済的にも報いがあるというシステムにする必要があります。
 中小企業基本法の改正で取り残される部分に対する目配り、対応をきちんとやれるかどうか問われてくると思います。地元商店街にしても、モノづくりの問題にしても、われわれの将来の生存に関わる問題としてみるべきだと思います。
 さらにもう一つ考えておかなければならないのは、地方分権の問題です。いま議論されている地方分権は、国の権限を都道府県にいかに下ろすかに過ぎませんが、遠からず、市町村が分権の流れの中で自立を求められる。これまで市町村には産業政策はなかったし、必要もなかった。あるのは商工対策で、国が決めた制度を利用していかに融資などをするかというものです。今後は市町村が、中小企業や地元商店街を地域の積極的な構成員として位置づけ、安心して暮らせる町づくりをすすめる必要があります。

アメリカ流の市場原理

 ここ十数年、アメリカ流の市場原理が優勢で、金儲けをする奴がえらいという風潮が広がっています。とくに、冷戦崩壊後のこの十年は大競争時代とか、市場原理こそ大事だということばかりが強調される。中小の商業や製造業、あるいは農業にしても、このアメリカ流の市場原理の大波を受けて危機に立っています。
 みんなが豊かで安心して暮らせる社会を作る、経済はそのための一つの手段のはずです。手段が目的になっています。限られた企業や個人が繁栄して、大多数の人々がしんどい思いをする、ますます貧富の格差が拡大する、こんな馬鹿な話はありません。みなが豊かで安心して暮らせる社会をつくるために、経済はどうあるべきか、企業はどうあるべきかを考えるべきです。額に汗して働く人が、経済的にもきちんと報われるようにしなければいけない。
 もう一つ、日本が考えなければならないことはアジアとの関係です。日本が先進国として工業製品を作り、アジア諸国が部品を作るという垂直分業の考え方ではもうやっていけません。日本で古くなった技術をアジアに移転してやるという態度や考え方が、現在でも根強くあります。その考え方は現在のアジアの中で受け入れられません。ドイツなどは、きちんとした技術を移転してくれるということで信頼が高まっています。アジア最大の市場である中国で、日本が欧米に立ち遅れているのはその問題があると思います。アジアの一員として将来も共生できる日本の貢献を考えるべきです。

日産の工場閉鎖の問題

 日産が村山工場の閉鎖を含む大リストラ計画を発表しました。私は、この問題について以前から自治体に発言しています。
 大きな工場が閉鎖すれば、市の財政にも大きな打撃ですし、下請け企業や地域の商店街にも大きな影響が出ることになります。そういう問題として、市町村は日頃から対策を考えておく必要があります。
 十年前くらいに、府中市の日本製鋼所(十七ヘクタール)が工場閉鎖になりました。敷地の用途指定は準工業地で、建ぺい率六〇、容積率二〇〇くらいだった。企業側は、土地を高く売るために、制度の隙間をぬって、容積率拡大の変更を市役所の都市計画部にもっていった。いまの都市計画部は、許認可行政なので条件が整っていれば許可してしまう。広大な土地を市としてどう計画的に使うかという議論がされていないために、個別の企業の都合が通用してしまった。
 一自治体に大きな工場は一つか、二つです。その工場は、誘致されてきて、いろんな優遇策を受けてきた。そして、企業の側はそこで何十年も仕事をしてしっかりもうけてきたわけです。その意味では当初の目的は達成しているはずです。工場閉鎖というなら、何十年も、もうけてきたわけだから、感謝を込めて土地を地元に贈呈すべきです。それを当たり前だと考える世論を作っていく必要があります。
 また、そういう土地は地元の市町村にとってはきわめて重要な土地ですから、何か(工場閉鎖)あった時に、その土地をどう利用するか市町村として計画をもっておく。そしていざと言うとき市町村の計画を優先するよう企業側に働きかける。あるいはそういう環境を作っておく必要があります。
 日産村山工場のある武蔵村山市、ブリヂストンのある小平市、富士重工のある三鷹市などには、そう発言してきました。それをやっているのはこの地域では三鷹市くらいです。三鷹市は、富士重工と日常的に意見交換をし、いざというときの土地利用の計画をつくっています。市役所内では都市計画部局と産業部局が情報交換して、建ぺい率や容積率の変更などに安易に判子を押さないようにチェックしています。建ぺい率や容積率の変更が一つのポイントになるわけで、その許認可は役所の権限です。
 そういう三鷹市の取り組みの結果、三鷹市のサンリツ電子工業という中小企業が操業をやめることになった時、社長は五〇〇平米の工場敷地、延べ床面積が七五〇平米の三階建ての建物をそっくり市の経済課に寄贈しました。
 ヨーロッパでは、工場が進出する段階で、将来、撤退するときに地元自治体に深刻な影響を与えない規模を事前に検討して進出します。
 しかし、日本では企業が地元に貢献する思想がない。大型店の出店も同様です。大型店の場合、だいたい三年で収益が下がる。だから大型店の側は、安物の建物で短期間にもうけて、収益が下がればさっさと撤退するというやり方をしています。
 「資本に地域はない」という人がいますが、地域で仕事をして行くわけですから、大企業・大資本にも地元にどう貢献していくのかという社会的責任があるはずです。もうけるだけもうけて、企業の都合でさっさと撤退する。地元への悪影響の責任は知らない。土地は企業の都合だけで処分する。そういう企業の態度は許してはならないと思います。
       (談・文責編集部)