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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』1999年6月号

ヒロシマから「新指針」を阻む

全国原爆被爆教師の会会長、広島県議会議員 石田 明


 「新ガイドライン」の内実は、日米軍事同盟の強化であることは疑う余地がない。それは、「有事」と称する「戦争」行為に積極的に加わり共闘することである。
周辺事態と称して、実は日米軍事同盟による軍事力(自衛隊)を広範囲に発動することを許容する。「後方支援」というが、第一線と分離できるものではなく、不離一体で戦闘に組み込まれることは戦争常識である。
 これらは、武力行使の禁止、武器の放棄を宣言した憲法第9条に反することは、誰の目にも明白である。
 違憲な立法であることと同時に、ヒロシマの視座からこれを阻みたい。
ヒロシマは「核時代」の原点である。それは戦争観の一大変革を人類史的に求めたのである。つまり、もはや戦争は人類の破滅を招くものであり、平和は絶対的条件である。
 戦争につながる一切の武器の根絶をめざし、到達として「核」の完全廃絶へ道を拓く。「ヒロシマの心」というが、絶対平和主義を貫くこと、そこに根本が存在する。憲法は「核時代」の人類生存保障法と言える。その意味でヒロシマは、新ガイドラインを拒否し、さらに非核・非軍事世界の実現に被爆国の最優先の努力を不断に要求し続ける。
 ところで「戦争への道」と言われながら、国会での審議にもこの重大認識があるのか、さらに国民の大勢は傍観に近いのではないか。民主主義の力がないとき、平和の危険を引き起こすことを歴史に厳しく学ぶべきである。
 今、中央・地方を通じて、改憲勢力が強大化し、憲法改悪へ動き始めていると憂慮する。かつての労働界の再編に連動した「政治」。「教育」の右傾化がそれらの勢力の台頭を容易にしている。
 さらに懸念されるのは、引き続く「有事関連法」の制定である。つまり、戦時体制を作りあげる政治日程に入るのではないか。「戦争」のため国民の権利を規制し、戦争の協力義務を公然と強いる「法」の制定を急ぐだろう。また、同盟国アメリカが強く要求してくることは必至である。
 国民が自らの財産権、生存権を「戦争」という事態故に侵害される。かつての戦争時代を思い起こすまでもない。
 戦争は、徹底した上意下達、指揮命令のみで国民を操作し、「総動員」する。つまり、「ノー」はない。「イエス」だけである。
 そうしたイエスマンを作るために、「国防教育」を進める。そのため、教育の国家統制がさらに強化される。広島では学校で「日の丸」「君が代」を強制し、職務命令、そして処分で強要している。
 戦後広島の教育におけるこのような「強権」行政は初めてのことである。教育長は代々、文部省からの「剣の使者」である。その間、職務命令を受けた校長の自殺事件を引き起こすに至った。
 教育行政は本来、強制強要、力の支配と相容れない(教育基本法第十条)。一方で、戦争への恐怖感を取り除き、「生命を惜しまない」気概を作るため、「教育」「思想」を統制する。さらに平和と人権を求める市民運動を抑圧し、戦時体制の「安定」を企図する。
 さらに重要なことは、ことの始まりから、さらに将来にわたってアメリカの指令に従属することを見逃してはならない。
 こうした戦争への体制が着々と進む。その時、にんまり微笑むのは誰か。死の商人であり、現代では海外進出の企業ではないのか。いま戦争の図式は新しい装いをこらすが、本質は変わらない。生命と財産を犠牲にするのは、力ない国民である。ヒロシマの悲劇はこのことを訴え続ける。