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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』1999年6月号

ユーゴ空爆は侵略

人道のための武力介入容認は民主主義の病理

千葉大学教授 岩田昌征


 国際法違反

 NATOによる空爆は、現行の国際法から言えば、正当化できません。明らかな内政干渉であり、侵略です。
 NATOはユーゴによるアルバニア人への弾圧、難民流出という「人道的破局」を強調して空爆を正当化しています。人道的破局を止めさせるためのNATO空爆であるという主張です。
 ところがNATOの空爆によってコソボから大量難民を発生させているのが事実です。それだけではなくユーゴの人々の命が奪われ、工場、発電所、道路や橋などが爆撃され、市民生活が根底から破壊されています。人道のためと言って人道破壊が行われています。
 4月16日の朝日新聞に、ユーゴ空爆「ペスト、それともコレラ」という社説が載りました。NATOの一員であるドイツ国内の議論を紹介しています。「半世紀前、ドイツ人は他民族にひどいことをした。自分たちはそれを深く反省している。それと同じような悲劇が今コソボで行われている。かつてのナチスドイツによるユダヤ人迫害は許し難いことだ。同様にコソボ問題を黙ってみていると、心がヒリヒリ痛む。空爆をしなければ悲劇を見過ごすことになる」。その良心の苦痛をペストにたとえ、ユーゴ空爆による新たな悲劇をコレラにたとえています。ドイツ人はペストとコレラの間で悩んでいると。そういう主旨の社説で、実際には空爆肯定論です。
 この社説は一見分かりやすく、きわめて良心的にみえる社説ですが、事実の検証抜きに展開されているところが怖いと思います。つまり、コソボ問題を知らない人に、誰もが知っているナチスドイツの悪行を覆い被せてイメージを形成していく。ナチスドイツによるユダヤ人迫害と、今日のコソボ問題を並べて、ユーゴのミロシェビッチはヒトラーと同じようなことをやっていると同一視する。本当にそうなのか。
 朝日新聞の社説では、「ユーゴのミロシェビッチ政権によって、コソボ地区のアルバニア系住民が弾圧を受け、空爆前までの1年間で30万人の難民が発生した」と指摘しています。ここがポイントだと思います。これが事実であるのか。また、どういう経過で30万人(この数字は確認されていません)という難民が出てきたのか。そしてそれが主にユーゴ側にだけ責任がある現象なのかを検討しなければなりません。

 コソボ問題の背景

 時系列的に事態を検証すれば、とてもそんなことは言えない、というのが私の結論です。
 1995年のデイトン合意で、ボスニア・ヘルツェゴビナのクロアチア人、セルビア人、ムスリム人の三つ巴の戦いが一応収まり、平和的政治的な手続きで解決していこうということになりました。
 その当時、コソボ自治州では、クロアチアやボスニアのような戦争状況があったわけではありません。ボスニアでの戦争が収まり平和的な形に転換したわけですから、コソボでも平和的にやってきた勢力がより勢いづくというのが自然の流れだと思います。ところが、勢いづいたのは、平和的な方法でコソボの独立を実現しようとするコソボ民主同盟(ルゴバ議長)ではなく、武力で独立を実現しようと企てるコソボ解放軍(KLA)でした。
 そうなった背景には、ボスニアで平和が達成されたときの情勢判断の違いがあったと思います。
 コソボ民主同盟の側は、「戦争による方法はコソボでは展望がなく悲劇に突入するだけだ。セルビア側は91年以来の戦争に負けた。デイトン和平はセルビア側の敗北である。セルビア人は戦争に倦み疲れており、新たにコソボでの戦争に社会を動員できない。だからわれわれが戦争政策を取る必要はなく、平和的方策でいける」という判断です。
 一方、コソボ解放軍は「戦争になれば欧米は反セルビアの立場をとる。したがってNATOや欧米を自分たちの味方として組み込んだ独立戦争路線を確立する必要がある」と考えた。後にコソボ解放軍に参加した彼らは、クロアチア戦争やボスニア戦争の時、反セルビア人の側で戦った。ボスニア戦争で前半優勢であったセルビア人軍が最終的に敗北していく過程を見ている。またボスニアにおけるNATO空爆によってセルビア軍が敗走していく姿を見ている。そしてどうやったらNATOの空爆を引き出せるかも見ている。彼らは勝利者の気分で故郷のコソボに帰った。
 96年春からコソボ解放軍は、セルビア側を戦争に引き込むために、セルビア治安部隊、役所の職員などを標的にテロ活動を開始していく。97年の本国アルバニアで暴動が発生して各地の兵器庫から、ほとんどの武器が奪われた。その武器の2、3割はコソボに入ったと言われています。さらに97年の後半からNATO製の武器も入るようになった。
 98年2月にクリントン大統領の特使のロバート・ゲルバード氏(旧ユーゴスラビア担当特使)がコソボを訪問。2月22日に穏健派と会って「テロリスト組織であるコソボ解放軍ときっぱりと縁を切らなければならない」と強く要請した。
 米国特使の発言で、セルビア側は勇気づけられて解放軍の討伐に乗り出した。一方で穏健派との協調路線を強めた。コソボ自治州内でのアルバニア人の並行教育を認める政策を進めた。さらに、アルバニア人独自の選挙の問題です。コソボのアルバニア人はセルビア共和国の選挙に参加できますが、独立宣言をしたという建前と矛盾するので、アルバニア人独自の大統領と議会選挙を92年5月と98年3月に実施しました。この自主選挙をミロシェビッチ政権は黙認した。セルビア政権は民主同盟派には少しずつ手を打ち、解放軍派のテロと軍事行動に対しては対抗措置をとる。このまま進めば、今日のような状況は起きなかった。
 ところが、98年6月末に、デイトン和平を手がけた米国務省のホルブルック氏が訪問。ミロシェビッチ氏やルゴバ氏とも会った。同時に、コソボ解放軍の司令官とも会った。これはどういう意味を持つか。それまでテロ組織としてきたコソボ解放軍を超大国の米国が認知したということです。これによってコソボ解放軍が勢いづきました。そしていわゆる人道的破局を惹き起こした戦闘がかなり広い地域で起こり、その結果として沢山の難民が発生するという状況になりました。7月から9月頃までの戦いでコソボ解放軍は負けてほとんどの根拠地を失った。
 10月に再びホルブルック氏が訪問しミロシェビッチに強力な圧力をかけた。国際的な2000人の監視団派遣、コソボからの治安部隊の撤退、NATO軍による上空からの監視など、米国の要求をミロシェビッチはすべて認めた。これで負けていたコソボ解放軍は再び力を盛り返した。こういう状態で99年を迎えた。ランブイエでの和平交渉がありましたが決裂し、NATOによる空爆開始。

 アメリカの目的は主導権回復

 これが大まかな経過です。ですから人道的破局をすべてセルビア側のみの責任にして空爆を正当化するのは、経過を検証すれば相当むちゃくちゃなことです。どう考えてもナチスによるユダヤ人迫害とは違う。当時のユダヤ人はドイツ国内に武力によってユダヤ人共和国の独立を達成しようとしたわけではなく、ただユダヤ人というだけで大変な迫害を受けた。コソボの状況をナチスドイツの状況に喩えるというのは、情報暴力だと思います。
 今年の4月末のクロアチアの新聞にコソボ解放軍スポークスマンのインタビューが載りました。「NATO軍の空爆が開始されて、これまで衝突がなかった地域からも人々は逃げ出した」「今回の難民はセルビア治安部隊のテロルだけでなく、食料や薬品の不足による。とくに解放軍が拠点をもっていない都市においてそれが顕著である」と答えています。KLAは、セルビア人部隊の民族浄化を強調するはずの人たちです。それがNATO空爆によって大量難民が発生したと発言している。NATO、アメリカなどが世界中に流している情報とは違う事実がある。
 事実と違う情報でも、情報化社会では写真やニュースも商品ですから売れるものが情報として広がる。とくに日本のマスコミは米国がつくった情報を流すことで商売が成り立っている。市場社会の病理、民主主義の病理です。現在の西ヨーロッパは社民政権が多く、リアリティに対する関心よりも、人道とか人権という言葉に関心がある。
 冷戦崩壊の流れの中でスロベニアとクロアチアが独立を宣言し、ユーゴスラビア社会主義体制の崩壊が始まった。92年くらいまで、アメリカは旧ユーゴ体制維持という姿勢でした。それを無視してバチカンを中心とするカトリック圏が強引にクロアチア、スロベニアの独立承認に走りユーゴスラビアは解体に向かった。旧ユーゴ体制維持というアメリカの意向が無視された。戦後一貫して握っていた欧州での主導権が一時的に統一ドイツに奪われた。
 アメリカとしては主導権を取り返さなければと考えた。もはやユーゴ解体の流れは止められないので、その方向でドイツ以上のことをやってアメリカの主導権を取り返す。それがボスニアへの介入でありデイトン和平でした。そして今回のコソボ問題への介入もその延長上でした。
 もし、コソボのアルバニア人の人道的状況だけを考えるのであれば、アメリカはあれほどNATOに固執する必要はなかった。大欧州でのNATOを用いた主導権の回復こそアメリカの目的です。ですからNATO諸国の中で、米英以外に喜んで空爆に参加している国はありません。

 他人の運命を決定する権利はない

 NATO空爆は現行の国際法からみれば違法行為であり侵略行為です。しかし、日本でもNATO空爆を明確に侵略だと規定する人は少ない。
 唯一の超大国・アメリカが先頭でやっている侵略ですから、これをやめさせたり制裁を加える力はどこにもない。違法と口に出してもどうにもならないから、あいまいにしておきたいという暗い社会心理だと思います。民主主義社会の病理です。
 ハーバーマスというドイツの哲学者が「人道のための武力介入を倫理的に肯定する」と発言しています。将来、こういう理屈なり、新国際法が許されるとしたら大変なことです。例えば、「日本は旧日本軍によるアジアへの侵略戦争を心から反省している。同じようなことがチベットで見られる。かつて日本軍が行ったような統治を中国がチベットで行っている。人権が侵害されている。良心が痛む」といって、日米が中国の北京や上海、チベットを爆撃してもいいという理屈になります。
 民主主義は自己決定の原理です。自分の運命について決定する原理です。自分がいくら良心的だといっても他人の運命を決定する権利はない。まして空爆という方法で他人の運命を決定する権利はありません。
 世界中で民族対立が起こっています。民族がどう共生していくか、を考える必要があります。それぞれの民族にはそれぞれ歴史があり、個性があります。お互いが違いを認めあうことが大事ではないか。「汝の欲するところを他人に施せ」というキリストの考え方よりも、「己の欲せざるところは人に施すことなかれ」という孔子の考え方が共生するためには大事であり実践的です。自分たちの価値観を他に押しつけるべきでなく、ヨーロッパ的教養、価値観だけで物をみるべきでないと思います。
 アメリカを先頭にNATO諸国6億の民が、小国のユーゴ1000万の民に対して一方的に大空爆を続けること自体が極めて異常ななぶり殺しです。中国大使館などに対する「誤爆」は大騒ぎするが、それ以外の空爆は当然のことして報道される。「正爆」のもとに多くの人命が奪われ、施設が破壊され、コソボのアルバニア人も含めて生活が根底から破壊され続けている。空爆自体が違法行為であり侵略であり許されるべきではない。
                                                        (文責編集部)