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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』1999年2月号

住民投票と自治の確立

広範な国民連合・神奈川世話人 須見正昭


 住民投票の流れ

 新潟県巻町の原子力発電所の建設について、住民の直接請求を契機として制定された条例に基づいて、住民投票が1996年8月に行われた。ついで米軍基地の整理・縮小などを問う沖縄県が2番目、さらに97年6月に、岐阜県御嵩町の産業廃棄物処理施設の設置について住民投票が行われた。これら住民投票を求める動きは、神戸空港、藤前干潟、吉野川可動堰、びわこ空港など、大きな広がりを見せている。
 ここで注目すべき事柄を指摘しておこう。その一つは、原発、基地、産廃といったいわゆる迷惑施設の建設について地元住民がノーという意思を表したものから始まって、その後はさらに公共事業にかかわるものも、その対象に加えているとである。またこれまでは、条例の制定または改廃についての直接請求で、地方自治法に定める有権者の50分の1以上の連署をとることは、大都市などでは不可能であると見られてきた。しかし、それを打ち破るように神戸空港では、30万人をこえる署名が集められたし、吉野川可動堰では徳島市の有権者のほぼ半数の人が署名している。また、びわこ空港の住民投票を求める署名も13万人をこえ、藤前干潟では、直接請求運動運動にとどまらず、埋め立ての差し止めを求めて、名古屋市などを相手に名古屋地裁に、藤前「自然の権利」訴訟を起こしているのである。
 ところで、住民投票という直接民主主義の方法をとるというのは他でもない。議会制度がうまく機能していないからである。中央政府は言うに及ばず、地方自治体もまた大同小異で、市民と首長や議会との間の意識のギャップが大きくかけ離れるようになっているからである。それにもかかわらず、首長や議員の多くは「住民投票は代表民主主義を破壊するもの」ととらえ、住民投票条例案を否決することが多い。条例案を否決しているものが全数の8割をこえ、2割たらずが条例として制定されているに過ぎないのが実情である。条例が制定される場合も、議員提案や、首長提案の形をとるものが多く、住民の直接請求による例は、きわめて少ない。
 神戸空港建設の是非を問う住民投票条例の制定は、30万人をこえる署名も一蹴されてしまったし、吉野川可動堰でも建設推進派の徳島市長は、条例を提案する際に「住民投票は必要ないとの意見を付ける」と、市民感情を逆なでするような発言をしている。

 住民投票の法理と制度化

 ところで、住民投票を条例で定めるにあたっては、直接請求による場合は、首長が意見を付けて議会に付議することになるが、条例を制定する方向で意見を付けるときは、概略次のようなケースが見られる。
 まず第一に、住民投票制度を条例で定めることを規定した法令や、禁止した法令はないということ。第二に住民投票を、権限を有する機関に優先させたり、地方公共団体の意思とするような条例を設けることは、法令に違反するものといえること。そして第三に投票の結果を、首長の自主的判断の一参考資料とするものであるから、地方公共団体の意思を直ちに拘束するものではないと判断されるので、条例を制定することは、法令に違反するものではない。という点をあげている。
 住民投票は、一般に特定の政策課題について、住民の賛否を問うものが多く、首長は当該事務の執行にあたっては「住民投票の結果、過半数の意思を尊重する」と規定している。ただ極めて珍しいケースではあるが、市政の「重要な課題」について住民投票をやろうとした逗子市の例がある。この案は議会で否決されたため、条例としては存在するものではないが、「市民の意思を投票によって微し、もって市政の円滑な運営と公衆の福祉実現のための補助手段とすることを目的とする」としている。
 住民投票に関して、中央政府は地方分権推進計画のなかで、住民参加の拡大・多様化の一環として、住民投票制度の検討について述べている。それによると、「住民投票制度については、現行の代表民主制を基本とした地方自治制度の下で議会や首長の本来の機能と責任との関係をどう考えるかといった点に十分留意する必要があり、その制度化については引き続き慎重に検討を進める」としている。これは住民運動の動きを見定めて、市民の「お手並み拝見」という姿勢をとっているものといえよう。
 ここで問題にしたいのは、議会制民主主義が主流で、住民投票は、それを補完するものという考えが根強いことである。直接民主主義と間接民主主義を対立するものと考えたり、法律と条例を上下関係でとらえることに、大きな問題が横たわっていると言わざるを得ないのである。

 住民投票を機能させるために

 言うまでもない事だが、議会主権の原則は、政治が国民の総意を基礎にすべきではあるが、国民の直接的統治参加が実際上不可能であることを前提にしている。このことから、国の場合と異なり、地方自治体については、議会制民主主義が十分に機能していない場合には、主権者である市民の声を聞く、つまり直接民主制か、それに近づく制度をいろいろ工夫するというのが原則である。市政の重要な問題のみならず、住民に身近なこまごまとした問題も、住民の意思が反映されるようにしておく必要がある。議会だけでなく複線でいろいろな仕組みをつくっておくべきなのである。
 地方自治法89条では、普通地方公共団体に議会を置く、としているが、94条で、町村は条例で第89条の規定にかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会のを設けることができる、と規定している。これは、町村総会が民主主義、地方自治の原点であることを示している。だから地方分権推進計画で、「小規模町村が、条例により町村総会へ移行できることについて周知する」とあるのも、経費だけの問題にすり替えてはなるまい。
 住民投票条例は、法律に対して一歩下がって規定をもうけている。これは条例は法律の下位にあるものという呪縛から解き放たれていない姿といえる。憲法94条は、「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権利を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる」とあり、これを受けた自治法も同様である。しかし、憲法94条に相当するマッカーサー草案の規定は、「都・市および町村の住民は、その財産を管理し、事務を処理し条例を制定する権利を有する」となっており、内閣要綱以来、「法律の範囲内で」という文言が入れられたのである。国の自治体に対する監督が強くないと安心できない、古い体質の人々が地方分権的でないものにしたのである。
 ところで、「国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」が、それと同様に、「地方議会は、地方公共団体の唯一の立法機関」であり、国会も地方議会も、ともに国民の公選による、つまり主権者の信託に基づくものととらえることができる。条例は地域の生活に密着した地域立法である。したがって、国の法令に対して、自主性、優位性を大切にし、また実効あらしめるように具体的な措置がとられねばならない。
 これまで条例は、しばしば法律の制定、改廃を先導する役割を果たしている。住民投票条例も、法的拘束力をもつよう制度化を促進する段階にきている。